光をあやつる謎の錬金術師

- ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer -

「真珠の耳飾りの少女」、「絵画芸術」、「レースを編む女」・・・

<謎多き画家>
 フェルメールという画家は、17世紀に活躍した人物なので本来このサイトに載せるべき存在ではありません。しかし、この画家の存在は長い間忘れられていて、その作品も失われかけていました。ところが、19世紀に印象派の作品が一大ブームとなると、それらの作品に影響を与えたとして、フェルメールの作品が再評価され始めます。それは彼の描いた対象が、宗教でも寓話でもなく、ごく普通の人々の日常のワンシーンを切り抜いたからだったのでしょう。
 さらに20世紀に入ると、彼の作品は数が少ないこともあり、価値が高騰します。そのため20世紀に入り何度も盗難事件が起き、そのたびにフェルメールの知名度は上がることになりました。現在もなお彼の作品は評価を高めつつあり、今後もまだ再発見される可能性が高い今もまだ生き続けている存在なのです。その理由のひとつには、彼の作品には未だに解けない謎が多いことがあります。その分、分析すればするほど、新たな発見があるのが彼の作品なのです。
 現在、彼の作品であるとされている絵画は、世界中にわずか37点しかありません。ここでその作品を描かれた年代順に36点ご紹介させていただきます。例によって、文章のみによる紹介ですが、実物の絵画はネットで簡単に見ることができます。(もちろん本物とは大違いなのですが・・・)

<前衛の画家>
 ここで参考にさせてもらった「光の王国」福岡伸一(著)では、著者が顕微鏡の開発者でもある科学者レーウェンフックとフェルメールとの関わりについて言及しています。フェルメールの作品がもつ「科学的」とも呼べるほどのリアリズム描写は、レーウェンフックという偉大な科学者(微生物学)との交流のおかげではなかったのか?というのです。フェルメール作品の研究が進む中で、彼が行っていた科学的ともいえる技法は明らかになりつつあります。しかし、そうしたフェルメールのリアリズムへのこだわりは、当時の最新スタイルという以上に「前衛的」な作品だったのかもしれません。だからこそ、彼の作品は理解されずに忘れ去られるところだったのだと思います。
 もし、タイムマシンがあれば、インタビューしてみたい画家ナンバー1は、ウォーホルでも、ゴッホでも、ピカソでもなくフェルメールかもしれません。とにかく謎ばかりの人生なのですから・・・。
 「フェルメールの部屋」と「窓」は、どうやって誕生したのか?本当にその部屋は彼の家にあったのでしょうか?
 絵具の3原色「黄」「赤」「青」(正確には「赤紫」「黄」「水色」)を決まりごとのように使っていたフェルメールにとって、その3色はいかなる存在だったのか?
 さて、フェルメール35作品を巡る旅のスタートです。

<オランダ・デルフト市にて>
 ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer は、1632年10月オランダのデルフト市に生まれ育ちました。彼の父親はデルフトの一等地マルクト広場に面した場所で宿兼酒場のメーヘレン亭を経営していました。さらに父親は画商もやっていたらしく、フェルメール少年が絵を学ぶことを支援してくれました。そのため早くから画家を志した彼は、1653年21歳でデルフト市の芸術家ギルド、聖ルカ組合に入会を認められ、市公認の画家として働けるようになりました。それにより、彼は自分の作品を自由に売買することができるようになり、弟子をとることも可能になりました。これは当時としては画家としてかなり有利な立場を得たといえるでしょう。
 さらに彼はその資格を得た年にデルフトの資産家令嬢カタリーナ・ボルネスと結婚。その後、夫婦は14人もの子供をもつことになります。当初、彼は結婚を妻の実家から反対されていたようです。宗教的なちがいや彼の家がヤクザ系ともいえる裏稼業の家柄だったせいもあったようです。それでも彼が真面目な人物だったことや経理などができる才能を持っていたことから、しだいに義理の母の信頼を得てゆきました。実は、義理の母親はDV夫と離婚したばかりだったようで、それも結婚に慎重になる原因だったともいわれます。
 彼は両親が経営していたメーンヘレン亭の経営も受け継ぎ、妻の実家からの援助もあり、充分な十分な経済力を得ることができました。そのおかげで、寡作ではあっても、高級で長持ちする絵具を用いた作品を生み出すことができたといえます。住んでいた家も、妻の実家の豪邸でした。そのため、部屋もいっぱいあり、なおかつ家賃もいらなかったのです。それにお手伝いさんもかなりの人数雇っていたらしく、その中にあの「青いターバン美少女」がいたかもしれないわけです。
 時代は17世紀半ば、オランダは小さな国土ながらいち早く海運立国で利益を上げ、経済的な黄金時代になりました。そんなバブルな時代のおかげもあり、ルーベンスやヴァン・ダイクらの画家も活躍し、芸術においてもオランダは黄金期を迎えていました。そんな時代に彼は画家としてのキャリアをスタートさせます。

