人種差別と家族再生、そして現代アメリカ史を描いた大作


「われらが歌う時 The Time of Our Singing」

- リチャード・パワーズ Richard Powers -
<パワフルな大作>
 偶然「オルフェオ」(2014年)を見つけて読んで以降、気がつけば4冊目の紹介となります。できるだけ、多くの作家、多くの国の作品を紹介したいと思うので、同じ作家が何度も登場することは珍しいので、4作品は異例です。単純にこの作家の作品が好きだからなのですが、彼が扱うテーマがこのサイトで扱う作品ジャンルとかぶっていることも決め手になっています。
 噂によると、リチャード・パワーズは村上春樹のライバルとされ、ノーベル文学賞の候補と呼ばれる存在になりつつあるといいいます。ちょっとうれしいです。そして今回紹介する「われらが歌う時」は、2003年に彼が発表した作品で、上下2冊1000ページになる大作です。
 正直、この作品、もうすこし短くできる気もしますし、わかりやすくもできる気がします。(この後の作品は、1冊で収まっているので、彼のさすがに長すぎると思ったのかもしれません)
 そのうえ、相変わらず説明が少なく、時間軸の移動が複雑な映画になっていて、アメリカの現代史がわかっていないとついて行くのがつらいかもしれません。おまけに分厚いので、読み進めるのにちょっと苦労するかもしれません。
 でも、よくわからなくても、とにかく読み進めて下さい。必ず面白くなってくるはずです。黒人音楽&カルチャー、科学史、アメリカ史などに興味があるなら間違いないはずです。

<複数のテーマ>
 この作品が扱う重要なテーマとして最初にあげるべきなのは、「人種差別の歴史」でしょう。今や、アメリカにおける「人種差別問題」は、日本人である我々にも様々な映画や小説、ニュースなどによってかなり知られています。でも、その事実を自分のものとして考えられるだけの知識も感覚も、我々にはないはずです。そのことを、この分厚い小説はじっくりとページ数をかけて、読者に説明してくれます。そして、この作品ではさらに別の大きなテーマが扱われています。人種差別の中で発展を続けた「黒人音楽の歴史」と第二次世界大戦で使用され冷戦時代のきっかけとなった核兵器を生み出した「素粒子物理の歴史」、それに物理学が研究を続けている「時間と空間」そしてそれらの歴史と「音楽」との関りが描かれています。

<人種差別の歴史>
 例えば、「人種問題」と「音楽」についてだと・・・

 アフリカ、アジア、ヨーロッパ、アメリカが衝突した。これらおびただしい色彩の断片はその衝突の結果だった。かつては、世界に存在する孤立地帯と同じ数だけの肌の色が存在していた。しかし、現代において、肌の色の種類はその何倍にも増えていた。人間はどこまで微妙な色彩の差異を識別することができるのだろうか。この多和音、多調性の音楽は主音と属音を判別するのもやっとだという程度の音痴の聴衆のために演奏されていた。しかし、一音階に所属するありとあらゆる音程が、そして、それぞれの音程の間に存在する微小音程が、勢揃いして、母の葬儀に参列していた。

<黒人音楽の歴史>
 例えば、「音楽」が描き出す「現実」もしくは「過去」の出来事とのかかわりについては・・・

 音楽というのは他者なのです。音楽というのは私たちの外部からやってきて、またその外部へ帰っていくのです。己を無にすること、彼女はジョナを突き飛ばしたかと思うと、今度は胸ぐらを掴んで自分の方へ引き寄せるから、ジョナはよろよろする。「歌を歌う理由はそこにあるのです。今まで世界で起きた出来事の99.99・・・%は何世紀も前に死んでしまったあなた以外の人物の身に起きたことです。ですが、もし自分の中に空っぽの空間を作り出すことができるなら、何もかもそこで甦ることができる」・・・

 そうかと思えば、「音楽」を「物理学」それも「素粒子物理学」を理解するために用いるというSF的手法も描かれます。(ここが彼の作品に共通する大きな魅力です)

・・・彼に問題の処理で助けてもらう同僚たちは彼にまとわりついてはなれない。彼らは、デイヴィッドがいつもどのようにして何もかもが整然と一致する角度を、一瞬のひらめきとともに、見つけ出すのか教えてくれとせがんでくる。
 「いい聞き役になることですよ」と彼は言う。素粒子、力、場が数字の流れを拘束する曲線に従うのなら、時間の中では精妙な音楽を奏でているに違いない。「目で考えている。それがあなたの問題点ですよ。五次元かそれ以上の空間の平面の上に、四つの独立変数を投射しているところなど、目に見えるわけがないでしょう。けど、慣れた耳には、その和音が聞こえてくるんですよ」


 もちろん彼は「音楽」そのものを再定義しようとも試みています。それも「物理学」の思考法で・・・。

 楽譜ほど奇妙なものもないだろう。時間の指標なのだ。こんなに突拍子もないアイデアを思いついた人物がいたなんて、ほとんど奇跡と言っていい。固定された指示を守ることで、同時性を再現できるのだ。流れをつくる。その流れは運動であると同時に瞬間でもあり、連続体で流れは運動であると同時に断面でもある。あなたがそれをやっている間に、あなたとあなたとあなたは別のことをやっている。楽譜は旋律そのものを記録するわけではない。旋律の動くポイントとポイントの間の空間を記述するだけだ。そして、ある一つの曲が全体としてどのような総計に達するのか調べるためには、それを演奏する以外に方法がない。

