- ヴァン・モリソン Van Morrison -

<アイルランドへの想い>
 海外で最も行ってみたい国、それはここのところずっと「アイルランド」です。二児の父となってしまった今、その想いは永久に果たせないかもしれませんが、だからこそ、想いだけはつのってきます。
なぜ、アイルランドなのかというと、それにはいくつかの理由があります。

<謎に満ちたケルト文化>
 第1の理由は、アイルランドが謎に満ちたケルト文化の中心地であったことからきています。このケルト文化こそ、ヨーロッパ文化の底流であり、それが今でもヨーロッパ各地で活躍を続けているケルト系音楽へとつながっているからです。そのうえ最近の研究によれば、ケルトの民は、コロンブスよりも早くアメリカ大陸やカリブの島々にも到達し、各地に音楽的影響を残したと言われています。(この点を音楽紀行とういう形で検証したのが、アイルランドを代表するベテラン・バンド、チーフタンズ「サンチアゴ」です!これは必聴です)

<空撮で見たあの絶景>
 第2の理由は、やはりアイルランドの風景でしょう。デビッド・リーン監督の映画「ライアンの娘」やドナルド・サザーランドの「針の目」における断崖絶壁の風景、それとは対照的なジョン・フォード監督の名作「我谷は緑なりき」の美しい田園風景(この映画が白黒だったとは、今でも信じられません)、それに音楽映画の傑作ザ・コミットメンツにおける、うらぶれた街並み。どれを見ても素晴らしかった。そして、本物を見たいと思いました。

<アイリッシュ・パブの魅力>
 第3の理由は、アイルランドならではのビール「ギネス」やアイリッシュ・ウィスキーを飲みながら、ご当地のアイリッシュ・サウンドを満喫できる「アイリッシュ・パブ」の存在です!夜中にならないと盛り上がらないようなので、寝不足は必至と覚悟してゆかねばならないようです。

<音楽の国、アイルランド>
 第4の理由は、ミュージシャンの宝庫と言われるアイルランドのCDショップやストリート・ミュージシャンの数が世界一と言われるダブリンの街並みなど、音楽の旅としての魅力にあふれていることです。

<そして、ヴァン・モリソンの存在>
 その他にも、いろいろあるのですが、もうひとつ重要な理由があります。それが、ヴァン・モリソンの存在です。もちろん、アイルランドまで行かなくても、聴くことはできるかもしれません。しかし、ヴァン・モリソンは今まで一度も来日していないし、死ぬまで来日が実現することはないと言われています。なぜなら、彼は飛行機が大嫌いだからです。(単に、わがままだからと言う説もあるし、気が小さく神経質だからと言う説もありますが)それで、今まで何度かあった来日の要請は、すべて断られてしまっています。したがって、ヴァン・モリソンこそ「見果てぬ夢:アイルランド」の象徴なのです。

<アイドルを拒否した男>
 彼は1943年8月31日、北アイルランドのベルファストに生まれました。最近の彼は髪は薄いし、背は低い小太りの中年男ですが、かつてはれっきとしたアイドル・スターだったとは、ちょっと驚きです。しかし、1965年にゼムというブルティッシュ・ビートロック・グループのメンバーとして華々しくデビューを飾った当時は、ビートルズやローリング・ストーンズらと並び称されるアイドル・グループのヴォーカリストとして、脚光を浴びていたのです。(この当時のヒット曲が、後にドアーズパティ・スミスらにカバーされた名曲「グローリア」です)その上、彼は64年頃から本格化したブリティッシュ・インベイジョンと呼ばれるブリティッシュ・ロック・バンドのアメリカ進出においても、見事な実績を修めアメリカでの活躍も期待されていました。しかし、この時期アイドルを目指すことは、決してヒップなことだとは言えませんでした。エリック・クラプトンも、同じようにアイドル路線を行こうとしていたバンドの姿勢に反発してヤードバーズを脱退しているように、ヴァン・モリソンも、バンドを離れソロの道を歩むことを選びます。

