- ヴィルモス・スィグモンド Vilmos Zsigmond -

<70年代を代表する映像美>
 日本で彼の名前は普通ジグモンドと言われていますが、アメリカではスィグモンドと発音されているようです。僕が彼の名前を覚えたのは、なんと言っても彼がアカデミー撮影賞を受賞した「未知との遭遇 Close Encountera Of the Third Kind」(1977年)を見てからでした。
 しかし、それ以前にも彼が撮った作品を僕は何本も見ていましたが、どれも「未知との遭遇」とはまったく異なる作品ばかりでした。
 ロバート・アルトマン監督の「ギャンブラー」「ロング・グッドバイ」、ピーター・フォンダの初監督作品「さすらいのカウボーイ」、ジョン・ブアマン監督の「脱出」、ジェリー・シャッツバーグ監督の「スケアクロウ」、マーク・ライデル監督の「シンデレラ・リバティー」、ブライアン・デ・パルマ監督の「愛のメモリー」、どれも70年代の名作ばかり、そして映像美は折り紙付きの作品ばかりです。

<名画のスタイルを意識したカメラ>
 彼が撮影した作品だったら、どんなに無名の監督の作品でも見る価値はある。そう思わせてくれるカメラマンは、他にそう何人もいません。(もちろん彼の場合、大物監督とのコンビがほとんどなのですが、・・・)何人もの名監督と組み、そのたびに異なる映像世界を生み出し続けてきた彼の作品はそれぞれが魅力的なものばかりです。どうやら彼は、新しい作品を撮るたびに異なる「画家」となり、その「画風」に基づいて映像の色合いや構図、明るさなどを選択しているようです。(そういう画面の総合的なスタイルのことを業界用語で「ルック Look」と呼ぶそうです)時にはアンドリュー・ワイエスのようだったり、時にはレンブラントのようだったり、作品に合わせてそのスタイルを選ぶからこそ、その映像は毎回異なり、かつしっかりとぶれることがないのでしょう。
 では、どうやって彼はその作品に合わせたスタイルを決めているのでしょうか?そして、それはどうやって画面に実現しているのか?興味が尽きません。

<ハンガリー動乱>
 スィグモンドはハンガリーのツェクトという町に生まれ、父親は当時世界の最高峰だったハンガリー・サッカーにおける名選手の一人でした。しかし、彼はスポーツよりも絵画や写真そして映画が大好きで、ブタペストにある国立映画演劇アカデミーに入学します。彼はそこで映画撮影の修士号を取得、その後は映画スタジオで5年間の実習を行い、正式に映画監督になりました。ところが、ちょうどこの頃、ハンガリー動乱が勃発します。
 彼は、ソ連共産主義による植民地的支配に対し抵抗するハンガリーの姿とソ連の横暴をフィルムに収めるべくカメラを手に街を駆けめぐります。ちょうどこの時の友人が、後に彼同様アメリカ映画を代表するカメラマンとなるラズロ・コヴァックスでした。二人はともにハンガリーで生まれ、そこでカメラマンとしての活動をスタート、ハンガリー動乱の後も行動を共にします。こうして、ハンガリー動乱におけるソ連軍のハンガリー侵攻を命がけで撮影し、その様子をフィルムに収めた彼らはそのフィルムを持ってハンガリーを出国、アメリカに亡命します。

<自由の国、アメリカへ>
 英語を話すこともできなかった彼らは、まったくゼロからの再スタートを切り、苦労しながら映画界でその活路を見出しました。英語はできなくても、彼らにはカメラに関する技術とセンスがあり、それが多いに役立ったのです。彼らは正式な学校で映画だけでなく絵画や芸術の歴史までも学んだエリートであり、市街戦の混乱をくぐり抜けながら撮影を行って来た恐いもの知らずの男たちでした。それだけの男たちが、アメリカに渡ってきたのですから、その成功はある意味当然だったのかもしれません。運の良いことに、その頃アメリカの映画界は混乱のまっただ中にありました。それはハリウッドの古い体制が崩壊し、ニューシネマと後に呼ばれる変革が始まる頃だったのです。そのため、映画界は新しい人材を必要としていました。

