- ウィルフリード・ヴァルガス、ラス・チカス・デル・カン Wilfrido Vargas,Las Chicas Del Can -

<ドミニカの怪人>
 ウィルフリード・バルガスという人物は、21世紀に入った時点の日本における「つんく」のような存在です。発祥の地であるドミニカを飛び出して、ニューヨークへ、そして80年代には世界へとブームを拡大したメレンゲ、その仕掛け人としてラス・チカス・デルカンという「メレンゲ版モー娘」を世界的アイドルに仕立て上げるとともに、自らそのブームの先頭に立って、カリブ全域のサウンドを取り込んだ汎カリビアン・サウンドを展開した。そんな彼を、人々は「ドミニカの怪人」と呼びました。(アルバム・ジャケットに写る姿は、確かに怪人といった風貌です)

<メレンゲという音楽>
 メレンゲという独特のリズムをもつ音楽は、カリブ海に浮かぶエスパニョーラ島(東側がドミニカ共和国、西側がハイチ)に、なんと1840年代頃には生まれていたと言われています。(したがって、かつてはハイチにも存在したそうです)
 当初リード楽器はアコーディオンでしたが、少しずつサックスがその座を奪い、バンド編成も大きくなり、マンボなどを演奏するラテン系楽団の編成に近づいて行きました。特にドミニカからの移民が多いニューヨークでは、マンボやチャチャチャなどのラテン音楽が1950年代に向かえていただけに、メレンゲだけでなくマンボやサルサも演奏できるスタイルがしだいに定着していったのです。そして、1960年代に入るとジョニー・ベントゥーラというメレンゲの枠を越えて活躍するバンド・リーダーも現れ、いよいよメレンゲのスタイルは確立されて行きました。
 しかし、1960年代から70年代にかけてのサルサのブームは圧倒的で、その間メレンゲは、サルサ・バンドのちょっとした遊び程度の音楽という扱いしか受けていませんでした。

<メレンゲのリズム>
 ところで、メレンゲのリズムってわかりますか?
 タンタンタン・タカタカ・タンタンタン・タカタカ・タンタンタンという実に単純明快なリズムです。(スカにつぐ分かりやすいリズム?)ところが、それでもちゃんとバラード・ナンバーがあったり、オリビア・ニュートン・ジョンのヒット曲「ジョリーン」なんかのカバーがあったりと、いろいろな曲ができちゃうわけです。リズムが変わっただけで、同じ曲がまったく別の表情に変わってしまうということが、メレンゲだとよくわかります。
 これだけ世の中に無数の曲がありながら、よく新しい曲が書けるものだと時々思うのですが、世界には、新しいリズムを使うことでまだまだ新しい音楽を生み出す余地が残っているのかもしれません。(もちろん、サンプリングによってリズムやメロディーの再利用は、以前の何倍にも増えているのですが・・・)

<メレンゲ時代の到来>
 70年代に絶頂期を迎えたサルサは、より先鋭化したクールなサウンドへと変身してゆき、ダンス・ミュージックから聴くための音楽へとなってゆきました。それはまるで、かつてのJAZZのように、しだいにポップスとしての存在感を失っていったと言えるのかもしれません。(けっしてそれは間違った道ではなかったのですが・・・歴史の必然と言ったら良いのでしょうか?)それに代わって、よりポップ化が進んだサルサの新しい道筋として、サルサ・ロマンティカ、サルサ・エロティカと呼ばれるムーディーな歌謡サルサが生まれましたが、これまたダンスとはかけ離れた存在となっていました。(この代表格がエディー・サンティアゴだった)
 そして、このラテン・ダンス・サウンドの空白を埋めるように、音楽シーンに浮上してきたのが、メレンゲだったというわけです。さらにメレンゲという音楽自体、シンプルなリズムによる楽しいダンス・サウンドが身上なだけに、その演出はコミカルかつアイドル指向の強いものでした。それだけにクールなサルサに対する不満を持っていた人々は、メレンゲのもつ底抜けの明るさに目から鱗が落ちる思いを感じたものです。こうして、メレンゲはラテン・ダンス音楽シーンをあっという間に席巻してしまいました。

