戦い続けるファッション界のカリスマ


- ヴィヴィアン・ウエストウッド Vivienne Westwood -

ドキュメンタリー映画
「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」
Westeood:Punk,Icon,Activist

<ヴィヴィアン、予想外の人生>
 ドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」の冒頭、彼女はインタビューアーに対し、こう言っています。
「大事なのは人目をひくこと。そして即、行動し、物事と関わり合うこと」
 なんだかファッション・デザイナーのモットーとは思えない言葉です。しかし、この言葉の意味は、彼女の人生について知ることでしだいに明らかになります。
 もう一つ、彼女の人生を知って驚くのは、「パンクの女王」として既存の文化を破壊してきた彼女の人生は、逆に何度も破壊され、踏みにじられていたことです。ファッション界の最先端を走り続けていると思っていた彼女についてのイメージは大きく変わりました。

<ヴィヴィアン・ウエストウッド>
 ヴィヴィアン・ウエストウッド Vivienne Westwood は、1941年4月8日イングランド中部ダービシャーで生まれました。労働者階級の貧しい家庭に産まれたため、美術の才能がありながら、その道をあきらめた彼女は美術教師となりました。そして、21歳でデレク・ウエストウッドと結婚し長男のベンジャミンを生み、専業主婦となりました。
 しかし、主婦としての人生に希望を見出せなかった彼女は、1965年に離婚し、新たな人生を歩み始めます。その頃、彼女が出会ったのがアナーキストでロックのレコードを買い集めていたマルコム・マクラーレンでした。彼女はマルコムと結婚し、次男のジョージを生み、共同でロックのレコードを売る店を始めます。その店の傍らで彼女は手作りの衣料品を販売し始め、それがヴィヴィアン・ウエストウッド・ブランドのスタートになりました。その後、彼女はキングスロードにブティック「Let It Rock」をオープンさせ、本格的にファッション・ブランドとしての展開を始めます。

<セックス・ピストルズ誕生>
 1974年、マルコムは店名を「SEX」に変更し、新たなブランドの展開を開始します。彼は、ラモーンズらの活躍で始まりつつあったニューヨーク・パンクのブームを現地で見てきたばかりでした。さらに彼は店の常連客を集めてバンドを結成。店名に絡めてセックス・ピストルズとしてデビューさせ、ロンドン・パンクのムーブメントをリードすることになります。マルコムは一躍、時代の兆児としてもてはやされる存在となりました。
 パンク・ブームに並行して、彼女はそのイメージ作りをリード。SM的な要素を取り入れ、安全ピンを使ったアクセサリー、原色のツンツン・ヘアーなど、パンクの基本となるファッションはこの時期に彼女が生み出したと言えます。その後、店名は「セディショナリーズ」から「ワールズ・エンド World's End」と変り、21世紀まで営業を続けています。

<マルコムとの決別>
 ヴィヴィアンがファッション界での実績を上げ、その知名度を上げるのに対し、ミュージシャンではないマルコムはその存在感をしだいに失って行きます。そして、マルコムのヴィヴィアンへの嫉妬がきっかけとなり二人の関係は破局へと向かうことになります。そのうえ、マルコムはヴィヴィアンの仕事にも口出しし、イタリアで彼女が進めていたアルマーニとの提携を阻止。そのおかげで彼女のブランドは経営破たんし、ヨーロッパでの成功をあきらめてロンドンに戻ることになりました。
 すべてを失った彼女は、唯一残された「ワールズ・エンド」で家族と残ったスタッフと共に営業を続けます。しかし、一時は時代をリードしていた彼女のブランドも、英国のファッション界から掌を返すような扱いを受けるようになりました。歴史と伝統の国、英国のファッション界は、パンクの時代を経てもなお、古い体質を維持していて、彼女のブランドへの評価は低いままでした。
 結局、彼女はロンドンではなく、パリやミラノ、フィレンツェなどの街を舞台に再起を果たすことになります。その間、彼女のファッションはパンクを経て、そこに英国伝統の古典的なデザインを取り入れながら、その融合を実現して行きます。しだいにその評価は高まることになり、誕生から20年たった1996年に彼女は英国におけるファッション・デザイナーの最高賞「デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。翌年も連続して受賞しています。

<ブランドの独立性>
 世界中のほとんどの有名ブランドは実はどこかの大企業や経営グループの傘下にあります。そんな中、唯一ヴィヴィアン・ウエストウッドだけは、どの企業の傘下にも入らず、その独自性を保っています。デザイナー自身が経営上の決定権をもつ数少ない企業が、ヴィヴィアン・ウエストウッドなのです。そもそも彼女は自分の指示が直接伝わらないような大企業になることを望んではいません。
 その理由の一つとして、彼女が利益を上げることを企業の目標にしていなかったことがあげられます。彼女自身が作りたいデザインの洋服を作り、それを買いたいという人に売る。それだけが目的だったのです。
 その他の理由としては、彼女自身が関わる社会貢献活動を企業活動と両立させるために、独立性が必要だったことがあります。グリーン・ピースによる環境保護活動などに企業として協賛する際に、経営権を持つスポンサー企業のお伺いが必要とされるような事態にはなりたくなかったのです。自分が認める活動のために、そのメッセージをプリントしたTシャツなどのグッズを販売する自由を彼女は望んでいたわけです。

<恋人との共同作業>
 マルコムと別れた後、彼女は25歳年下のアンドレアスと共同でデザインなどの作業を行うようになり、後に二人は結婚することになります。仕事を任すことができるパートナーを得たことで、彼女はより幅の広い活動を展開し始めます。特にグリーン・ピースなどによる環境保護活動に彼女は積極的に参加し、メッセージ入りのTシャツなど、デザイン面での協力も行い始めます。当初から彼女のファンションにはメッセージが込められていましたが、彼女は新たな目標を見つけたと言えそうです。
 彼女のファッションは、古典的な権威の破壊、環境を破壊する企業活動の破壊、恋におえる年齢差の破壊、性の壁の破壊、社会的経済的格差の破壊・・・を象徴するものなのです。
 ファッションショーを前にした彼女の細部へのこだわりを見ると、かつてのパンク・ファッションもけっして適当にジーンズを破いたり、安全ピンをつけたりしていたわけではないことがわかります。
 マルコムやセックス・ピストルズのメンバーが、従来のロックや文化や社会規範の「破壊的」な音楽を生み出すことでブレイクする中、彼らを裏で支えた彼女自身はしっかりと計算した「創造的」なファッションを生み出し続けていたのです。

 ファッションほど、男性的な意識が不要なアート分野はないかもしれません。もちろんそれはその中心購買層が女性だからではありますが、構造的にもファッション業界はいち早く女性の社会進出が進んだ歴史を持っています。(ココ・シャネルはその象徴的存在)そのため、女性目線で会社を運営し、その考え方を他の分野にまで広める役目を果たすことが可能かもしれません。その意味でも、彼女のような先駆的な社会起業家の存在意義は今後歴史がさらに評価を高めることになると思うのですが・・・そうならないと人類に未来はないとも思うのです。

「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」(2018年)
Westeood:Punk,Icon,Activist
(監)ローナ・タッカー
(製)エレノア・エンプテイジ、シーリン・ベスト他
(製総)エマ・ダットン、イアン・シャープ、アナ・ゴダス
(編)ポール・カーリン
(音)ダン・ジョーンズ
(出)ヴィヴィアン・ウエストウッド、アンドレアス・クロンターラー、ケイト・モス、ナオミ・キャンベル

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