<ロバート・アルトマンと>
 彼らは60年代に数多く作られた低予算B級映画の世界に飛び込むと、そこでアメリカ映画に必要なノウハウを学んで行きました。この頃、彼らが体験した自由な創作環境は資金はなくても実験的で優れた作品を生みだしたニューシネマ運動の原動力だったのです。
「・・・製作者は、スタッフに金を払っていなかったから、こっちも身を売る必要はなかった。そこで、自分たちならではのことをやったわけです。・・・」ヴィルモス・シグモンド

 こうした新しい映画製作スタイルを代表する監督の一人ロバート・アルトマンとのコンビから生まれた「ギャンブラー Mc Cabe and Mrs.Miller」(1971年)は、初期の代表作であり今やカルト的評価を得ている作品でもあります。この映画では撮影前にスィグモンドが、アルトマン監督にアメリカを代表する画家アンドリュー・ワイエスの絵を見せて「この雰囲気で行きましょう」と進言したそうです。確かに、雪が積もるアメリカの田舎を描いたワイエスの絵は「ギャンブラー」のルック(画像のトーンや明るさなどの雰囲気)とそっくりです。
 ロバート・アルトマンは、現場に脚本を持ち込まないことで有名です。彼は撮影の際、俳優が脚本通り演技することを好まず、自由にアドリブで演技することを求めます。しかし、そうなると俳優がどういう動きをするか予想がつかなくなるため、カメラマンはその動きに対応して臨機応変にカメラを操作しなければならないことになります。かつてハンガリーで数多くのドキュメンタリー・フィルムを撮っていた彼の経験がここで多いに役立つことになりました。
 さらに彼は俳優以上にアドリブを用いる存在、「天候」との闘いも「ギャンブラー」で体験しています。野外撮影で雨のシーンを実際に雨の中で撮っても本物らしくなかったので、人口の雨を用いるなど、リアルにこだわった撮影をして高い評価を得ました。
 こうして、彼は名匠ロバート・アルトマンとのコンビで「ギャンブラー」「イメージ」「ロング・グッドバイ」を撮り、いよいよその知名度を上げて行きました。

<マーク・ライデルと>
 「ロング・グッドバイ」に続き、彼はジェリー・シャッツバーグの「スケアクロウ Scarecrow」(1973年)、そしてマーク・ライデルの「シンデレラ・リバティ Cinderella Liberty」(1973年)を撮り、その後、ロック映画の名作「ローズ The Rose」(1979年)を同じマーク・ライデルと撮りました。(彼とはその後「ザ・リバー The River」(1984年)「わかれ路 Intersection」(1994年)でもコンビを組みます)
 マーク・ライデルの代表作であり、ベット・ミドラーの映画デビュー作でもある「ローズ」は、ジャニス・ジョップリンの人生を架空のミュージシャン、ローズの名を借りて映像化した作品です。ジャニスを意識していることもあり、この映画は70年代が舞台ではあっても、コンサートの雰囲気は60年代のライブ会場を再現しようと工夫されています。
 先ず観客がいる客席はできるだけ暗くして当時の雰囲気に近づけています。しかし、観客の盛り上がりも不可欠なので、微妙なライティングのバランスによって時には観客席を映し出すという工夫がなされているのだそうです。(ごく自然にライブっぽく見せるにはそれなりの演出が必要なのでしょう)さらにこの映画の場合、音楽の編曲・監修を担当したポール・A・ロスチャイルドはかつてジャニスやドアーズと組んだことがあるとのことで、その点でも60年代色が出ていたのかも知れません。
 主演のベット・ミドラーの歌唱力と曲の素晴らしさ、そして撮影の工夫があったからこそ、この映画はコンサートのドキュメンタリー・フィルム以上にリアリティーのあるライブ感を出すことに成功しているのです。

<自然の中で自然らしく>
 1972年の「脱出 Deliverrance」もまた面白い作品です。このジョン・ブアマン監督の冒険アクション映画は、アメリカ深南部の大自然の中で狩りをしていた男たちが、逆に地元の男たちにオカマを掘られるは殺されそうになるは、という不条理で不気味なドラマです。この映画は、撮影前の脚本の段階では、さんざんボロクソに言われたそうです。「精神障害者の少年のバンジョーとオカマの殺人者の映画が当たるわけがあるか!」というわけです。ところが、蓋を開けてみるとバンジョーによるテーマ曲は全米ナンバー1ヒットとなり、映画も大当たりしてしまいました。
 この映画は大自然を舞台にした映画でありながら、自然の美しさをまったく映し出してはいません。不気味でと荒涼とした風景をバックにすることで、よりドラマを盛り上げようとあえて曇りの日に撮影を行い、なおかつ背景をきれいな花や美しい景色がないよう意識して選んでいます。オープニングの有名なバンジョー弾きの演奏シーンはカメラにフィルターをつけ、あえて晴れの日を曇りに変えて撮られました。