<メレンゲ・ブームのアイドルたち>
 こうして1980年代に入り、メレンゲの一大ブームがやってきたのですが、その戦陣を切ったのが"アラミス・カミーロ Aramis Camiloと彼の秘密結社"でした。サングラスと帽子をトレード・マークにしたちょっとコミカルなスタイルでスピード感あるメレンゲのヒット作"El Candado Del Amor"などのヒット・アルバムを連発しました。
 そんな色物系に対して、男の色気、アイドル路線で勝負したのがロイ・イホス・デル・レイ Los Hijos Del Rey とそこから独立したボニー・セペダ Bonny Cepeda(メレンゲ界のライオネル・リッチー?)、それにセルヒオ・バルガス Sergio Vargas などは、まさに才色兼備の若者たちでした。

<メレンゲといえば彼女たち>
 しかし、最もメレンゲらしいと言える存在だったのが、実力派カワイコチャン系アイドル・グループの存在だ。ベルキス・コンセプシオン Belkis Concepsionやテンポ・ドミニカーノ Tempo Dominicano、ラス・チカス・デル・ヌエバ・ヨーク Las Chicas Del Nueva York、そしてなんと言っても「メレンゲ界のモー娘」こと、ラス・チカス・デル・カン Las Chicas Del Canでしょう。彼女たちレディース・メレンゲ・バンドの元気でお色気たっぷりの演奏こそ、この時代のメレンゲのパワーを最も代表する存在だったと言えそうです。(代表作は"Peganndo Fuego"(1986年))
 とにかく、彼女たちの人気は凄かった。ホーン・セクションからパーカッションなど、すべてがカワイコチャン系でお色気たっぷりの女の子たちというこのバンドは、メンバーを固定することなく、常にピチピチした女の子たちで構成され、それでも演奏はしっかりとこなせるという画期的な存在でした。そして、そのバンドをプロデュースし、メレンゲ・ブームの仕掛け人とも言われた人物が、ウィルフリード・バルガスだっというわけです。

<怪人ウィルフリードの雑食メレンゲ>
 もちろん、当のバルガスは、プロデューサー業だけでなく、自らミュージシャンとしても大活躍していました。彼の超ゴッタ煮的汎カリビアン・サウンドは、メレンゲという枠からは完全にはみ出しており、サルサだけでなくマルチニークやハイチ、それにベネズエラなどのポップスからも次々にネタを仕入れ、ヒップ・ホップやラップまでもが登場する凄まじさでした。(代表作としては、"El Jardinero"(1985年)、"La Musica"(1987年)、"Siempre・・・Wilfrido・・・"(1990年)などがあります)
 もちろん、彼のサウンドには学究的な部分はかけらもありません。どこまでも楽しく踊れるサウンドを追求しているだけというところがまた気持ちよかったのです。

<メレンゲ・ブームの終焉>
 なんだかメレンゲは、バラエティー系のバンドしかないみたいに書いてしまいましたが、ちゃんとした?正統派のバンドももちろんいます。ロス・ベシーノスLos Vecinos,The New York Band,La Gran Manzanaなど、ニューヨークを中心に活躍したこれらのバンドの活躍も見逃せません。(ちょっと、とってつけたようでした?)
 しかし、80年代のメレンゲ・ブームは、その盛り上がりが早かった分、その収束も早かったかもしれません。90年代には、かつての勢いがすでに失われてしまったようなのですが、そこにはどうやらサルサにも共通する世代交代の問題がありそうです。
 ドミニカからの移民たちを中心に盛り上がったメレンゲ・ブームですが、彼らの次の世代は、すでにスペイン語よりも英語へ、そしてラテン音楽よりヒップ・ホップへと、その興味が変わりつつあるようなのです。プエルトリコ系のマスターズ・アット・ワークスによるプロジェクト「ニューヨリカン・ソウル Nuyorikan Soul」などは、まさにそんなニュージェネレーションのためのラテン・サウンドだったようです。
 ニューヨークという大都会、人種のるつぼで、いっきに爆発した音楽、メレンゲはやはり都会の時の流れのスピードとともに変わらざるをえない運命にあったのでしょう。

<締めのお言葉>
「お役に立ちましょう」
「男の人がそういう時は、必ず条件があるわ」
「条件ですか。ほほえみですよ」

映画「モロッコ」より
ヴァルガス氏は、てなことを言って、メンバーを集めたとか?

ジャンル別索引へ   アーティスト名索引へ   トップページヘ