「ワーニャ伯父さん」

- アントン・チェーホフ Anton Pavlovich Chekhov -

<世紀を越えた文学者>
 1860年に生まれ20世紀に入った直後の1904年に44歳の若さでこの世を去ったアントン・チェーホフは、ロシアの貴族階級が没落してゆく様を描いた19世紀ロシア最後の作家のひとりだったといえます。しかし、「桜の園」、「三人の姉妹」などの作品は、21世紀に入ってなお、舞台劇や映画などで見ることができ、様々な形で現代版も生み出されています。彼の作品は貴族階級の没落と同時に新しい市民社会の誕生も描き出していたのです。だからこそ、彼の作品は近代文学の金字塔として、今でも十分に通用するのでしょう。ここでは、彼の代表作「ワーニャ伯父さん」を取り上げ、その魅力と古くならない訳について考えてみようと思います。
 1999年に票された小田島雄志の翻訳による「ワーニャ伯父さん」には、その原典となっている英語版の翻訳者マイケル・フレインによる解説が加えられています。それによると、この作品(戯曲)の最終版が完成したのは、1896年ごろのことで、それより10年も前にその元となる戯曲「森の主」が発表されていました。当時の彼は作家としてスタートを切ったばかりで、最終版の主役である老学者の人間性が描けるとは思えません。
 19世紀の終わりに、人生の終わりを意識するようになった作家が描いたこの作品は、世紀の変化、ロシア革命の前兆、市民階級の誕生、自然環境保護の重要性など様々な面で現代文学、現代演劇の先駆となるものとなりました。

<チェーホフの時代>
 そこまで彼の作品がエポック・メイキングなものとなったのは、もちろん彼の作品のもつ質の高さ、先駆性によるのですが、彼が生きた時代との関わりも忘れるわけにはゆきません。彼は1860年生まれですから、トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフらロシアの文豪たちの作品は彼にとって「現代文学」だったことになります。彼は歴史的名作誕生の時代に生きたのです。しかし、貴族階級によって支配されていた古い国家体制のままのロシア帝国は、他のヨーロッパ諸国が工業化進める中、時代の流れに乗ることができず、経済的に厳しい状況になっていました。1880年代に入ると遅まきながらロシアでも資本主義経済が発展し始め、「資本」をもつ一般市民が力を持つことで、貴族社会とは別に市民社会が形成されつつありました。そのため、そうした経済的変化に乗り遅れた貴族は、時代遅れの農園主として没落への道をたどることになります。チェーホフの作品に登場する人物はこうした没落貴族たちです。さらに、1891年にはロシア全土を大凶作が襲い、各地で暴動が起き、農業に頼る貴族たちは一気に苦境に追い込まれることになります。
 さらに近代化の流れは、都市部に工業などが集まり、そこで働く労働者の新しい階層を形成することになりました。彼らは工場での厳しい労働環境に苦しまされ、そこから改善を求める労働運動が始まることになり、1895年には、その先駆的組織、労働者階級開放闘争同盟が結成されています。力を持ち始めた労働者たちは、政治的な影響力を発揮するようになり、1897年には工場就業時間法が制定されます。(この法律により一日の労働時間は11時間半以下と定められました)
 チェーホフが活躍した1880年代は、ロシアにとって社会が大きく変化する変わり目の時期だったといえます。

