- ヴィヴィアン・リー Vivien Leigh -

<伝説の名女優たち>
 メリル・ストリープは名優ではあっても、伝説の女優とはならないでしょう。たとえアカデミー賞を何度も獲得していても、伝説的な名画に主演するか、伝説的なスキャンダルの主役になるか、誰もが忘れられない悲劇的な死を遂げるかしなければ、伝説の主人公とはなれないのです。だからこそ、マリリン・モンロー、キャサリン・ヘップバーン、マレーネ・ディートリッヒ、イングリッド・バーグマンらの女優たちは、伝説的女優の仲間入りをしたのでしょう。残念ながら、伝説となるには、「不幸」が欠かさない要素なのかもしれません。そう考えると、実質的な夫だったウディ・アレンに子供を奪われたミア・ファローもまたそんな伝説的女優の一員となるべき存在なのかもしれません。そんな伝説的な女優たちの中でも、指折りの存在といえるのがヴィヴィアン・リーです。
 彼女の場合、伝説的な映画「風と共に去りぬ」に主演していること。ローレンス・オリヴィエとの略奪愛というスキャンダル。アルコール依存症や精神的な病との闘いと肺結核による早すぎる死。・・・と「伝説の女優」になるべき要素を完璧に備えています。彼女ほど、映画と人生、恋、そのすべてを情熱的に生きた人はいないかもしれません。53歳という年齢でこの世を去ったのも当然と思えるその人生の濃さをご紹介させていただきます。

<生い立ち>
 ヴィヴィアン・リー Vivien Leigh (本名は、ヴィヴィアン・メアリー・ハートレー)は、1913年11月5日当時はイギリス領だったインドのダージリンで生まれています。母親のガートルードは、自分にインド人の血が混じっていたこともあり、英国を離れたままでは子供の教育に良くないと考え、ヴィヴィアンを6歳の時に英国留学させます。彼女はたった一人でロンドン郊外の厳しい躾を行う修道院付属の寄宿学校に入学させられました。この時の彼女は両親に捨てられたと感じるほど衝撃を受けたといいます。(この境遇は、前述のミア・ファローとも似ています)
 孤独な寄宿学校での生活で彼女は寂しさを忘れるため、バレエに打ち込みます。そんなある日、彼女はキャサリン・ヘップバーン主演の映画「愛の嗚咽」(1932年)を見て感動し、女優になる決意を固め、王立演劇学校に入学します。そんな中、彼女は寂しさを埋め合わせるために愛する人を求めていたのかでしょうか、19歳の時、13歳も年上のエリート弁護士リー・ホルマンと結婚し、翌年には娘スーザンを産みました。しかし、安定した家庭を得てもなお、彼女は女優として成功する夢を捨てませんでした。そして、そんな彼女の夢を実現するための鍵となる人物が彼女の前に現われます。

<運命の男、ローレンス・オリヴィエ>
 1935年、21歳と時、彼女はシェークスピア演劇のスーパー・スター、ローレンス・オリヴィエの舞台を見て、一目ぼれしてしまいます。彼女はオリヴィエと妻ジルが通っていたレストランを調べると偶然を装って二人に近づき、親しくなってゆきました。そして、自分の舞台を是非見てほしいと彼を招待すると、オリヴィエもまた彼女の魅力と才能に圧倒され、すぐに彼女を自分が出演する予定の「ハムレット」のオフィーリア役に抜擢します。こうして、舞台の上で恋人同士となった二人は、すぐにプライベートでも恋人同士になります。しかし、彼女は名優オリヴィエの心をつかむことで得た女性としての幸福だけで満足することはありませんでした。もしかすると、オリヴィエもまた次なる夢へのステップにすぎなかったのかもしれません。彼女には、すでに次なる目標がありました。それが、当時、映画界で大きな話題になっていた「風と共に去りぬ」の主演女優になることでした。その役は、大役であるにも関わらず、ある意味世界中の誰にでもチャンスがあったのです。