<フェルメールの初期作品>

「マリアとマルタの家のキリスト」(1)
(1654~1655年?)スコットランド国立美術館
 フェルメールの作品中、最も大きく最も初期の作品。彼にとっては珍しい宗教画ですが、当時画家として絵を売るには先ず家に飾りやすい「宗教画」から始めるのが普通だったようです。しかし、彼の信仰心の問題のせいなのか?キリストも女性たちもずいぶんリラックスしていて、「宗教画」的な厳かな雰囲気は少ない気がします。
 それでも、よく見るとキリストからはうっすらと光が発せられていて、それが後の「フェルメールの窓」からさす光のようにも見えます。「フェルメールの光」は、ここですでに生まれつつあったのです。

「聖女プラクセデス」(2)
(1655年?)個人所蔵で2014年オークションに登場
 19世紀イタリアの画家フェリーチェ・フィケレッリによる「聖女プラクセデス」を模写したものと言われている。一応、フェルメール作品とされているが題材と言い、絵全体の雰囲気といい他の作品とはかなり違い、フェルメールの作品ではないという意見もある作品です。

「ダイアナとニンフたち」(3)
(1655~1656年?)マウリッツハイス美術館(ヨーハン・マウリッツ公の私邸を使った美術館)
 テーマといい、画風といい、フェルメールの作品かどうか自体に疑問がある作品。確かにまだフェルメールらしさは感じられません。
 この当時の作品はまだあるのではないかと言われていますが、署名がなく、日記のようなものも彼は残していなかったため、証明も困難なようです。フェルメール自身もまだどんな作品を描くべきかテーマを決めきれていなかったのでしょう。

「取り持ち女」(4)
(1656年)ドレスデン市アルテ・マイスター絵画館
 フェルメールが最初に描いた「風俗画」といわれています。またの名を「遣り手婆」といいます。
 グラスなどの小道具は、すでに彼らしい緻密な描き方によって本物そっくりに描かれています。さらにこの作品の分析により、当時彼はこの作品で多くの技術的な実験を試みていたことがわかりました。ただし、描かれている人々の下品な感じは、まだ彼が誰を描くか、何を描くかを決めかねていたからかもしれません。彼の透明感に満ちた画法には被写体もまた透明感が似合うはず。多くの人は、彼が描く人々は実在の人間ではない抽象的で純粋な存在である「トロール」(想像上の理想のキャラクター)ではないかと考えたのはそのせいだったのかもしれません。
 ちなみにこの絵の左側で笑っている人物は、フェルメールだという説があります。

「眠る女」(5)
(1657年?)メトロポリタン美術館
 フェルメールが室内の日常を描いた最初の風俗画。
 「フェルメールの部屋と窓」が登場する前の過渡期の作品。ドアの向こうの部屋には犬や男性が描かれて消された跡が発見されています。「フェルメールの部屋」誕生への試行錯誤が行われた作品のようです。
 この絵で女性が眠る姿は上からの俯瞰で描かれていますが、奥の部屋は奥まで見えるように低い視点で見ています。リアルにそのままを描くのではなく、様々な視点から描くのもフェルメール・スタイルです。奥の部屋は女性の夢の中の世界なのでしょうか?