<あらすじ>
 大学の教授を引退したセレブリャコーフは、若くて美しい27歳のエレーナとともに、前妻の親から受け継いだ田舎の屋敷に住み始めていました。引退により収入が大幅に減ってしまった夫妻は、都会での生活に惹かれながらも田舎住まいを余儀なくされていました。そのうえ老齢のため、常に身体の不調に悩まされているセレブリャーコフは、その屋敷に住む住人たちに愚痴ばかりこぼし、屋敷内は常に重苦しい雰囲気に包まれていました。
 その屋敷にはセブリャコーフにその管理を任されていた先妻の兄ワーニャと先妻との間の娘ソーニャ、そして先妻の母親マリヤ、それに隣に住んでいた没落貴族のテレーギンが住んでいました。ある日、セレブリャコーフが身体の不調を訴えたため、エレーナはその周辺で唯一の医師アーストロフを呼び寄せました。医師として忙しい毎日を送るアーストロフは森の木々や動物たちを愛する環境保護活動家でもありましたが、そんな暮らしにも彼はなぜか満足できず、そのストレスを酒で晴らしていました。それは、彼が人妻であるエレーナを愛してしまったからかもしれません。
 かつては学者であるセレブリャコーフを尊敬し、彼の役に立つためならと、田舎の屋敷に住み込んで人生をそのために捧げてきたワーニャもまた40代半ばとなり、妻も子もなくこの先の人生に希望を見出せずにいました。しかし、そうした未来への不安以上に自分が人生を捧げたはずの人物が今や誰からも尊敬されず、単なる意地悪爺になってしまったことに、彼は空しさと悲しさを感じていました。そして、彼もまたセブリャーコフの妻エレーナに熱い思いを抱いていました。
 エレーナのように美しくもなくワーニャと共にその他に人生を捧げてしまったソーニャもまた単調な人生に不満を感じ、アーストロフへの密かな愛も受け入れられず、エレーナにその苛立ちをぶつけていました。
 エレーナもまた夫への不満やソーニャとの不仲など様々な問題を抱え、精神的ストレスに苦しむ毎日を過ごしていました。

・・・ついさっきドクターがおっしゃったわ、あなたがたはみんな無分別にも森を破壊しているので、近いうちに地球上にはなに一つなくなってしまうだろうって。それとまったく同じことを、あなたがたは人間に対してもなさってる - あなたがたは無分別にも人間も破壊しているので、近いうちにそのおかげで地球上には、信義も、純潔も、自己犠牲の精神も、なに一つなくなってしまうでしょう。

 この古い屋敷に広がる過去への後悔と未来への不安は、住人たちの対立によってさらに膨らみ、ついにはワーニャが銃を持ち出すに至ります。ここで多くの人は、チェーホフの有名な言葉「銃が舞台に登場したならば、それは使用されなければならない」を思い出すかもしれません。
 そして、その言葉通りワーニャは銃を撃ってしまいます。その結末は?

<「「森の主」>
 この作品には、元になる戯曲「森の主」が存在します。それは彼がまだ28歳という若い頃に書いたもので、そこには本作とは異なるいくつかの注目すべき点がありました。ここではその「森の主」の<あらすじ>に注目してみます。
 「森の主」の中の登場人物は、誰もがある意味「ワーニャ伯父さん」の登場人物よりも単純明快な人間性の持ち主です。アーストロフにあたる「森の主」は自然を愛する偉大な作家トルストイを思わせる理想主義的英雄として描かれていて、彼は小説の結末で無事ソーニャと結ばれます。そして、この小説には、もう一人、「ワーニャ伯父さん」にはない人物が登場します。それは放蕩息子のオルロフスキーという人物です。彼によって、ドラマが動かされることになります。しかし、彼もまたラストでは美しい娘と結ばれることになっていました。そして、屋敷の住人たちもまたラストには、和解に至り、基本的にハッピーエンドが用意されていました。ただし、そのためにワーニャは銃で自ら命を絶つことになります。彼がすべての罪を背負うことで物語りは大団円に至るという仕掛けでした。これはこれで、物語的にはまっとうなのかもしれません。しかし、チェーホフはこのエンディングには満足できず、それは発表されないままお蔵入りになり、10年近くたってから大きな変更を加えられ、世に出ることになりました。

<変更した「ワーニャ伯父さん」>
 大きな変更点としては、「森の主」と「放蕩息子」を合体させることで理想主義者でありながら、酒に溺れ人妻に恋をする複雑なキャラクターであるアーストロフという人物を創造したこと。ワーニャは自殺するのではなく、人を殺すこともなく、だからといって、幸福にもなれないという複雑なラストを迎えることになります。
 「森の主」で単なる若くて美しい貞淑な妻という設定だったエレーナは、アーストロフの告白に対し、時に思わせぶりな対応を見せ、女としての謎めいた部分を見せています。登場人物それぞれが当初準備されていたキャラクターよりも複雑な感情をもつよりリアルな人格をもつことになったわけです。
 さらにドラマのエンディングは、わかりやすい「死と再生」ではなく「不安の継続」により観客にその「不安」をあずけるという手法がとられることになりました。こうした「終わりなきドラマ」というのもまた近代小説のもつ重要な特徴といえるでしょう。
「銃は使用されても人が死ななければドラマは終わらない」ということでしょうか。
 こうして新しい小説、新しい演劇、新しい物語、新しい時代が始まったのです。

