- ウォーレン・ジヴォン Warren Zevon -

2003年9月9日追記

<ロック界のサム・ペキンパー>
 ウォーレン・ジヴォンのことを「ロック界のサム・ペキンパー」と言った人がいたとか。「ワイルド・バンチ」「ガルシアの首」「ビリー・ザ・キッド」「わらの犬」「ゲッタ・ウェイ」「砂漠の流れ者」(マイ・フェバリット・ムービーのひとつ)などの傑作を生み、暴力と男の美学を追究し続けた70年代を代表する映画監督。ハリウッドからのはみ出し者として、孤独な作家生活を余儀なくされながら、かつての黒沢明のように素晴らしい俳優達に囲まれた幸福な監督。そんなサム・ペキンパーの映画に似た暴力描写と社会性が、彼にそのあだ名をつけさせました。しかし、彼自身のアウトロー的な生き方自体の方が、サム・ペキンパーのそれと似ていたとも言えそうです。

<ロック界のフィリップ・K・ディック>
 もうひとつ、僕は彼は「ロック界のフィリップ・K・ディック」だとも思っています。「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」「ヴァリス」それにあの映画「ブレード・ランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見ない」の原作者フィリップ・K・ディックは、ハード・ボイルドな作風で神と人間、それにロボットたちとの区別ができない不気味な近未来を描き続けたSF界が生んだ異色の天才作家です。僕は以前から、そんなディックの小説の孤独な主人公には、なぜかウォーレン・ジヴォンがぴったりに思えて仕方ありませんでした。ついでながら、ディックは、かつてまったく売れなかった時代にレコード店で働いていて、同じく無名だったリンダ・ロンシュタットイーグルスに早くから目をつけていた元祖ウェスト・コーストロック・ファンでもありました。その頃、彼はウォーレン・ジヴォンのデビュー・アルバムも聴いていたに違いないのですが、それを聞いてどう思ったのか?ディックが死んでしまった今となっては、残念ながらそれはもう謎のままです。

<ウォーレン・ジヴォンという男>
 ウォーレン・ジヴォンは、1947年1月24日シカゴに生まれました。父親はロシアからの移民で、なんと旅から旅へのギャンブラーだったといいます。それでも、彼が中学生の頃には、ロスアンゼルスに落ち着き、そこで彼はクラシック音楽を学び始めていました。そしてこの頃、彼の父と同じようにロシアから移民してきた天才作曲家ストラヴィンスキー「火の鳥」はロック・ファンにもお薦め)のもとを訪れ、学んだこともあったといいます。しかし、彼はクラシック音楽の道へは、結局進みませんでした。時代の流れは、フォークそしてロックへと彼を向かわせたのです。彼はボブ・ディランを目指し、一時はニューヨークに出ますが、上手く行かず、再びロスに戻ってきます。

<ロスとウォーレン・ジヴォン>
 彼にとって、ニューヨークの街はあまりに自分の正確に合いすぎていた、と後に彼は述べています。彼は「ロスの青い空のもと、分厚いカーテンを掛けた部屋にいる方が自分には合っているのさ」そう言っています。実に、彼らしい発言です。
 1965年頃から、彼はロスでロック・ミュージシャンとしてのキャリアを本格的にスタートさせ、同時に作曲活動も始め、タートルズなどに曲を提供しています。(彼自身、自分はミュージシャンというより、ソングライターだとも言っています)

<二度のデビュー>
 こうして、彼は1970年ついにソロ・デビュー・アルバム"Wanted Dead Or Alive"を発表し、その中の曲"She Quit Me"は、ダスティン・ホフマンとジョン・ボイトの出世作でありジョン・シュレシンジャー監督の代表作でもある「真夜中のカウボーイ」のサウンド・トラック・アルバムに収録され、注目を浴びます。しかし、彼自身のアルバムの方の売れ行きはさっぱりで、彼は一人スペインへと放浪の旅に出かけてしまいます。ところが、持つべき者は友です。親友のジャクソン・ブラウンが、彼のために自らが所属するアサイラム・レコードと話しをつけていてくれ、1976年そのジャクソン・ブラウンのプロデュースのもと、再デビュー・アルバムとも言える"Warren Zevon /さすらい」を発表することができたのです。

<再び低迷の時代へ>
 その後、彼は"Exitable Man"(1978)(このアルバムからは、「ロンドンの狼男 Werewolves Of London」がヒット!),"Bad Luck Streak In Dancing School"(1980),"Stand In The Fire"(LIVE),"The Envoy"(1982)とコンスタントにアルバムを発表して行きます。しかし、その売れ行きは今ひとつで、ついにアサイラムから一方的に契約を破棄されてしまいます。そのショックで彼はすっかり落ち込んでしまい、その後5年間音楽活動から遠ざかってしまいました。もともと父親譲りのウォッカ・ドランカーだった彼は、アルコール中毒で入院したこともあり、この間彼は、かなりすさんだ生活をしていたようです。しかし、それでもやっぱり、持つべきものは友でした!