<メトロポリタン美術館>
 ニューヨークのセントラルパークそばに立つ200万点以上の美術品を所蔵するアメリカ最大の美術館。5点のフェルメール作品を所蔵する。

<「フェルメールの部屋と窓」登場!>
「窓辺で手紙を読む女」(6)
(1657年?)ドレスデン市アルテ・マイスター絵画館
 「フェルメールの部屋と窓」両方が初めて描かれた作品。なぜ彼はこの部屋を背景に人物を描くようになったのでしょうか?単に、彼の家にその部屋があったからでしょうか?
 この「フェルメールの部屋」にはカーテンがかかっています。カーテンの揺れ具合が、手紙を読む女性の心の揺れのように見えるのですが・・・。
 この絵の中、後ろの壁にはキューピットの絵が描かれていて、消されていたことがX線調査でわかっています。残っていれば明らかに恋文だとわかってしまいますが、それをあえて消すところが「フェルメール」なわけです。
<室内画への転向>
 1650年代、デルフトでは室内画が大流行していたことがわかっています。同じオランダの画家では、ピーテル・デ・ホーホ、ヤコブス・フレル、ピーテル・ヤンセンス・エリンハなどがそうした室内画で人気を得ていたといいます。彼はその流れに乗るために「部屋」を用いて「室内画」を描き始めたのかもしれません。そうした作品の中には、フェルメールに匹敵するレベルの作品もあり、けっして彼だけが時代の先を行っていたわけではないようです。特に、ピーテル・デ・ホーホは構図などの面でフェルメールに影響を与えた画家と言われています。彼の絵には、「フェルメールの部屋」にそっくりの間取りで床の模様までが似たそっくりの部屋を背景にした作品があります。それを見る限り、「フェルメールの部屋」はけっしてフェルメールのオリジナルではないことになります。そうなると問題は、そこに描かれた人や物にあたる光のとらえ方にあり、そこにこそ「フェルメールの秘密」が隠されていると考えられそうです。
 オランダという国は、いち早く市民社会として成熟した国で、その支配階級は王侯貴族ではなく成功した市民階級でした。そのため、画家にとって王侯貴族のパトロンを期待することはできず、彼らの肖像画を描く商売も成り立ちませんでした。では成功した市民階級の人々は何を求めたのか?それが市民生活に結びついた風俗画であり、室内画だったわけです。

「小路」(7)
(1657~1658年?)アムステルダム国立美術館
 フェルメールが生まれ育ったデルフトの街の雰囲気がわかる数少ない風景画。他にもこうした風景画があったのですが、行方不明になっています。

「兵士と笑う女」(8)
(1658年?)フリック・コレクション蔵(ニューヨーク)
 「フェルメールの部屋」でその部屋の窓を背景に兵士と女が語り合う場面を描いています。表情が実にリアルで笑顔になった瞬間を見事にとらえています。まだフェルメールらしい柔らかな光ではなく、陰影がはっきりした作品です。兵士はあくまで脇役ということでしょうか。

「牛乳を注ぐ女」(9)
(1658~1660年?)アムステルダム国立美術館
 いよいよ「フェルメールの部屋と窓」が完成の域に達してきました。テーブルの上のパンやパン籠の描写が実に緻密です。部屋の隅々までリアリズムにこだわって描かれ、手抜きがありません。
「フェルメールの絵は、こうした細部でできている、と言ってもいいかもしれない。ものという細部。意味まで行かない細部。・・・」
有吉玉青「恋するフェルメール」より
 フェルメールの絵を見るには「ミニ望遠鏡」があるといいのかもしれません。
 実は、ミルクを乗せたテーブルは遠近法的に間違っているようです。でも現実とは異なる比率で描いてこそリアルに見える場合もあるし、心に残る場合もあるわけです。これこそが「フェルメール・マジック」なのでしょう。

「紳士とワインを飲む女」(10)
(1658~1660年?)ベルリン国立絵画館
 「フェルメールの部屋」を引きでとらえ広く描いています。バランスのとれた完成度の高い作品ですが、逆にフェルメールらしくないようにも思えます。
 女性がワインを飲みほした瞬間を見事にとらえているのですが、グラスによって女性の顔が隠されています。ということは、ここではこの女性は主人公ではなく、「瞬間」をとらえることがこの作品のテーマだったのでしょうか?