<チェーホフの死>
 この作品の完成版を書き上げて6ヵ月後、彼は大量の血をはき、肺結核であることが明らかになりました。といっても、もともとアーストロフと同じく医師でもあったチェーホフは自分が肺結核であることに、それ以前から気づいていたのではないかと思われています。
 彼は無心論者であり、天国の存在を信じてはなかったといいますが、この作品の中では何度も天国の存在が語られ、そこできっと神様が現世での苦労を認めてくれるはずだと語られています。

「・・・われわれのあと、百年、二百年後にこの世に生まれてくる人たち、われわれはその人たちのために営々努力して道を切り開いているわけだが - その人たちは、われわれのことを少しは思い出してくれるのだろうか?くれないよね、ばあや。」
「人間は忘れてしまっても、神さまは思い出してくれますよ。」


 それはあくまで彼の作品の中の登場人物がかってに語っているだけなのか?それとも彼自身が書かせたものなのか?
 自らの人生がこの先そう長くはないことを知っていたであろう彼の心の内を思うと、この作品が様々な苦悩を抱えながらもなお、前向きに生きようと悲壮な決意を新たにするラストを選んだ勇気に感動させられます。
 あらゆる文学は、どんな内容の作品でも必ず著者の人生を映し出すものです。そう考えると、アントン・チェーホフの人生は、21世紀の今を生きる我々と共通する様々な悩みに満ちていたに違いありません。だからこそ彼の作品は今もなお人々に訴えかける何かをもっているのです。

<今に通じる感性>
 チェーホフの環境問題への関心は19世紀の見解とは思えない先駆的なものです。

・・・人間は、自分が受け継いだものを二倍にも三倍にも増やしていく理性と創造力を授けられている。それなのに今日まで、なにも創造せず破壊のみしてきたのです。森はどんどん減っていく、河は干あがっていく、野生の動物たちは絶滅し、風土は荒れはて、土地は一日一日と醜く貧しくなっていく。・・・
 たしかにこれはぼくのおかしな妄想にずぎないかもしれん、だが農地を歩いていて、ぼくのおかげで切り倒されずにすんだ森のそばを通ったり、この手で植えつけた若木の林が風にサワサワと鳴るのを聞いたりすると、ささやかながらもここの風土に影響を与えた実感できるし、一千年後の人々がしあわせであるなら、ほんのわずかながらもぼくも力をかしたことになると思えるのだ。・・・


 しかし、そうした世界の巨視的な変化に問題意識を持つ人物が登場するのと同時に、彼の作品にはより人間の本質的な問題意識を重要視する人物も登場します。

 あなたは知性と教養をそなえたかた。だからおかわりだと思うけど、この世界を滅ぼすのは火事や殺人ではなく - 恨みや憎しみや、そういったささいな争いごとでしょう・・・あなたはみんなを仲たがいさせるのではなく、仲直りさせなければ。

 このあたりのバランス感覚もまたチェーホフの現代的感性といえると思います。そして、なおかつ、彼はこれらの様々な見解を並置しつつ、そのどれにも加担していません。これこそが、彼の作品の近代文学たる最大の理由かもしれません。

「神やペシミズムといった問題を解決するのは、小説家のなすべきことではないと思う。小説家の仕事はただ単に、だれがどのように、どんな環境で、神やペシミズムについて語ったり考えたりするか、を示すことだ。
 芸術家は、自分の創る人物たちの、そして彼らの話すことの、裁判官であってはならない、ただ公正無私の証人でなければならない。」

チェーホフ

 彼の作品が愛されるのは、過去を懐かしみ、未来の不安におびえてはいても、なお、その遠い先に人々はより良い世界を作り上げているに違いない、というポジティブな確信が存在していたからかもしれません。彼はある時、作家仲間にこんなことを語ったそうです。
「・・・自分たちの力で、それまでとはちがうよりよい生活を創り出すだろう。ぼくはその日を見られないだろうが、わかっているんだ、すべては変わり、なに一つ現状のまま残るものはないだろう、とね」

 20世紀の初め、人々は21世紀に向かいまだまだ明るい未来を描くことが可能だったのです。もしかすると、それが20世紀と21世紀のもっとも大きな違いなのかもしれません。

ワーニャ伯父さん 1896年
(著)アントン・チェーホフ Anton Pavlovich Chekhov
(訳)小田島雄志
白水社

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