「テネシー・ウィリアムズの回想録」

- テネシー・ウィリアムズ Tennessee Williams -

<性についてのカミングアウトの先駆け>
 20世紀を代表する戯曲作家テネシー・ウィリアムズの回想録が発表されたのは1975年のこと。1970年代半ばといえば、映画にもなったゲイ・パワーの英雄ハーヴェイ・ミルクが活躍していた頃で、同性愛解放の運動が高まりをみせていた時代です。そうした時代の流れの中、究極のカミングアウト本ともいえる本書が世に出たのでした。

「いうまでもなく、服装・態度・動作などを異性的にするというのは、わが国の社会が同性愛者にたいして押し付けた自嘲的態度の産物である。その不愉快な面は、同性愛解放運動が成功するにつれて急速に消えていくだろう。・・・」

 元々彼は若手の戯曲作家として活躍していた1940年代から自らが同性愛者であるということを隠してはいませんでした。しかし、当時映画界や音楽界、文学界において活躍していた同性愛者のほとんどはそのことを封印したまま活動していました。それだけに、彼のようにどうどうと同性愛者であることを公言する存在は異色であり、そのために受けた逆風もまた強かったはずです。(ジェームス・ディーン、モンゴメリー・クリフト、ロック・ハドソン、コール・ポータージェローム・ロビンスなど、同性愛者であることを隠していたアーティストはかなりいたはずです)
 ただし、彼がこの本を書いた理由は、そうした同性愛者に対する差別に抗議し、その存在を世に認めさせるためということではありませんでした。もしかすると最大の理由は、60代となってかつての勢いを失った著者が経済的な面で売れる本を必要としていたからかもしれません。とはいえ、書くとなったからにはとことん自らの本性をさらけ出そうとする作家魂はさすがです。それは単なるカミングアウト本ではなく、文学作品として確かに優れたものに仕上がっているのですから。(ストレートな読者の多くがドン引きしてしまうような描写も多々ありますが・・・)

「人々は繰り返し繰り返し私の作品の内容があまりにも私的に過ぎるといい続けてきた。それにたいして私も繰り返し繰り返し、芸術家の真実の作品はすべて私的なものであらねばならぬという主張をもって答えてきた。直接に表すか婉曲に表すかの違いはあっても、作品はすべてそうであるはずだし、じっさい創作した人間の情緒的風土を反映するものである。」

 正直、この本を読んで「同性愛者とは素晴らしい人々だ」とは素直に感じられないかもしれません。そのことは、彼が同性愛者であるということよりも、彼のセックスへの欲望の深さに嫌悪感を憶えてしまうせいかもしれません。
 昔からよく言われているように「天才や偉人の多くはセックス依存症である」なら、彼はその同性愛者版なのかもしれません。何度も登場する「ボーイハンティング話」や「三角関係のもつれ話」、それに薬物濫用による失敗談の数々にはちょっと辟易してしまうかもしれません。でも、ケネディーもキング牧師も、確かにセックスへの欲求は強かったのでしょうが、それは「生きることへの強い欲求」に比例しているというのが医学的な考え方のようです。

「この本は清教徒的罪悪感の一種のカタルシスではないだろうか。『よい芸術はべて不謹慎である』と言う。まあ、私はこの本が芸術になるとは保証しないが、不謹慎にはならざるをえない、私のおとなの人生を取り扱っているのだから・・・・・
 もちろん、この本を演劇論に振り向けることだってできないわけではないが、それではうんざりするばかりだろう。・・・・・」


 これはまさに開き直っての暴露本だったのでしょう。それでも実在の人物たちに迷惑がかからないように登場人物の多くは名前をふせられているし、そこまで書かなくても・・・と思えるほど珍事件から悲惨な事件、エロチックな事件まで、思い出すままに描かれているエピソードの数々は時間軸もバラバラで読者はわけがわからなくなるかもしれません。しかし、そんなドタバタ人生劇場の中、ところどころにテネシー・ウィリアムズという偉大な作家ならではの忘れがたい文章や素晴らしい思い出がはめ込まれています。
 ここではそんな記述を少しだけ選んでみました。先ずは彼の精神が崩壊する前兆となった出来事について書かれた部分から覗いて見ましょう。

