1948年

- ビッグバン理論を証明した3K輻射とは? -

<エドウィン・ハッブル>
 アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルは、学生時代からスポーツ万能頭脳優秀な天才で元々オックスフォード大学で弁護士になるための学位を取得していました。ところが趣味のはずだった天文学にいつしかはまってしまい、ついには天文学者に転向。その後、ヤーキス天文台、ウィルソン山天文台、パロマ山天文台などの責任者として数多くの星を観測しながら、それらのデータをもとに宇宙の謎を数多く明らかにしてゆきました。
 1919年ウィルソン山に完成した天文台に着任した彼は、最新の望遠鏡を用いて銀河系の島宇宙を調べ、その形やそこまでの距離を分類してゆく中で驚くべきことに気づきました。それは、それぞれの島宇宙がどれも地球から遠ざかっているということで、その遠ざかる速さは地球からの距離に比例するということも明らかになりました。そして、これは後に「ハッブルの法則」と呼ばれることになります。ではなぜ、そのことがわかったのか?

<「ハッブルの法則」>
 「ドップラー効果」というのをご存知でしょうか?救急車がサイレンを鳴らしながら走ってくると最初は高い音で聞こえ、その後遠ざかる時は低くなるというのが「ドップラー効果」です。実は、これと同じことが星と地球の間にも起きているのです。それは星が地球から遠ざかる時、その星の光の周波数が小さくなるということですが、その結果として星の見かけ上の色は赤い方に偏ることになります。(そのため、このことは赤方偏移といわれます)
 1911年、このことに気づいたのは、アリゾナ州にあるローウェル天文台のヴェスト・スライファーでした。ハッブルはそれを拡大し46の銀河についてその調査を行い、そのうち24の銀河については、さらにその後退速度を算出。すると、そこから前述の「ハッブルの法則」が明らかになったのでした。(1929年)
 こうして、ハッブルによって、宇宙が膨張していることが明らかになりましたが、実はそれ以前に「膨張する宇宙」を理論的に導き出している人々がいました。

<「膨張宇宙論」>
 「膨張宇宙論」の基礎となる理論を生み出したのは、20世紀最大の天才物理学者アインシュタインでした。しかし、それは彼が意図して導き出したものではなく、たまたま彼の相対性理論から明らかになったことでした。明らかに彼はそこから導き出された結果を望んではいなかったと思われます。
 彼が1917年に発表した相対性理論によると、宇宙は有限な質量をもつ有限な空間であることが明らかになりました。さらに、そこからは宇宙空間は重力によって時空が曲げられて閉じた形になっていることなども明らかになりました。しかし、彼が示した相対性理論に基ずく重力場の方程式を解いたオランダの天文学者ウィレム・ド・シッターは、宇宙は「膨張」していなけらばならないということを導き出し世界を驚かせたのです。しかし、この重力場の方程式を導き出したアインシュタイン本人は、この結果を認める気にはなれませんでした。彼にとって、宇宙とは方程式によって正確に描き出すことが可能な定常的存在でなければならなかったのです。物質の挙動を描き出すために確率論というあやふやな存在を持ち出した「量子力学」を、生涯アインシュタインは認めようとしませんでしたが、「変化し続ける宇宙」という発想もまた彼には許しがたい存在だったのです。
 その後、ロシアの数学者アレクサンドル・フリードマンは、アインシュタインの式をさらに詳細に計算し、より具体的な宇宙のモデルを導き出しました。それによると、宇宙の全質量がある値より小さい場合、宇宙は歯止めなく膨張を続けることがわかりました。(これを「開かれた宇宙」と呼びます)しかし、その逆にある値より重かった場合には、宇宙はあるところまで膨張した後、収縮に転ずることがわかりました。(これは「閉じた宇宙」と呼ばれます)ただし、後者の場合には、宇宙の内圧が収縮によって高くなるり重力を上回ることになると、再び膨張に向かうことも明らかになりました。そうなると宇宙は膨張と収縮を繰り返すことになるわけです。(これは「脈動する宇宙」と呼ばれます)
(1)膨張後に収縮する(2)等速で膨張を続ける(3)減速しながら膨張する
 彼が提案した3つのモデルのどれが現実の宇宙なのかは、宇宙誕生時(ビッグバン)の初速によって決まったはずだとしています。
 フリードマンのこの論文は1922年に発表されていましたが、内容があまりに高度だったため、アインシュタインら数人の学者にしか理解されず、ほとんど注目を集めませんでした。ところが、前述のハッブルの発見により、一躍この論文が注目を集めることになったのです。
 さらに1927年、フランスのジョルジュ・ルメートルは、新たな宇宙像仮説として「加速膨張モデル」を発表します。これは、宇宙の膨張が加速を続け、その拡大のスピードが増しているというものです。こうして、様々な仮説が発表されますが、それらはみな数式から導かれた仮設であり、この後、新たな理論と観測技術の発展によって、時代ごとに注目を浴びることになります。