<「風と共に去りぬ」>
 歴史的名画となる「風と共に去りぬ」は、この時、映画人すべてにとって大きな話題になっていました。当時、絶好調だったプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックがすべてを賭けた超大作には、すでに主演男優としてクラーク・ゲーブルやレスリー・ハワードが決定していました。しかし、セルズニックは映画の話題作りも兼ねて、主演女優選びのための大キャンペーンを行い、世界中から応募してきた1000人以上の審査を行いましたが、適役を見つけることができずにいました。さすがのセルズニックも、あきらめかけており、何人かの大物女優に依頼することを考え始めていたようです。そんな時、イギリスの名優ローレンズ・オリヴィエから、お薦めの女優がいるので見て欲しいと連絡があったのです。さっそく彼女の演技を見たセルズニックは、すぐに彼女を使うことを決断。
 一般的には、彼女がオリヴィエと撮影現場にやって来た時、すでに撮影が始まっており、あの有名なアトランタの街が焼け落ちるシーンが撮影されているところだったとされていますが、この時、すでに彼女の採用は決まっていたようです。セルズニックの選択が正解だったことは、歴史が証明しています。
「イギリス人女優を選んだセルズニックの英断を祝福するしかない。ヴィヴィアン・リーはスカーレット・オハラを演じたのではなく、スカーレットだったのだ」
ヘッダ・ホッパー(コラムニスト)

<天国から地獄へ>
 彼女はスカーレット役で見事アカデミー主演女優賞を受賞。そして、ハリウッドでその後も女優として活躍する決意を固め、夫のホルマンに離婚してくれるよう手紙を書きました。5年後、離婚が成立した彼女は、オリヴィエと再婚します。この間、彼女の娘スーザンは彼女の母親が面倒をみていましたが、その後は彼女の幼少期と同じように修道院付属の学校に入れられるとこになります。女優業に専念したい彼女にとって子供は足手まといだったともいえます。しかし、オリヴィエとの結婚後、彼女はオリヴィエの子供を産むことを本気で願うようになります。そして、1945年、彼女が32歳の時、ついに彼女はオリヴィエの子を身ごもります。ところが、映画「シーザーとクレオパトラ」(1946年)の撮影中に転倒した彼女は、子供を流産してしまいます。後に彼女はもう一度妊娠しますが、その時も流産してしまいました。その間彼女は結核まで患うことになり、いつしか彼女は躁うつ病になっていました。女優として、妻として、人生の頂点を体験してしまった彼女は、この後、躁うつ病と結核との闘いとともに人生を歩むことになります。それは、天国から地獄へと突き落とされたかのような人生の変化でした。

<夫婦愛の破綻へ>
 1947年、躁うつ病と結核の症状が改善した彼女は、久々の大作映画「アンナ・カレーニナ」に出演しますが、「風と共に去りぬ」の再現とはならず、映画は失敗作との評価を受けます。それに対して、夫のオリヴィエは、映画「ハムレット」でアカデミー主演男優賞を受賞。40歳という若さでイギリス人にとって最高の名誉といえる「ナイト(Sir)」の称号を授与されます。頂点を過ぎたといわれるヴィヴィアンに対するオリヴィエのこうした活躍は、彼女にとって嫉妬の対象となり始めます。
 こうして夫婦関係までもが上手くゆかなくなった彼女は、薬とアルコールに溺れるようになります。そんな彼女に再び脚光を浴びるチャンスとなる役が巡ってきます。しかし、それはあまりに危険すぎる役でした。

<暴走する「欲望という名の電車」>
 1950年、37歳の時、彼女は映画「欲望という名の電車」のブランチ・デュボアを演じることになります。
<あらすじ>
 ニューオーリンズに住む妹夫婦のもとにやって来た元教師で没落した名家のお嬢様だったブランチ。彼女は、教師として、名家の出として、誇り高い生き方を貫くうちに精神のバランスを失い、いつしか多くの男性と性的関係をもつようになっていました。そんな彼女を情け容赦なく追い詰めるブランチの妹の夫スタンリー(マーロン・ブランド)によって、ついに彼女の心は完全に崩壊してしまいます。