 こうした「音楽」についての直観的理解力を主人公は両親から受け継ぎ、それを歌に生かすことになります。天才しか見いだせないそんな音楽の秘密に迫るのも、彼の作品のもつ大きな魅力です。

 時間が凍り、凝視し、秒が、分が、時が、年月が経過し、自分の居場所に見つける。時間とは、紐ではなくて紐の結び目のようなものだということを父は発見する。私たちの歌も同じだった。一直線ではなくて、結び目になっていた。すでに歌った部分とハーモニーを結び合わせ、まだ歌っていない未来の夜に伴奏を提供した。ちょうどその夜だったと思う。ジョナがついに和声の秘密言語を解読し、両親たちの「クレージー引用合戦」に乱入する。・・・


<家族の崩壊と再生>
 こうした「音楽」「時間」「人種問題」についての考え方は、「時代」により、「世代」により、「性別」により変化します。特にアメリカにとって激動の時代だった1950年代から1970年代にかけては、その変化が大きく、それが家族をバラバラにすることにもなってしまいます。
 生き方も、住む場所も、考え方も異なる父母と子供たちの関係を再び一つにすることはできるのか?そうした「家族」の問題というより普遍的なテーマこそが、この作品最大のテーマかもしれません。

「時間が何か知っているか?」父の声はあまりに柔らかく、私は自分の聞き間違えではないかと一瞬思う。「時間というのは何もかもが同時に発生するのを防ぐために人間が使用する道具なんだよ」
 ずっと昔、私が声変わりした年に父から教わった答えを返してやる。「時間が何か知ってる?時間っていうのはね、物事が次から次に起きていくっていうだけの話なんだよ」


 父はいまだにその子供なのであり、私はすでにその子供であることを止めつつある。父の顔はとんでもないスピードで回転するので、彼の時計はほとんど止まってしまったのだ。私たちに質問を機関銃のように浴びせかけ、私たちにはその半分も答えることができない。そんな毎日だった。こちらも疲れてくる。時間が物質だということはあり得るだろうか?時間が斜めに傾いているということはあり得るだろうか?煉瓦の壁のように、時間にも継ぎ目があるのではないだろうか?水が下流から上流へ向かって流れる日がいつかやってくるだろうか?


「われらが歌う時 The Time of Our Singing」(上下) 2003年
(著)リチャード・パワーズ Richard Powers
(訳)高吉一郎
新潮社
<あらすじ>
 音楽学校に通う黒人女性ディーリアは、黒人ゴスペル歌手マリアン・アンダーソンの歌を聞くためにワシントンを訪れ、そこでユダヤ人の白人男性デイヴィッドと知り合い、恋に落ちます。そして、両親の反対を無視して、彼女はアインシュタインらと共に「時間」についての研究を行う物理学者デイヴィッドと結婚。ジョナ、ジョーイ、ルース3人の子供をもうけます。しかし、当時のアメリカでは、白人と黒人の結婚は州によっては犯罪とみなされる危険な行為でした。そのため、二人は混血の子供たちを学校に通わせず、家で育てて行く決断をします。そのことを知ったディーリアの父親は、現実から逃れるような二人の判断を批判し、二人との関係を断ってしまいます。
 それでも両親から音楽の才能を受け継いだ兄弟二人は、クラシック音楽の世界で、声楽家とピアニストとして活躍し始めます。しかし、そんな二人の兄とは異なり妹のルースは、公民権運動で盛り上がる時代の中で、異なる道を歩み始め、ブラックパンサー党に入党し、行方が分からなくなってしまいます。
 兄弟は、家族から孤立し、さらには黒人社会からも孤立し、兄は一人、ヨーロッパへと移住。クラシック以前の古い教会音楽の再現を目指す声楽グループのメンバーとなり、アメリカでの過去を捨て去ることになります。アメリカに残こされた弟は、アトランティックシティーのバーでピアノ弾きとして生活する寂しい人生を歩みます。
 バラバラになってしまった家族は、再び出会うことはあるのでしょうか?
 1940年代から20世紀末まで、アメリカにおける人種差別問題にかかわる歴史を背景に家族中心にした大河ドラマが展開します。
 2008年、アメリカでは黒人の大統領が誕生しました。この急激な変化は著者も予想できなかった変化かもしれません。しかし、その結果、人種差別はなくなったのかというとけっして改善はなされず、トランプ大統領という反動的大統領を誕生させることにもなります。
 今再びアメリカでは「人種差別」の問題が重要なテーマとなりつつあります。それはオバマ大統領という黒人初の大統領から人種差別主義者トランプ大統領への交代によって決定的なものとなりつつあります。
 でも、かつてユダヤ人を虐殺したヒトラーが実はユダヤ人の血を引いていたらしいといわれるように、アメリカの白人で黒人の血が一滴も入っていないと言い切れる人など決してないのです。

「白人たちは自分が白人だということを証明しなければならない。一番最初の祖先までね。そんなこと、誰にできる?」
 甥は私を品定めするようにじっと見つめた。彼の伯父は狂っていて救いようがない、と思っているようだった。
「頭おかしいよ、俺が何言っているのかさえも理解できてないじゃん」
 ロバートがそこで両手を上げた。
「人類の起源はエチオピアにあり!」


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