<「膨張宇宙論」から「ビッグバン理論」へ>
 いよいよここまできて宇宙の全貌が明らかになってきましたが、こうして描き出された「膨張する宇宙」から「宇宙誕生」の謎を解くことはまだ無理でした。それを明らかにするには量子力学とそこから発展した素粒子論の登場を待たなければなりませんでした。
 1920年代に完成の域に達した量子力学は、宇宙に存在する元素はどうやって現在の比率になったのか?そのことを調べ始めていました。そのために太陽や星のスペクトル分析が行われ、その組成を明らかにし地球や隕石からは直接的にその組成のデータが得られました。こうした研究をもとに宇宙誕生の瞬間を具体的に描写した最初の人物、それは前述のフリードマンの弟子で、アメリカに亡命した物理学者ジョージ・ガモフでした。
 彼によると、宇宙の始まりの大きさは現在に比べ「10の8乗分の1」程度のミニ・サイズで、そこには自由中性子と呼ばれる物質しか存在していませんでした。これが、その後すぐに電子とニュートリノを放出して陽子に変わりました。そして、その陽子が中性子と結合することで重水素H2が生まれ、それらが反応することで三重水素H2そしてヘリウムHeが生まれました。ここから先はそれぞれが連鎖反応を起こしてゆくことで次々に新しい元素が生まれてゆくことになりました。こうして、現在宇宙に存在するすべての元素がビッグバンから20〜30分の間に生まれたというわけです。
 彼の理論で生まれたと予測される宇宙全体の水素とヘリウムの生成比が現在の宇宙に存在する比率に近かったこともあり、この説は高い評価を受けることになります。しかし、証拠もなにもないSF的な説だったこともあり、発表当時は珍説のひとつとみなされていたようです。
 ちなみにジョージ・ガモフがこの「ビッグバン理論」(α、β、γ理論)を発表したのは、1948年4月1日のことです。その発表者の名前の頭文字が「α、β、γ」となるようにメンバーを選んだといいます!まさか彼がその説をエイプリル・フールのネタとして発表したとは思えないのですが、もしかすると将来そうなってもしかたないと、自分自身考えていたのかもしれません。

<ビッグバンのなごり>
 その後、素粒子の研究が進む中で彼の理論は細かな部分で修正されてゆきましたが、現在では基本的に「ビッグバン理論」は最も信頼性の高い理論と考えられています。しかし、そうなったのには、ある重要な証拠の発見がありました。それはガモフが予言していた「幻の光」の存在を証明することでした。
 ガモフの予言とは、かつてビッグバンが起きた時に発せられた最初の熱核反応の残光が今でも観測できるはずだというものでした。
 科学者たちの間で「宇宙原理」と呼ばれる仮定があります。宇宙は限りなく無限に近い範囲であるため、いかなる場所も均質であり、中心も端もないと考えてよいという仮定に立つことをいいます。(本当は無限の広さと考えるべきかもしれませんが、光の速さで膨張を続けている限り、光の速さを越えられない人類にとって無限に広いと考えて考えることが可能だということです)この「宇宙原理」基づくと、ビッグバンとともに発せられた光は今でも宇宙のどこででも観測可能と考えられるわけです。逆にいうと、宇宙中のどこででも観測できる「光」を発見できれば、それこそかつて宇宙のすべてだったビッグバンの名残だということなのです。ガモフはその発見こそが「ビッグバン理論」の証拠になるはずだと予言していたのでした。

<黒体輻射>
 黒い物体が熱を吸収しやすいことはよく知られています。ところが黒い物体はその逆に吸収した熱を逃がしやすい面もあります。もし、宇宙の背景(黒い物体)にビッグバンの時に強烈な光が逃げ続けていることになるはずです。この輻射熱を黒体輻射といいます。そして、宇宙に存在する黒体輻射こそ、ビッグバンの「光」が残した宇宙の最も古い「熱」であり、それは絶対温度にすると7Kぐらいになるだろう。ガモフはそこまで予言していたのでした。しかし、その予言が証明されたのは、それから20年近い後、1964年のことになります。それも、その発見は偶然であり、発見者は天文学者でも物理学者でもありませんでした。それは一企業のサラリーマン研究員でした。