 監督のエリア・カザンと主演のマーロン・ブランドにとっても、代表作となったこの映画は、二人の男たち以上にヴィヴィアンにとって運命的な作品だったといえます。彼女はこの映画の前、すでに舞台でブランチを演じていて、準備は万端でした。監督にも、相手役にも恵まれたこの作品で、彼女は再びアカデミー賞を受賞しますが、その授賞式に彼女は出席しませんでした。舞台に続いてあまりにもブランチ役にのめりこんでしまった彼女は、その精神状態に入り込みすぎてそこから抜け出せなくなったといわれます。元々彼女の私生活に問題があっただけに、彼女はブランチに逃げ込んでしまったのかもしれません。
 当時、彼女は自分のそうした症状を異常と認めることができず、精神科の診察を受けることを拒み続けたといいます。すでにオリヴィエとの関係は冷え切り、ヴィヴィアンは公然と若手俳優のピーター・フィンチと付き合い始めます。そして二人はインドを舞台にした映画「巨象の道」(1954年)に出演するためスリランカに行きます。しかし、南国の気候も彼女を救うことはできず、そこで彼女は恋人とアルコール漬けの日々を暮らし、ついに精神のバランスを完全に失ってしまいます。
 オリヴィエはそれでもまだ愛するヴィヴィアンを引き取ると、精神科に入院させます。しかし、そこで彼女を待っていたのは、「カッコーの巣の上で」でも有名な電気ショックによる治療でした。当時は最新の治療法だったその治療により、彼女は精神的に落ち着くものの、病院を出た彼女はもうかつての彼女とは違う人間でした。そこにオリヴィエが愛したヴィヴィアンはなく、二人は長い別居の後に離婚します。

<新たな人生>
 離婚した時、すでにオリヴィエには新たな恋人がおり、ヴィヴィアンにも7歳年下の恋人が現われます。ジャック・メリヴェールという恋人が俳優だったこともあり、二人は劇団を結成。彼女は舞台俳優として再び活動を開始します。まるで彼女の召使のようだったというメリヴェールのおかげで、晩年の彼女は落ち着いた生活を送ることになりました。都会を離れて田舎暮らしを始めた二人は、そこに娘スーザンや孫たちを呼び、そこでおばあちゃんとしての人生を体験することになりました。しかし、そこで彼女は自分のことをオリヴィエ夫人と呼ばせていたといいます。もちろん、目の前に夫のメリヴェールがいても、自分は今でもなおオリヴィエ夫人であるということが彼女にとっての精神的支えだったのかもしれません。幸いなことに、夫のメリヴェールはそんな彼女の描く幻想を否定することなく受け入れてくれたようです。ある意味、彼は「欲望という名の電車」のマーロン・ブランドの対極に位置する人間だったのかもしれません。
 残念なことに、彼女はその後、持病だった肺結核が悪化し、1967年7月7日まだ53歳という若さでこの世を去りました。
 自らの生きる目的のために、様々なものを犠牲にして激しすぎる人生を駆け抜けたヴィヴィアン・リー。スカーレット・オハラのように自らの欲望を実現させ、ブランチ・デュボアのように自らの心を崩壊させた彼女は、それにより世界中から名優としての評価を得ましたが、失うものも多すぎました。
 最後に得ることができた心の平安が、彼女の魂に安らぎを与えることができたのでしょうか?どうでしょう・・・
 もしかすると、彼女はもう一度人生を与えられたとしても、同じ道を歩むのではないでしょうか。
 美貌と才能を与えられた人生も大変です。しかし、それが本物のスターって奴なんですよ。きっと・・・

映画スタッフ検索へ   20世紀名画劇場へ   トップページへ