<精神的混乱の原点>
「・・・ことの始まりは、私がパリの大通りを一人で歩いていたときだった。これは私の心理構造の上に重要な意味をもつと思われるので、すこしくわしく述べてみよう。だしぬけに、私の心に、人間の思考の働きというものはものすごく複雑不可解な、神秘的なものだという考えが浮かんだ。
 その考えを振り切ろうとするかのように、私の足にいつのまにかぐいぐいと速さを加えていった、すでに一種の恐怖症状を呈していた。駆けるようにして歩いているうちに、汗は吹き出る、心臓は動悸を打つ、一行の滞在していたロシャンボーというホテルにたどりついたときには、私は全身汗でぐっしょりになってガタガタ震えがとまらなかった。・・・」


 この感じわかるでしょうか?こうした自らの哲学的ともいえる悩みに加え、彼の場合、次々とまわりで悲劇が起き、それが彼をさらなる不安へと追い込んでいったようです。

「そのころ二つの恐ろしい出来事がもちあがった。一つは姉のローズが、合衆国では初めてに近い前頭葉切開手術(ロボトミー)を受けさせられたこと、もう一つはベルおばさんがノックスヴィルで、親知らずの歯が化膿してその毒が全身にまわった結果、亡くなったということである。」

 特に姉ローズの精神的病は、彼に大きな影響を与え、自分もまた同じ運命をたどるかもしれないという不安が常に彼を悩ませることになります。
 しかし、その不安から「欲望という名の電車」に登場する伝説的キャラクター「ブランチ」が生まれたのですから、彼の才能がそうした不安によって生み出されたといえるでしょう。
 精神的、肉体的な病に常に悩まされていた彼はそこから逃れるため、酒、薬物そしてSEXにおぼれる生活へと向かったわけですが、それにさらに追い討ちをかけたのが、自らの作品への不安、自らの才能の枯渇についての不安でした。

「もちろん著名な芸術家の、というより作家のなかで、私のように人工的刺激剤に屈した人たちの名はいくらでも数え上げることができる。たとえばフォークナーは、書く気を起こしたときは、おそらく毎朝のことだろうが、いっぱいに入ったバーボン・ウイスキー一瓶を手にして、ミシシッピの農場の納屋の二階にのぼっていくのが習わしだったという。そのほか、コールリッジも、それからジャン・コクトーも、そのすぐれた作品はすべて阿片の影響下で書かれたということを私は確かな筋から聞いている。
 それから、多作な誠実な作家のなかで、とくに中年になってから飲酒に走った人を数多く列挙することもできる。」

「いったい作家に対して、大石油王や製鉄所やその他わが国を支配し動かしている大企業に適用されているような消耗資産に対する免税措置を認めないというのは不公平ではないだろうか。・・・」

 多くの芸術家がどれだけプレッシャーに耐えているのか?それは芸術家を主人公にした数々の映画や小説をみれば明らかでしょう。

<戯曲という文学>
 考えてみると戯曲というのは、文学の中でもちょっと異色な存在です。小説は作者が書き直さない限り一度出版されれば、そのまま変わることはなく、完成形として永遠に存在し続けます。それに対し、戯曲はそれだけでは存在価値がなく、芝居として劇場で演じられて初めてその真価が明らかになる常に未完成な存在です。
 テネシー・ウィリアムズの作品の多くは、「欲望という名の電車」の映画版の監督も担当したエリア・カザンのような大物演出家とマーロン・ブランド、ポール・ニューマンら大物舞台俳優たちによって上演されています。
 しかし、どんなに優秀なスタッフ、有名な劇場で上演されたとしても、アメリカにおける演劇批評家の判定は情け容赦がありません。まして、常に時代の先を行く演劇を目指し、なおかつそこに「性的な要素」を多分にもちこんでいた彼の戯曲は、保守的な批評家から常に批判されていました。
 そのうえ、そうした初回公演に彼はその制作段階から参加し、演出に関わるとともに制作中に戯曲を書き直すことでより良い作品に仕上げていました。当然、その芝居の初回公演に対する評価は、そのまま彼の才能に対する評価となったわけです。

「だれだったか、インタビューに来た人に、なぜ作家はそんなにも病気や死にこだわるのかと訊かれたことがある。『芸術家は人の倍死ぬのです』と私は説明した。『肉体的存在としての死のほかに、創造力の死がある。それも本人とともに死ぬのです』」

