ギターインストというポップ音楽の創造者


- ザ・ベンチャーズ The Ventures -
<ロック史とベンチャーズ>
 ベンチャーズをロックの歴史において、どう位置づけるのか?
 70年代のロック黄金期には、すでにベンチャーズは懐メロ的存在になりつつありましたが、20世紀の終わりまで活躍を続け、50枚以上のアルバムを発表した現役のバンドだったことは確かです。でもエレキブームも知らず、ギターも弾けない僕としては、「そんなにベンチャーズって偉大なの?」という感じになってしまいます。
 たぶん1960年代にリアルタイムで彼らの音楽を聴き、ロックと出会った人でないと、彼らを正当には評価できないのかもしれない。そう思いながら、改めてベンチャーズについて振り返ろうと思います。

<ベンチャーズ誕生>
 ベンチャーズ The Ventures が誕生したのは、ロックンロールのブームが落ち着いた1960年のこと。アメリカ西海岸のシアトルで白人の若者たちによって組まれたバンドでした。
 ノーキー・エドワーズ(1939年5月9日ワシントン州タコマ生まれ)がリード・ギター。ボブ・ボーグル(1937年1月16日オレゴン州ポートランド生まれ)がベース。ドン・ウィルソン(1937年2月10日タコマ生まれ)がリズム・ギター。ホーウィー・ジョンソンがドラムでしたが、1962年交通事故の後遺症により脱退し、以後はメル・テイラー(1933年9月24日NY生まれ)が参加しています。
 当初は、ヴァーサ―トーンズというバンド名で自分たちのレーベル「ブルー・ホライズン」から「クッキー&コーク」という曲をリリース。地元でそこそこの人気バンドになっていました。その後、バンド名をベンチャーズに改めて、あの有名な「Walk Don't Run」をリリースしますが、まったくヒットしませんでした。そこで、ここで彼らはメジャーのリバティ・レーベル傘下ドルトンに移籍します。そして「Walk Don't Run」を再リリースすると、なんと全米2位の大ヒットになり、200万枚を売り上げるセールスを記録します。勢いに乗る彼らは、音楽ビジネスの中心地ロサンゼルスに活動拠点を移します。
 セカンド・シングル「Perfidia」(1960年)は、スタンダード曲をカバーしたシングルで全米15位のヒット。この時点で、彼らのスタイルはオリジナル曲の演奏ではなく、既存曲のカバーへと移項します。サード・シングル「ラム・バンク・シャシュ」もまた50年代R&Bのカバーで全米29位のヒットとなりました。
 オリジナル曲よりも、埋もれた過去の曲やスタンダード曲、映画やテレビの曲などを掘り起こし、それを自分たち流にリメイクするスタイル。これが彼らの息の長い活躍の基礎となります。それは、後にヒップホップが行った過去曲のレコードを楽器として利用し、再利用したのとちょっと似ていたかもしれません。その意味で、彼らのスタイルは革新的だったと言えるのです。

<ヒット連発>
 1962年、ツイスト・ブームに合わせたツイスト曲のカバー・アルバム「Twist With the Ventures」を発表。
 1963年、アルバム「The Ventures Play Telstar, The Lonely Bull」は、大ヒットした英国のインストヒット「テルスター」などのカバー集。
 1964年、リチャード・ロジャースの名曲をカバーしたシングル「十番街の殺人」が久々のヒットとなりました。
 1964年、宇宙開発のブームに乗ったアルバム「ベンチャーズ 宇宙へ行く」。
 1965年、「ノック・ミー・アウト」。
 1967年、アルバム「Golden Great by the Ventures」は、他のアーティストたちのヒット曲を集めたベストカバー集。
 1969年、テレビドラマ「Hawaii Five-0」のテーマをカバーしたシングルは、全米4位のヒット。
 こうした彼らのリメイク作業は、自分たちの曲についても行われ、「Walk - Don't Run '64」は、自分たちの大ヒット曲のリメイクですが全米8位のヒットになりました。ロックの歴史がまだ浅い中、彼らのようにロックのヒット曲をリメイクするスタイルは他になかったことも新鮮だったのでしょう。
 1960年代、進化を続けるロックの歴史の流れの中、彼らはそれらのヒット曲を自分たち流にポップにアレンジすることで成功を収めました。

<ギター小僧のアイドル>
 1950年代に現れたロックン・ロールは、60年代に入ると全米の若者たちだけでなく、海外の若者たちにまで広がり始めます。エレキギターなどの楽器も大衆レベルに広がり、誰でもバンドが組める状況が生まれたことで、その先駆だったベンチャーズは彼らのアイドル的存在となりました。
 黒人ブルースマンのようにハイテクで奥の深いギターテクニックを披露するのではなく、前衛的なアドリブやジャズ的インプロビゼーションもない彼らのサウンドは、ギター小僧たちの登竜門としての役割を果たしたと言えます。最初にファズ・ボックスを使用したのは彼らでしたが、それもすぐに誰でもマネできるようになります。
 1965年のアルバム「Play Guitar with the Ventures」には、彼らの4つのヒット曲をひとつづつ楽器を削って録音したヴァージョンが収められています。そのレコードがあれば、バンドメンバーがいなくても、一人でバンド・メンバーになれるという面白い企画でした。参加型レコードという画期的な発明と言えます。その意味で、彼らはエレキギター文化の開拓者として大きな役目を果たしたと言えそうです。

<その後のベンチャーズ>
 ベンチャーズは、その後、ブームが去った後も、メンバーを入れ替えしながら活動を続けます。
 1968年、ノーキー・エドワーズが脱退。ジェリー・マギーがギタリストとして参加。1969年には、ジョニー・ダリルが5人目のメンバーとして参加し、キーボードを担当。
 1970年代に入ると、彼らの音楽は時代遅れになり、ヒットチャートからは消えてしまいますが、その後も20年以上に渡り、アメリカでツアーを行い、日本にも何度も来ています。
 1981年には、オリジナル・メンバーによる一時的なライブ活動も行われていました。

 ロックの歴史のおいて、楽器がその前面に出ることはほとんどありませんでした。その数少ない例外が、60年代のギター・インスト・ブームにおけるエレキ・ギター。60年代末のプログレッシブ・ロックのブームにおけるオーケストラやキーボード。70年代半ばのテクノ・ブームにおける電子楽器とコンピューター。そして、80年代ヒップホップ・ブームにおけるレコード・プレイヤーなどが思い出されます。
 どれもブーム当初は、その革新的な先駆者が生み出したテクニックやアイデアが原点となり、それがハードウエアの開発と上手く連動した結果でした。そこに同時代の若者たちが飛びつき、いつしか大衆レベルへと広がったのでした。
 ベンチャーズは、そうしたロックにおける先駆者の一人であると同時に、そのブームを世界中に普及させた伝道者でもあったわけです。

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