今も生き続けるロックの魂へ
「ならずものがやってくる  A Visit from the Goon Squad」

- ジェニファー・イーガン Jennifer Egan -

<ロック魂にあふれた小説>
 音楽ファン、特にロック・ファンにお薦めの小説です。全体的なストーリーに1980年代以降のロック・ミュージックとその業界が重要な役割を果たしていて、登場人物の多くがミュージシャン、プロデューサー(架空)などの関係者になっています。もちろん、小説の中にはブロンディの「ハート・オブ・グラス」、イギ―・ポップの「ザ・パッセンジャー」、ジミ・ヘンドリックスの「フォクシー・レディ」、スティーブ・ミラー・バンドの「フライ・ライク・アン・イーグル」、ポリスの「ロクサーヌ」、デヴィッド・ボウイの「ヤング・アメリカンズ」などの曲も登場し、ロックファンにはたまりません。
 さらにこの小説の構成がまたうれしいのです。A-1からA-6までとB-7からB-13、レコードのようにA面、B面からなるのです。そして、B-12には「偉大なロックンロールにおける間」という章があり、そこではロックの有名曲における「無音の間」についての考察がなされています。もちろん実際の曲についてです。たとえば、レッドツェッペリンの「グッドタイムズ」、ゾンビーズの「タイム・オブ・ザ・シーズンズ」、フォートップスの「バナディット」、ドゥービー・ブラザースの「ロング・トレイン・ランニング」などの曲が研究対象になっています。

<小説としての魅力>
 もちろん、この小説はピュリツァー賞、全米批評家協会賞などを受賞したぐらいですから、単に題材が目新しいとか面白いだけの小説ではありません。小説として実によくできた奥の深い作品です。ここでは、この小説の奥の深さについて、その構成の面から解説してみようと思います。「ネタバレ」にはならないと思いますので、実際に本を読む前に読んでも大丈夫です。余計なお世話かもしれませんが、本を読みながら参考資料として使うとより面白く読めるかもしれません。
 前述のとうり、この小説は13の章からできていますが、どれもが優れた短編小説になっています。そして、主人公がみな異なるにも関わらず、登場人物の誰かがどこかで別の章の物語でつながっているのです。たとえば、A-1がアレックスという若い男性が主人公で、A-2は音楽プロデューサーのベニー、そして彼のかつての仲間レア、大物プロデューサーのルー、その友人ミンディ、ジョスリン、スコティとパンクバンド、ザ・フレーミング・ディルドズ関連の人々が次々に登場して主人公を務めます。
 B面では、それとは別の人々が次々に主人公として登場しますが、やはりどこかでA面の物語ともつながっていることがわかります。ただし、この小説はそれらの登場人物の物語を時系列的には並べていないので要注意です。(そこがちょっとわかりにくいかもしれません)それでも、A面は音楽プロデューサー、ベニー周辺の物語で、前半がベニーの元妻ステファニーとその元上司ドリー親娘の物語で、後半がベニーの助手だったサーシャ周辺の物語になっています。そして最後のB-13では、前述3つのパートがスコティ、サーシャ、ルルによってひとつになって行くという展開が訪れます。まるでロバート・アルトマンの映画のようです。
 あえて時系列的に並べなかったことで、それぞれの人生の断片がどれもそれぞれの主人公にとってかけがえのない「時」であり、人生とはそうしたエピソードや一瞬の積み重ねなのだと思え、それぞれの人生がどれも愛おしく感じられてきます。だからこそ、この小説には最終章がなく、どこから読みだしてもよい作品集であり、13人の主人公だけでなく脇役たちもが主人公に思えてきます。
 それぞれの人にとって、過去の懐かしい青春時代も、子育てに忙しい現在も、年老いて孫たちに囲まれた未来でさえも、どれもが意味のあるかけがえのない瞬間であることが見事に表現されているともいえます。すべての時を大切に・・・「今を生きる」人こそが主人公になれる。そんなポジティブなロック魂が感じられる小説です。

<ロックへ、失われたアメリカへのオマージュ>
 この小説は、失われたロックへのオマージュであると同時に、失われたアメリカへのオマージュであるとも言えます。ベニーの助手となるアレックスの妻であり、言語学者のレベッカは著者でこんなことを書いています。

・・・最新の著作は”言葉の外皮”現象について書かれていた。これは彼女の造語であり、もはや引用符なしでは何も意味しない単語のことを指していた。
 英語はそうした空っぽな言葉で溢れている - ”フレンド”とか”リアル”とか、”ストーリー”とか”チェンジ”とか。アイデンティティー””サーチ””クラウド”などは明らかに、ネット用語として使われることで生命を失った。もっと複雑な事情を抱える言葉もある - たとえば”アメリカ人”はいつの間に、皮肉な言葉になったのだろう?”デモクラシー”はどうして、冷笑的でねじ曲がった使われ方しかされなくなったのか?

 ロックを最近聴かなくなったというかつてのロック・ファンに捧げます!

<あらすじ>
 学生時代(1980年代)にパンクバンド、「ザ・フレーミング・ディルドズ」(フレーミング・リップスへのオマージュ?)のメンバーだったベニーは、その後、有名な音楽プロデューサー、ルーのもとでプロデュース業を学び、プロデューサーとして様々なロック・ミュージシャンを担当します。しかし、音楽業界がしだいにかつての勢いや過激さを失い、コマーシャル路線をひた走る中で情熱を失ってゆき、ついには大手レコード会社を辞職してしまいます。

「・・・彼はたゆまず働いていた。熱烈に、あるべきある方で、最前線の音楽を、人々が愛し購読し、着信音にダウンロードし(そしてもちろん、盗用し)たがるような音楽を作ろうとしていた。・・・
 だがベニーは、自分が世界に送り出しているものがクソでしかないと知っていた。あまりに明快、きれいすぎるのだ。精確さ、完璧さこそが問題だった。つまり問題はデジタル処理なのだ。その微細な網の目を通し、デジタル処理はあらゆる薄汚れたものから命を吸い取ってしまうのだ。フィルム映画も写真も音楽も、みな死んだ。まさに美のホロコースト!
 だがこういうことを口に出すほど、ベニーは愚かではなかった。・・・」

 かつて家出をしてヨーロッパに渡り、そこで盗みに快感を覚えるようになってしまった少女サーシャは、叔父に連れ戻されて大学に入り、その後はベニーの助手として音楽業界で働くようになり、大学時代に命を救ったドリューと結婚します。医師となったドリューはアメリカ西部の砂漠にある小さな村で診療所を開いています。彼の長男はロックに夢中でロックにおける間の研究にはまっています。
 音楽業界の表舞台を去っていたベニーのもとにある日、バンド仲間だったギタリストのスコティ―が表れます。彼が持ってきた新曲を聞いたベニーは、彼をステージにもう一度上げる決意を固めます。その準備のために、雇ったアレックスという青年は、偶然かつてベニーの助手だったサーシャとデートしたことがありました。そして、もうひとりの助手ルルは、ベニーの元妻ステファニーの助手だったドリーの娘であることがわかります。
 こうして運命の糸でつながった人々によってスコティ―の野外ライブの準備が進みます。いよいよライブ当日、スコティ―はいったいどんな音楽を聞かせるのか?


「ならずものがやってくる A Visit from the Goon Squad」 2010年
(著)ジェニファー・イーガン Jennifer Egan
(訳)谷崎由依
早川書房

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