「二人の紳士と女」(11)
(1659~1660年?)アントン・ウルリッヒ公美術館
 この作品のタイトルですが、なぜ男は「紳士」で女は「淑女」ではなく「女」なんでしょう?ちょっと失礼じゃないかなと思うのですが・・・。(もちろんフェルメールのせいではありません)
 同一人物のようにも見える二人の男性が同一画面に描かれ、女性は画面を見る我々の方を見て何か言いたげです。なんとも、不思議な部分が多い作品です。
 もしかすると二つの異なる瞬間を同一画面に描いたのかもしれません。
 「フェルメールの部屋と窓」を用いた実験的作品で完成されていなかったのでしょうか?謎多きフェルメールらしく研究しがいのある作品です。

「稽古の中断」(12)
(1660~1661年?)フリック・コレクション蔵
 「フェルメールの部屋」「フェルメールの窓」を前に楽器の譜面を手にこちらを見る女性。ここからフェルメールの作品には多くの楽器が登場し始めます。
 ギター、フルート、リュート、ヴァージナルなどが描かれた作品は、わかるだけで12作品になります。きっとフェルメール自身、音楽が好きだったのでしょう。

「デルフト眺望」(13)
(1660~1661年?)マウリッツハイス美術館(オランダ・ハーグ市)
 フェルメールが暮らしていた当時の街の様子が見事に描かれています。現在でもデルフトの街は当時とほとんど街の様子は変わっていないので、その正確さを確認することができます。

「天秤を持つ女」(1)
(1662~1664年?)ワシントン国立芸術館
 「フェルメールの部屋と窓」を前に描かれた作品。この後の作品「フルートを持つ女」にも登場する女性と同一人物のようですが・・・。
 ヨーロッパを転々とした後、アメリカの画商ノードラ―によってワイドナー家に売られた作品。ノードラ―を中心にアメリカの画商がフェルメールの作品を多くアメリカに運びましたが、フェルメールのリアリズムはアメリカ人好みだったのでしょうか?単にお手頃価格だったからではないと思うのですが・・・。
 後ろの壁にかかる絵は宗教画「最後の審判」です。「天秤」と「審判」ですから意図がある作品なのでしょうが、単純に美しい作品と見たいものです。

「青衣の女」(15)
(1662~1664年?)アムステルダム国立美術館
 「手紙を読む青衣の女」ともいわれる作品。「フェルメールの部屋」で描かれた作品ですが「窓」は描かれていません。「窓」を描かずに「やわらかな光」によって「窓」の存在を示しています。女性の青い衣装は「窓」の外の「青い空」をイメージさせるための工夫かもしれません。
 後に、この作品を見たゴッホはエミール・ベルナール宛の手紙にこう書いています。(1988年)
「そこで、君は例えば、とても美しい身重のオランダ婦人を描いたフェルメールという画家を知っているかい。この一風変わった画家のパレットは青、レモン黄、パールグレー、黒、白だ。・・・」

「音楽の稽古」(16)
(1662~1665年?)バッキンガム宮殿内ピクチャーギャラリー
 女王が不在の時だけ公開されるという作品。「フェルメールの部屋」がかなり広めに描かれていて、その中央にフェルメールが好きな「赤」「青」「黄」が配色されています。
 ヴァージナルという小型のチェンバロ(ピアノの古い形)を弾く女性が描かれています。

「窓辺でリュートを弾く女」(17)
(1664年?)メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
 「フェルメールの部屋」で「窓」の前でギターに似た楽器リュートを演奏する女性。「リュートを調弦する女」というタイトルもあり、そっちの方が合っている気もします。彼女は窓の外を見ているのではなく、調弦の音の耳を傾けることでなんとなく窓の方も向いていると考えた方が自然に思えるからです。音楽を演奏する自然な姿をとらえた貴重な絵画作品。
 ただし、「楽器」が恋愛の寓意だとすれば、彼女は愛する人のことを思っていると考えることもありですが・・・。