<スィグモンド的手法>
 フィルムの現像方法で増感現像Forced Developingという手法があります。それは現像時間を通常より長くすることでフィルムの感度を上げ、暗いシーンでもライトを使わずにできるようにするやり方です。彼はこの方法を用いて、できるだけライトを用いないことを撮影の基本にしています。そのため、画面の粒子は少し粗くなってしまいますが、・・・それもまた味わいになっています。したがって、彼の生み出す「ルック」は一般的なハリウッド映画の映像とは見た目で異なることになります。リアルであることより、観客の目を引きつけることを目指し、鮮やかな色を求めるハリウッド的撮影とは自ずと異なるわけですから。
 ただし、彼の作品の中で唯一不本意ながら鮮やかな色を出さざるを得なかった作品があります。皮肉なことに、その作品で彼はアカデミー撮影賞を受賞することになりました。そう、スティーブン・スピルバーグ監督作品「未知との遭遇」です。スピルバーグは色鮮やかな宇宙船をよりきれいに見せるよう要求したのです。しかし、それは宇宙船をきれいに見せることが目的なのではなく、そうすることで特殊効果作業においてフィルムを重ねたときに見やすくなるからでした。(もちろん、デジタル化が進んだ今なら必要ではないのでしょうが・・・)宇宙船が鮮やかな色で映し出されると、背景となる通常の画像もそれに合わせておかないと、リアルさが得られないというわけです。
 それまでのSF映画のウソッぽさはとはまったく異なる映像を生み出したのは、ダグラス・トランブルの優れた特殊効果だけではなく、それを実写に自然に重ね合わせることを可能にしたスィグモンドとの絶妙のコンビネーションのおかげだったというわけです。

<マイケル・チミノと>
 さらに彼の撮影で忘れられないものとして、マイケル・チミノ監督の傑作「ディア・ハンター The Dear Hunter」(1978年)があります。この作品での映像は、工場の煙にかすむ街のシーン、真っ赤な溶鉱炉を中心とする工場内のシーン、ニュースやドキュメンタリー映画のようにシャープなベトナムの戦場シーン、そして主人公が鹿と出会う美しさと暖かさに満ちた大自然に囲まれた山の中のシーンなどが、それぞれはっきりと異なるトーンで撮影されているそうです。言われてみると納得です。・・・すごい!
 残念なのは、同じマイケル・チミノの作品「天国の門」が完全に幻の映画になってしまったことです。ユナイト映画会社を倒産にまで追い込んだ巨大な失敗作(ただし、本当に失敗作なのかどうかは完成品を見ていない僕には判断できません)での彼の大仕掛けの映像美を見てみたかった気はします。

<絵画とルック>
 彼は映画を撮るために絵画を見て勉強することを重要視しています。
「絵画には大きな影響を受けています。暇を見つけては美術館に行き、レンブラントやジョルジュ・ド・ラ・トゥールを始めとするオランダの大家、古典的な大家の絵を見ています。これらはキャメラマンに基本を教えてくれる。そこからライティングを学ぶことができる。絵のひとつひとつを詳細に研究して、ライティングを撮影に取り入れることができるのです。・・・」

 絵画と映画の違いについてこうも言っています。
「・・・基本的に絵画と似ていますよね。もちろん絵画ではその前に何時間の構図でも立ちつくして、あらゆるディテールを鑑賞できる点が違う。映画の構図では、時間が限られているので、そのためにも明確さが要求される。・・・」

<締めのお言葉>
「・・・映画は視覚的体験であるべきなんです。不幸なことに、音が加わって映画は”撮影された演劇”になってしまった。・・・」


<参考資料>
「マスターズ・オブ・ライト Master's of Light」- アメリカン・シネマの撮影監督たち -
デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート著高間賢治、宮本高晴訳
フィルム・アート社

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