<露出と隠蔽>
 彼は同性愛者であることに対する差別、精神的なもろさからくる様々な奇行、あからさまな性描写、そして時代の先を行く革新性への無理解によって、常にマスコミからのプレッシャーを受け苦しめられていました。そのために彼がマスコミから逃げ、隠遁生活を送ったのかというと、実はそうでもなかったようです。

「・・・私は新聞記者とバスタブの中で会見した。どうやら私という人間には、どんな環境にいようと新聞人と会いたいという気持ちがいっそう存在しているらしい。・・・」

 多くのアーティストがそうであるように、彼もまた生き様自体をパフォーマンスとしてさらけ出すことに喜びを感じていた面もあったのでしょう。彼は自らの戯曲が演じられる公演にゲスト俳優として参加することもしばしばあったようです。それは作者本人が出演することで世の中の注目を集め、それを集客に結び付けようと考えていたからのようですが、俳優という表現方法に魅力を感じていたせいもあったのだと思います。
 彼の人生はこうして「失敗と成功」、「愛と憎しみ」、「露出と隠蔽」、「光と影」、「生と死(自殺未遂)」を人生の中で何度と無く繰り返す、アップダウンの激しいものとなったのです。精神も肉体もボロボロになりながら、それでもなお、60歳を過ぎた彼はまだまだ作家として生きて行く意欲をみせていたのですから、凄い!

「ブランチは小さな人間だったろうか、とんでもない。彼女は鬼神のような人間だった。感情のスケールがあまりに大きすぎて持ちこたえられず、狂気というはけ口を見出さざるをえなかったのだ。・・・・・ 私の矛盾にみちた人生をどう解釈なさろうとご自由である。私は私なりに筋を通そうと誠実に努力してきたのだ。
 たしかに、私は闘志である。セントルイスを出て以来、思えばすいぶん長い闘いだった。しかしフランキーと別れてからは、私の人生は長い敗北期に入ってしまった。私も彼のようにもう人生が終わったような気がして、闘いを投げてしまった。でも今はつがう。私は前進したい。重要な新しい企画がいくつかあるのだ。なんてこった、ニクソンそっくりじゃないか、この言い草は!」


<作家として生きるということ>
 なぜ、彼はそこまで苦しんでもなお、作品を発表し続けたのか?彼にとっては「ガラスの動物園」「熱いトタン屋根の猫」「欲望という名の電車」、それだけあれば、地位も名誉も十分だったはずで、あとはエッセイや小説などを書きながら、静かに生活することも可能だったはずです。しかし、彼はそうはしなかった。
 彼は挑戦し続ける道を選び、自ら屈辱に耐える道を選びました。それは彼が自らの思いに忠実であり、そうした生き方を選択する「自由」にこだわり続けていたからだったに違いありません。

「作家であるというのはどんな気分か?そう聞かれたら、自由な気分だと答えよう。作家の中には自由でない人たちもいる。プロ作家として雇われている連中で、彼らの場合には話がぜんせん違う。
 プロとしては、ごく常識的な意味で、彼らはおそらくましな部類の作家だろう。ベストセラーの売れ口をはるか遠くからかぎつけることができる。出版社を喜ばせるし、おそらくは読者を満足させてもいるのだろう。
 だが、そういった作家は自由ではない。だから私に言わせれば、ほんとうの作家ではないのである。自由であるということは、自分の人生を手に入れたということだ。無制限の自由を意味する。・・・・・」


 時にぶざまな醜態をさらし、時に愛人の死に泣き叫び、時に評論家たちをののしり、時に薬を求めて、時に薬を求めて医師にすがりつき、時に観客たちの前で下手な演技を披露し、・・・・・そんな様々な屈辱を浴びてなお、アーティストであることにこだわり続けたアーティスト、テネシー・ウィリアムズ。
 「自由」であること「創造的」であることは、「格好良い」わけではない。それを見事に実証した人物です。それでもなお、「芸術家」として生きたからこそ、時代を越える作品を生み出すことができたのでしょう。

「世の格好悪い芸術家たちに幸あれ!」

「テネシー・ウィリアムズ回想録 Tennessee Williams」 1975年
(著)テネシー・ウィリアムズ Tennessee Williams
(訳)鳴海四郎
白水社

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