「真珠の首飾り」(18)
(1664年?)ベルリン国立絵画館
 「フェルメールの部屋と窓」を背景に時間を止めて、物思いにふける女性の表情を見事に画面に収めています。窓からのやわらかな光が映し出す女性の表情の微妙な美しさは、フェルメールならでは。
 たぶん彼女は「リュートを弾く女」と「刺繍をする女」と同一人物だと思われます。彼女が着用している黄色いガウンはフェルメールの奥さんのものだったらしいのですが、この女性はフェルメール夫人ではないと言われています。
 「黄色」もフェルメールが好む色で、この「黄色いガウン」らしき衣装は6作品に登場。その他にもブラウスやワンピースなど黄色の衣装は9作品には登場しています。
 2013年上野で行われたベルリン美術館展に来日した際、僕も本物を見ることができました!

「窓辺で水差しを持つ女」(19)
(1664~1665年?)メトロポリタン美術館
 「フェルメールの部屋と窓」を背景に一瞬の動きをとらえた作品。赤のテーブルクロスと青の衣装のコントラストが美しい作品でもあります。
 水の輝きが際立つ作品として印象的です。

「真珠の耳飾りの少女」(20)
(1665年?)マウリッツハイス美術館
 別名「青いターバンの少女」としても知られるフェルメールの代表作。この作品の誕生の謎に迫る小説をもとに、スカーレット・ヨハンソン主演で映画化もされています。(2003年公開「真珠の耳飾りの少女」監督はピーター・ウェーバー、フェルメールを演じているのはコリン・ファースです)
 その映画においては、その謎の少女はフェルメールの召使として描かれています。フェルメールの評価が高まるとともに、彼女の存在は「モナリザ」に匹敵する謎の美女となりつつあります。
 他の作品にも言えますが、彼の作品の「青」が21世紀に入ってもなお美しいのは、彼が使用していた絵具が当時の最高級絵具であり、鉱物のラピスラズリの粉末を含んだものだったせいです。(宝石としても有名なラピスラズリは当然、退色することがないのです)
 フェルメールには「青」の衣装や帽子などが登場する作品も非常に多くざっと数えて17点はありました。

「合奏」(21)
(1665~1666年?)行方不明
 ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館から盗み出され、行方不明になったままの作品。
 「フェルメールの部屋と窓」で行われる合奏の様子ですが、異なる絵を重ねたようにも見える不思議な作品です。妙に人物がぼやけていて幽霊のようにも見えます。未完成だったのではないかとも言われています。行方不明になっていることといい謎ばかりの作品です。
<イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館>
 ボストンの大富豪ガードナー氏の未亡人ガードナー夫人の個人美術館。彼女が生きている間は自宅兼美術館だった。イタリアのヴェネツィアにある宮殿を模したという美術館の建物自体が魅力的な異色の美術館でもあります。しかし、その分警備が甘かったために、1990年警官に変装した二人組にレンブラントの作品などともに「合奏」が盗まれることになりました。

「手紙を書く女」(22)
(1665~1666年?)ワシントン国立美術館
 またもや登場した黄色いガウンの女性。「フェルメールの部屋」で手紙を書くこの女性は、フェルメールの奥さん?召使にしてはあまりに色白ではかなげな美しい女性です。
 幼い少女のようにも見えるし、病弱な大人の女性のようにも見えますが、上流階級の女性にしか見えません。
 フェルメールの作品には楽器と並んで手紙や楽譜を読んだり書いたりする姿を描いた作品も多く、9点はあります。

「少女」(23)
(1666~1667年?)メトロポリタン美術館
 「真珠の耳飾りの少女」とこの作品だけが少女の上半身だけを黒一色を背景に描いています。この少女も彼の他の作品のモデルとは異なるようにみえます。
 彼女は空想の存在(トロ-ニー)なのではないかと言われているようですが、本当にそうでしょうか?
 「青いターバンの少女」に比べると、ちょっと幼いようにも見えますが、空想上の存在にしてはそんなに美しくもなく本物っぽく見える気がするのですが・・・