<3度目のデビュー作「センチメンタル・ハイジーン」>
 そんなどん底の彼を救い出したのは、やはりウェスト・コーストを代表するミュージシャンのひとり、ジョン・デヴィッド・サウザーでした。彼は、ウォーレン・ジヴォンを精神的に支えながら再び音楽活動へ向かわせたのです。さらにこの頃出会ったプロデューサー、アンドリュー・スレイターは、自分の出身地ジョージアの大学時代の同級生、REMのメンバーをウォーレン・ジヴォンに引き合わせます。ジヴォンのもつ硬派で社会的メッセージをもつスタイルは、REMがデビュー以来貫いてきた音楽性と共通するものがあっただけに、彼らはさっそくセッションを開始。そして彼の3度目のデビュー作とも言えるアルバム"Sentimental Hygiene"が完成しました。(1987年)そして、この作品によって、彼は見事に復活したのです。(この後のアルバム「トランス・ヴァースシティ」も良かった)

<やっぱり持つべきものは友だ!>
 「センチメンタルな遺伝子」というタイトルもまた実に彼らしいのですが、ハード・エッジなロック・ナンバーの数々は、REMのパワーが乗り移ったかのように未だかつてない力強さに満ちていました。そして、このアルバムには、かつてのサム・ペキンパー作品のような豪華な脇役陣が配置されています。REMはもちろん、ボブ・ディランニール・ヤング、ドン・ヘンリー、ジェニファー・ウォーンズ、ジョージ・クリントン、デヴィッド・リンドレー、ワディ・ワクテル、元ストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーなど、実に豪華です。彼はファンには恵まれなかったのですが、間違いなく友人達には恵まれていたようです。

<最後に>
 誰もが知っている大物アーティストたちの中に、彼のような貴重な存在を仲間入りさせられるというのは、まさに私の喜びとするところです!もしかしたら、このことのために僕は苦労して、パソコンに毎日向かっているのかもしれないなあ、ふとそう思ったりしました。

<締めのお言葉>
「私は胸の中にいっぱい怒りをかかえている。昔からずっとそうだった。先週かかりつけの医者から、また血圧が上がったし、今度は心臓にも合併症があるようだ、と言われた。私はかっとなった。死を見ると、私はかっとなる。人間や動物が苦しんでいるのを見るとかっとなる。飼い猫が死ぬと、本気で神を呪う。神に対して、無性に腹が立つ。ここへ引きずりおろして、問いつめた上で、こう言ってやりたい。この世界は狂っている。人間は罪を犯して墜ちたんじゃなく、突き落とされて-それだけでもひどい話しだが-その上おまけに、おまえたちは、根っからの罪深い生き物だという嘘を信じこまされたんだ。人間は絶対にそんな生き物じゃない、と」
P・K・ディック 「P.K.ディック傑作選」より

<緊急追記:2003年1月17日>
 ウォーレン・ジヴォン・ファン・サイトを見せていただき、彼が末期癌と闘っていることを知りました。彼のもしかすると最後になるかもしれないアルバムがこの夏に発売される予定だそうです。
詳しくは、そちらのサイトを是非ご覧下さい!

<ご冥福をお祈り致します:2003年9月9日>
 9月7日、ウォーレン・ジヴォン氏はこの世を去りました。自宅で仮眠中に静かに逝ったそうです。ヒットに恵まれなかったことが嘘のように、新作アルバム「ザ・ウィング The Wing」がヒットしているということで、彼も天国で一世一代の皮肉な笑顔を浮かべていることでしょう。
 ジャクソン・ブラウンやライ・クーダー、トム・ペティー、ブルース・スプリングスティーンなどとともに最後の力をふりしぼったアルバムを完成させての最後は、きっと幸福だったに違いありません。僕も、彼のように幸福な死を迎えられるよう生きたいと思います。
 ご苦労様でした!
<ウォーレン・ジヴォン・ファン・サイト>

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