<3K輻射>
 電話を実用化させアメリカ中に普及させたベル電話公社の二人の若手研究員アルノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンがその主役でした。1964年、二人は通信用の人工衛星から送られてくる電話から雑音を取り除く作業をしていました。ところが、どんなに部品を換えたり磨いたりしても、ある一定のノイズがなくならずに困っていました。すると、そのことを聞いたある人物がプリンストン大学で銀河系からやってくるマイクロ波の研究をしているロバート・ディッケなら、その正体がわかるかもしれないと教えてくれました。さっそく二人は自分たちのデータをディッケに見せたところ、彼はすぐにそれがビッグバン初期の残存輻射(「宇宙輻射」)に違いないと気づいたのです。それは温度にして絶対温度3Kに近い値だったことから三K輻射と呼ばれることになります。そして、これこそがジョージ・ガモフが予言したビッグバン理論を証明する最強の切り札となったのです。
 この三K輻射を観測できたということは、ビッグバン理論を証明したということだけではありません。それは三K輻射が放たれたビッグバンからわずか30万年後の宇宙を観測しているのと同じことなのです。我々が今見ている太陽が常に8分前の太陽であるように、我々が星を見るということは、その星が目に映る姿を光に乗せて発した過去の瞬間を見ていることでもあります。したがって、今我々は現在の地球から宇宙の歴史をさかのぼり、ビッグバンから30万年後の宇宙までは知ることができるようになったわけです。そうなるとあと残りは30万年。現在進行形で21世紀に入って研究が進められている素粒子物理学の研究は、もしかするとそこからさらにさかのぼり、残り30万年からビッグバンの瞬間までの歴史を明らかにするかもしれません。ちなみに、2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部教授ら3人の研究は、そのための手がかりとなる重要な研究でした。
 しかし、ここから先、宇宙誕生の瞬間までたどり着くことができたとしても、そこから先、「誕生以前の歴史」もしくは「なぜビッグバンが起きたのか?」という究極の謎は、それらの研究とはまったく別ものかもしれません。それは「宇宙の始まり」というよりも「時間と空間の始まり」の謎を解くことだといえます。そこまでくると、いよいよ神の領域なのかもしれません。ただひとついえるのは、デカルトが言ったあの言葉。「我思う、ゆえに我あり」です。
 今現在「宇宙とは何か?」を問う人類が存在するこの世界こそ、「存在」そのものなのかもしれないということです。
 人類が存在するからこそ、宇宙は存在しているのだ。そう信じている物理学者は多いようです。(あのスティーブン・ホーキングもそう考えている物理学者のひとりのようです)宇宙の存在を認識する「意識」の存在がなければ、どんなに数多くの平行する宇宙が存在しても、それは「存在しない」ことと同義である。これは僕ももっともだと思います。
 そう考えると、神の存在を認識する「意識」が存在するなら、やはりそこには神は存在する。そう考えることも可能なのかもしれません。科学と哲学、そして神学は、この領域ではもう区別がつかないといえるかもしれません。

<ビッグバン以前の宇宙>
 ビッグバン以前にも宇宙は存在したのか?
 今、ビッグバンの前の過程が存在するという理論が常識となりつつあります。それは「インフレーション理論」と呼ばれています。この理論から見えてくる宇宙とはいかなるものか?
 2013年時点における最新の宇宙論については、新たなページを制作しました。
宇宙の始まり「ビッグバン」以前に何があったのか?


<締めのお言葉>
「かつてアインシュタインは『宇宙をつくるにあたって、神には選択の余地がどれだけあったろうか』と疑問を投げかけたものだが、実際、宇宙の基本定数が示している方向はたった一つ、われわれの存在を至上目的とするかのような方向だけで、神には他を選ぶ自由はまったくなかったといえるほどなのである」
「そして今なお、われわれは究極の物質を探し求め、宇宙万物に働く四つの力を一つに統一しようという野心を持ち続けている。そうした試みはとりも直さず、宇宙誕生の瞬間に向かって、人間の尺度からすれば無限の時をさかのぼることに他ならないだろう。
 われわれの目の前に存在するのは、永遠の未来ではなく、無限の過去なのである。

松井孝典著「宇宙誌」より

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