「赤い帽子の女」(24)
(1666~1667年?)ワシントン国立美術館
 「赤い帽子」の印象が強烈な作品。「黄」でも「青」でもない「赤」はやはり強い意志を持つ女性というイメージを生み出しています。
 他の作品とは違い実在の人物ではないかと思わせる個性的な肖像画です。ただし、フェルメールの作品ではないとの疑惑もある作品です。
 この作品もノードラ―によってアメリカに持ち込まれ、メロン財団が所蔵。その後、ワシントン国立美術館に寄贈されました。

「フルートを持つ女」(25)
(1666~1667年?)ワシントン国立美術館
 この作品もノードラ―によってアメリカに持ち込まれ、大富豪ワイドナー家に所有されていました。
 「フェルメールの部屋」を背景にしているようですが、雰囲気が他のフェルメール作品とは異なり、フェルメール作品ではないのではないかと疑問視する声もある作品。(この作品と「赤い帽子の女」だけがキャンバスではなく板に描かれている)
 しかし、主人公は「天秤を持つ女」と同じ衣装を着ていることは間違いなさそうです。

「絵画芸術」(26)
(1666~1667年?)ウィーン国立美術史博物館
 「フェルメールの部屋」で描かれていますが、「窓」は見えません。しかし、モデルの女性を照らす光が「窓」の存在を感じさせています。
 一説によると、この作品はフェルメール作品のプロモーション用に描かれたとも言われています。だからこそ、この絵の中で彼は様々な素材やモノ、背景を描き分けることで、その技量の高さを示しているのです。ということは、絵の中の画家はフェルメール自身ということになります。
 ただし、この絵の中の書きかけの肖像画はリアルではありません。その部分については、想像上の作品だったためにリアルには描けなかったとも言われています。
 プロモーション用だったためか、この作品は長くフェルメールの手元にありました。そのため、手入れも修復もなされることなく忘れられることになっていたことから、色のトーンが当初の色よりかなりくすんだと言われています。保存する美術館もあえて、元の作品の色に戻すことなく、自然に絵が変化するようにしているといいます。

「女と召使」(27)
(1667~1668年?)フリック・コレクション蔵
 「フェルメールの部屋」らしい場所ですが背景は黒一色。「窓」もありません。
 再び「黄色いガウン」の女性が登場。召使が彼女に見せている手紙には何が書いてあるのか?不安な一瞬をとらえたスリリングな作品です。
 微妙にドラマチックな一瞬を「永遠のフレーム」の中に収めることで、まるで映画の一場面のように前後を想像させてくれるのもフェルメール作品の魅力でしょう。

「天文学者」(28)
(1668年)ルーブル美術館
 「フェルメールの部屋と窓」窓からの光の柔らかさが絶妙です。
 描かれている机の上の天球儀などは当時の本物ですが、天文学者が使うものではなかったようです。「天文学者」というタイトルは、もともと後年つけられたものですから、描かれている人物が天文学者とは限らないということです。(このことは、他の作品のタイトルにもいえます)
 「光の王国」の中で著者が、この描かれている人物をレーウェンフックではないかとしているのも、「天文学者」とは限らないなら十分にあり得るということです。

「地理学者」(29)
(1669年)フランクフルト市シュテーデル美術館
 「天文学者」と同じ「フェルメールの部屋と窓」を背景にした作品で、同一人物のようにも見えます。男性一人を描いた作品はこの2作品のみです。
 実はこの年、レーウェンフックは測量技師の資格をとったらしく、その記念に描かれたのではないか?と福岡伸一氏は推測しています。

<「フェルメールの部屋」の完成と終わりの時>
「レースを編む女」(30)
(1669~1670年)ルーブル美術館
 「フェルメールの部屋」が舞台ですが、他の作品に比べ、人物をアップに収めた分、最も小さな作品です。(23.9×20.5cm)
 久しぶりに黄色いドレスの女性が登場していますが、この作品の彼女は一段とカワイイ。作者のフェルメール自身まだ30代ですから、この女性が彼の奥さんだとしてもまだまだ若いはずですが、14人も子供を産んでいるとなるとやはり奥さんではなにのでしょう。(どうやら奥さんはモデルにはならなかったようです)
 「レースを編む」というテーマそのものがフェルメールの細密な作品にぴったりということもあり、これもまた彼の代表作と言われています。まるでICチップのような作品といったのは赤瀬川源平です。