<孤高の道への第一歩>
 1968年、ゼム時代から彼を評価し、アメリカ進出を奨めてくれた彼の所属レーベル、バング・レーベルのオーナー、バート・バーンズ(「ツイスト&シャウト」の作曲者としても有名)が急死し、彼はワーナーに移籍、そこで今までのブルース・ロック路線とはまったく違う独自のスタイルのアルバム「アストラル・ウィークス」を制作。ジャズ的な要素(フルート、ヴァイブを使用、ノン・ドラムスの曲など)を持った異色の作品は高い評価を受けますが、商業的には完全に失敗しました。(15年早すぎた?)そのため、次作「ムーンダンス」では、再びR&B色を強め、ジャズ、ロックのバランスも程良くまとめてセールス的にも成功し、ブルー・アイド・ソウルの第一人者としての評価を得ます。しかし、彼の目指すものは、あくまでも、「アストラル・ウィークス」であったことは、80年代以降に発表された作品群からも明らかです。彼は、こうして孤高のアーティストとしてのスタートを切ったのです。

<迷いと苦しみの時代を経て>
 その後の彼の作品は、女優でもあった愛妻ジャネット・プラネットとの別れや音楽ビジネスへの失望、そんな苦しみから始まった麻薬依存症との闘いの中でも、常に前向きの姿勢を貫いていました。ブルー・アイド・ソウルの傑作「トュペロ・ハニー」や素晴らしいライブ・アルバム"It's Too Late To Stop Now"ドクター・ジョンの協力を得た"A Period Of Transition"、精神的な闘いからの復活宣言と内面の世界を追求し始めた傑作"Into the Music"など、実にコンスタントに作品を発表し続けます。その精神的な力強さの元には、キリスト教だけでなく、禅宗や仏教など、彼ならではの宗教心の存在が不可欠だったようです。

<自分だけのソウル・ミュージックへの到達>
 80年代に入り、彼のサウンドは、まるで悟りを開いたかのような美しい独自のスタイルを持つようになります。それは、ブルー・アイド・ソウルという白人によるソウル・ミュージックの模倣とは、まったく別の本当の意味の「ソウル・ミュージック」の誕生と言えました。彼のみが到達し得たこのサウンドは、誰にもマネすることはできないでしょう。"Poetic Champions Compose","Avalon Sunset","Enlightement"どれをとっても美しい作品ばかりです。

<アイリッシュ・トラッドへのチャレンジ>
 1988年、彼はアイリッシュ・トラッドの大御所、チーフタンズとの共演作をリリースしました。("Irish Heartbeat")あれだけソウルフルな歌を歌っていながら、なおかつ自らが北アイルランドのベルファスト出身という生粋のアイリッシュでありながら、何故かアイリッシュ・トラッド的なサウンドを避けていたヴァンが、ここにきてアイリッシュ・トラッドに挑んだのは、やはり精神的な充実のおかげなのでしょうか?

<魂の伝道師>
 彼の最近の作品は、どれも素晴らしいのですが、金太郎アメのように、どれもが同じに聞こえてしまうと言う人もいます。確かに、そう聞こえるかもしれません。でも、それはそれで良いのです。なぜなら、彼の歌は、毎週日曜日、教会で行われる神父さんの説教のような存在だからです。毎週毎週聞きに来る信徒たちに、繰り替えし「神とともにある喜び」を伝えるのが、彼の仕事なのです。ちょっと聞くと同じように聞こえるのは、しようがないのです。逆に、いつどの作品を聞いても素晴らしいのが、ヴァン・モリソンなのです。(ちなみに、我が家は、昔からプロテスタントのクリスチャン・ホームです。そのことは、ソウル、ロックなど、英米の音楽を聴く上で、ずいぶん役に立っているようです。ヴァン・モリソンの住むアイルランドは、カトリックの国、その違いは、プロテスタント国家イギリスとのアイルランド紛争を見れば明らかです。しかし、このお話こそ、奥が深すぎますので、宗教のサイトにて追求して下さい)
 それにしても、アイルランドとヴァン・モリソン、遙かに遠い夢のような存在だ。

<締めのお言葉>
「幻想の恋は、現実の恋よりうんと良い。しないことは非常に刺激的だ。けっして会うことのないふたりの間には、最も強烈な魅惑が存在する」 アンディー・ウォーホル

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