「ウォールデン 森の生活 WALDEN ; OR ,LIFE IN THE WOODS」

- ヘンリー・D・ソロー Henry D. Thoreau -

<読まれざる名著>
 文学史に残る名著として有名な作品の中でも、この本ほど有名で読まれていない本もないかもしれません。実は、僕もこの本の文庫版をかなり昔に買って何度か読もうとしたものの、いつも途中でやめていました。(一度読み出した本は、ほぼ完読している僕としては非常に珍しいことです)今回、新訳本に改めて挑戦してみて、やっとこの本の全容がわかりました。やっとこの本を全部読むのは難しくて当然だということがわかりました。第一に、著者のソロー自身、僕のような日本人がこの本を読むことを期待してなどいなかったことです。

 私はこの本を、遠く離れた中国やサンドウィッチ諸島で暮らす人ではなく、ニューイングランドで暮らしているあなたを読者に想定して書きました。私にとって身近なあなたの状況、とりわけこの小さな世界、町や村に向けたあなたの外面、すなわちあなたが当たり前と思っている世間体が、本当は何を意味するかを考えたのです。

 さらに重要なのは、ソローがこの本を小屋暮らしをしながら書いたのは、彼がまだ27歳の頃のことだったことです。そして、彼は自分より年長の人々に対する不信感を表明しています。この本が書かれたのは、1854年ということですから19世紀の半ばです。ロックンロールが誕生し、「ダーティー・サーティー(汚らわしい30代)」という言葉が生まれるまで、まだ100年の時を必要としていたわけです。

・・・たとえば賢い人でも、人生の中で、当人だけでなく誰にでも役立つ絶対の価値を学べるかとなると、疑問です。本当の意味では、歳とった人は、若者が真に必要とする助言を与えることができません。なぜなら、歳とった人ですら経験は限られ、人それぞれの事情から、人生を惨めな失敗だったと思っているからです。しかし、その人の人生経験だけでは身に付けられない誠実さを育んでいる人も、おられることでしょう。そのような人こそ、実際の年齢より歳をとっているといえます。私は、この惑星の上に30年ほども生きてきました。けれども私は、年長の人から価値ある助言のひとつも貰えたためしがありません。

 2009年発表のアメリカ小説「フリーダム」(ジョナサン・フランゼン著)の中で、主人公はアメリカに移住して来た人々はみな、それぞれの国、それぞれの民族の中に納まりきらなかった人間たちだから、その子孫もまたそうした「はみ出し者」のDNAを受け継いでいるのだと語っています。確かにソローもまたその代表的な存在の一人かもしれません。ソローの「森の生活」がアメリカ人の聖書的存在なのも、マーク・トウェインの冒険小説が愛されるのも、「イージー・ライダー」などの「ロード・ムービー」が愛されるのも、スポーツ界でのドーピングがなくならないのも、小学校で乱射事件が起きてもなお銃規制が進まないのも、サッカーの人気がないのも、・・・どれもアメリカ人のDNAの成せる業なのかもしれません。
 彼は若者たちに対して、それぞれが個性的な生き方をするべきであり、親の後を継ぐことは自らを殺す行為だと批判しています。その意味で、この本はアウトドアのバイブルというよりも、「アウト・オブ・ザ・リアルワールド」(現状からの脱却)のための本といえます。彼の場合、現状からの脱出の手段が「森の生活」だったということでしょう。(たった一人アラスカの大自然の中で生き、死んでいった青年のドキュメントである「イン・トゥ・ザ・ワイルド」は、ソローの行き方を究極にまで推し進めたといえます)

・・・なぜ若者たちは、生まれた途端に墓を掘り始めるのでしょうか。若者は財産という重荷を相続した途端、手放すまいとし、人間らしい暮らしができなくなります。私は、輝かしい不滅の魂を持つ多くの若者が、間口40フィート、奥行き75フィートもの納屋と、いかに勤勉に働こうとも掃き清めようもないアウゲイアスの家畜舎、それに農場、採草地、牧場、林地からなる100エーカーの土地に足を絡め取られ、人生の道を切々と歩む姿を見てきました。相続する財産がない若者も、わずか数立法フィートの体を支えて人生を切り開くために、猛烈に働いて成果がない試練に耐えています。