「恋文」(31)
(1669~1670年?)アムステルダム国立美術館
 「フェルメールの部屋」にたたずむ女性の前にはフェルメールの好む「手紙」と「楽器」二つのモチーフがあります。ただし、この二つは「愛」の象徴であり、そこに描かれている暖炉も「燃え上がる愛」を示すそうです。さらに後ろに見えている海の絵も、「恋愛」を暗示することから、女性が読む手紙が「恋文」であることは明らかだったようです。しかし、こうした寓意に頼る絵はフェルメールには似合わないと思うのですが・・・。もしかすると、このあたりでフェルメールは売れることを意識したわかりやすい絵を描かざるをえない状況になっていたのかもしれません。
 ちなみにこの絵は一度盗まれて戻ってきた経緯があります。

「手紙を書く女と召使」(32)
(1670年?)アイルランド国立美術館
 「フェルメールの部屋と窓」を背景にドラマチックに描かれた作品。
 一心不乱に手紙を書く女主人に対して、召使は呑気に外を眺め物思いにふけっています。
 お互いが何を思っているのか?どう見ても主役は顔を見せている召使としか思えません。思えば、「真珠の耳飾りの女」の主人公も召使ではないかと言われていますが、脇役であるはずの人物を主人公に描くセンスもまたフェルメールらしいと思うのです。細部にこだわれば、脇役にだってこだわりたくなるはず。そうなると主役と脇役が逆転することもありうるわけです。まるで「家政婦のミタ」さんみたいです。この絵は過去に二度盗まれ、二度戻ってきた経緯があります。

「ヴァ―ジナルの前に立つ女」(33)
(1672~1673年?)ロンドン・ナショナル・ギャラリー
 「フェルメールの部屋と窓」を背景に楽器のヴァ―ジナルの前に立つ女性を描いた作品。夕方なのでしょうか?美しい光に黄色のドレスが美しく輝いていて、フェルメール作品の中でも光の美しさが際立つ作品です。一日のうちで最も美しい瞬間「マジック・アワー」を見事に切り取った見事な作品です。
 「永遠の一瞬」は前後を物語のように説明するのではなく、無言で見る者に想像させることで初めて生み出せるのです。

「ギターを弾く女」(34)
(1672年?)ケンウッドハウス蔵(ロンドン郊外)
 「フェルメールの部屋」を背景にギターを弾く女性が描かれています。
 ほとんど修復を受けずに保存されてきた貴重な作品。フェルメール作品の中で最もオリジナルに近いとも言われています。
 一度、盗難にあい焼失の危機に追い込まれた瞬間もありましたが、無事に返却されています。そうした苦難を乗り越えているにも関わらず作品状態は良好というのが奇跡的です。
 ちなみにこの絵はポール・マッカートニーお気に入りの作品だといいます。

 1954年に起きた火薬庫の爆発事件をきっかけにデルフト市は繁栄に陰りが見え始めていました。そしてこの作品が描かれた当時、オランダはフランスとの戦争などにより不況のどん底に落ちていて、メーヘレン亭だけでなく、妻の実家を支えてきた債権の利息などの収入も失われてゆき、彼は大きな借金を抱えていたようです。そのため、フェルメールの死後、この作品はその借金の埋め合わせに使われました。そして、その借金返済の管財人となったのが、前述の科学者レーウェンフックでした。

「信仰の寓意」(35)
(1671~1674年?)メトロポリタン美術館
 フェルメール最晩年の作品。様々な寓意が描かれた謎解きのような作品。当時、不況により室内画のニーズが減り、仕方なくこの題材を選んだとも言われています。よく見ると地球儀は踏みつけられ、つぶされて血を吐く蛇、現在の象徴である林檎、キリストの磔刑図などが描かれるなど、様々な解釈ができそうなお腹いっぱいの作品です。
 構図といい彼がプロモーション用に描いたと言われる「絵画芸術」と似ています。もしかすると、「どんな寓意をも詰め込んで描きます」という、これまたプロモーション用の作品だったのかもしれません。

「ヴァージナルの前に座る女」(36)
(1675年?)ロンドン・ナショナル・ギャラリー
 後ろの壁に飾られた絵画(バビューレン作の「取り持ち女」)、女性の表情、部屋の雰囲気など、他の作品とはちょっと異なる謎めいた作品。
 
 フェルメールの健康に問題が生じ始めていたのか?この年の暮れに彼はこの世を去るだけに、何かがあったのかもしれません。
 なぜ彼は死んだのか?その死因は不明のようです。
 この作品も「絵画芸術」と同じ構図。

「ヴァージナルの前に座る若い女」(1670年?)という作品が現在新たなフェルメール作品として認められつつあるようです。37作品目となります。しかし、晩年の作品にも関わらず、タッチがあまりにも他の作品と異なり、もしフェルメールによるものなら駄作すぎると反対意見も多いようです。ただし、この頃のフェルメールが何かの病に冒されていて、かつてのように絵に迎えなくなっていたという可能性もあります。病と闘いながらのギリギリの体力で描かれた作品だったとすれば、それはそれで十分に価値がある作品と言うことにもなるのですが、それは今のところ不明のままです。もしかすると、彼は不況により収入が減ったことから、オランダ各地を集金に回る必要が生じたために絵に時間を使えなくなったという可能性もあるようです。

 こうして、36の作品を見てくると、当初は宗教画から始まった彼の作品テーマは、室内画へ、それも一瞬の日常をとらえた写真のような映像に変化。ところが、オランダ全体を襲った不況とともに彼の作品テーマも変化。とはいっても、完全に新たなテーマを見つける暇もなく、彼は1675年12月15日まだ43歳という若さでこの世を去ってしまいました。
 前述のように、多額の借金を抱えていた彼の遺産管財人となったのは、微生物学者のアントニ・ファン・レーウェンフックでした。フェルメールと同期で同じデルフト育ちのレーウェンフックに彼が開発した300倍に拡大できる顕微鏡をフェルメールが見せたもらった可能性は大いにありそうです。
 イギリス人のフックによって、初めて細胞の存在が確認されたのは、1665年のことです。人類はちょうどこの頃、顕微鏡の登場によって新たな微細な世界の存在に気づき、ミクロの世界へと歩み出そうとしていました。
 そして、同じように工学的な機械であるカメラ・オブ・スクーラを利用することで絵画の世界に、より数学的で正確な描写を持ち込んだと言われるのがフェルメールでした。(カメラ・オブイ・スクーラはピン・ホール・カメラに似た箱型光学装置で風景などを正確に二次平面に写し取ることができました。16世紀にデッラ・ポルタが発明したこの撮影器具は19世紀に「写真」が誕生するまでは多くの画家たちによって使用されていたようです。この器械で見る風景は、世界が光でできていることを証明しているようです)
 最先端の科学を用いたリアルな日常の瞬間映像。それはある意味「写真」の先駆だったともいえます。「写真」という技術がまだ誕生する前に、すでにフェルメールは「写真」が生み出すことになるであろう「瞬間の美」を絵具によって実現していたのかもしれません。その先見性は、当然多くの人には理解できなかったでしょう。ただし、彼の凄さはそうした理系ならではの正確性だけにあるのではありません。彼はそうしたリアルに現実をキャンバスに写し取るだけでは見る人にインパクトを与えることはできないと考え、そこに様々な工夫をこらしていることにあります。彼は「光学的リアル」ではなく「心理学的リアル」を追及した画家なのです。
 職人の技が生み出した、そんな新しい芸術は、超前衛であると同時に未来の芸術であったがゆえにほとんど理解されることなく20世紀に到ることになったのかもしれません。

<参考>
「フェルメール光の王国」 2011年
(著)福岡伸一
(株)木楽舎

「恋するフェルメール 36作品への旅」 2007年
(著)有吉玉青
白水社

「謎解きフェルメール」 2003年
(共著)小林賴子、朽木ゆり子
新潮社

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