<哲学を生きる哲学者>
 ソローが目指したのは、人間が生きるとはどういうことか?その原点に立ち帰る試みでした。そこから改めて人類文明を眺めてみて、どう見えるのか?何が必要で何が不必要なのか?かつてギリシャの哲学者たちは、哲学することと生きることを同時に行っていました。哲学することと生きることは彼らにとってイコールだったのです。ソローはそこに立ち帰ったわけです。

・・・今や哲学の教授はいても、哲学者はいません。現在、哲学者が尊敬されるのは、かつて哲学者として生きることが尊敬されたからです。

 資本主義社会を否定し、奴隷制を否定し、宗教を否定し、政治を否定し、国家を否定し、老人の智恵を否定し、社会的生活を否定するソローの主張はアメリカ人の考え方と必ずしも一致してはいません。
 しかし、自由と自主独立を重んじ狩猟を美徳とする彼の行き方はアメリカ人の原点だと考えられます。アメリカという国自体が若い国なだけに、若きソローの思想は若きアメリカの思想として多くの若者に影響を与えてきたのでしょう。
 例えば、彼が書いた次の詩を読むと、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を思い出してしまいます。

 人間は何でも知っている、と言う
 でも、森に入ると、そう!
 知識が、翼を生やして飛んでいく
 芸術も、科学も、どんどん飛んでいく
 何千、何万という技も、みんな翼を生やして飛んでいく
 森の私が知っているのは、ただ風が吹いているってことだけ


 この本の新訳版は、400ページほどあります。そのうちの100ページの第一章「経済」をとりあえずじっくり読みましょう。そこから先は少しずつ書かれている内容がローカルな話題になってくるので、場合によっては飛ばし読みでいいかもしれません。
 アウトドアに興味のある方はその部分とか・・・(ただし、現在の時点で彼のアウトドアの知識にそれほど価値があるとは思えませんが)
 彼が住んでいたマサチューセッツ州ボストン近郊のコンコード村と周辺の自然に興味があるなら最高です。ずいぶんピンポイントではありますが、現在のまだその地域の環境はそのまま保護されているようです。
 正直、全部読むのはよほど暇じゃないと・・・まあ「聖書」だって同じようなものですが。
 しかし、現代社会を過激に否定する青春の書であり、21世紀にも通じる書でもある本書の輝きは、今でも有効なことは確かです。

・・・人が本当に賢くなるのは、大洋を航行する船乗りや、逃亡した奴隷が絶えず北極星に目を向けるように、数学的と言っていいほど厳密に絞り込まれた目標を持てた時だけでしょう。高く明晰な目標だけが、人の生涯を導いてくれます。

<最高の贅沢をあなたも>
 実は、うちの父親もアウトドア好きで、ログハウスを小樽近郊の余市に建てました。当時、そのログハウス周辺には他に父の知り合いの小さなログハウスが一軒建っているだけで、自然に囲まれた静かな場所でした。(今はもうそうではないのが残念ですが・・・それでもウサギや狐などはいます。北海道ですから)
 その頃、冬にもそこに泊まると朝窓の外にエゾリスがいたりして驚いたものです。テレマークスキーを履いて、川沿いを3時間ぐらい登ってみたこともあります。(熊の足跡があって、ビビリました)その頃、ちょうど僕は二十代後半でした。一人で山の中に泊まって考え事をするのにはぴったりの時期でした。
 ソローのようにとはいかないまでも、すべての若者が学生時代に一人で自然の中で生活する経験をできるといいのですが・・・もちろんケイタイもネットもつながらないところで。
 芸人さんたちが、無人島暮らしをする体験は、本当にうらやましい。彼らはあの生活でどれだけ人間的に成長しているか。彼らの多くがその後、お笑いだけではなく映画や芸術の場でも活躍するようになるのも彼らが番組のために様々な体験をした結果だと僕は思います。今や、ソローのような生活をすることは、テレビの企画でなければ実現困難な大いなる贅沢だともいえそうです。
 是非、あなたも大自然の中の一人暮らしを体験してみて下さい。

「ウォールデン 森の生活 WALDEN ; OR ,LIFE IN THE WOODS」 1854年
(著)ヘンリー・D・ソロー Henry D. Thoreau
(訳)今泉吉晴
小学館

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