「西部戦線異状なし All Quiet on The Western Front」

1930年

- ルイス・マイルストン Lewis Milestone -

<1930年という時代>
 今回、20世紀の映画を振り返る中で改めて見て感心させられた映画が何本もありました。その中でも、1930年公開のこの映画には正直驚かされました。ずっと昔に見たことはあったのですが、改めてじっくりと見てみるとカメラのアングルや俳優の演技、それに画面全体のリアルさなどまったく古さを感じさせない部分が多く、映画全体に貫かれた平和主義の力強い意志にも感動させられました。ここで先ずはこの映画が公開された1930年という年が映画の歴史においてどんな年だったのか、ちょっと振り返ってみます。
 映画史初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」の公開が1927年。世界初のトーキー・アニメとなったディズニーの「蒸気船ウィリー」と100%トーキーとなった最初の映画「ニューヨークの灯」、この二本の映画が公開されたのが1928年。ミュージカル映画の第一号「ブロードウェイ・メロディ」が公開されたのが1929年。前の年から始まったアカデミー賞で、この作品は第二回目の作品賞を受賞しています。そして、1930年この映画「西部戦線異状なし」が公開されたわけです。そう考えると、この映画がいかに古いのかがわかります。この映画で描かれている第一次世界大戦が終ったのが1918年、その後一時的にとはいえ世界は平和を取り戻していました。
 だからこそ、エリッヒ・レマルク Erich Remarqueによる実録反戦小説を映画化することが可能であり、その平和主義に共感する人々がこの映画を第三回アカデミー賞の作品賞に選んだのです。このタイミングは今振り返ると奇跡的なものだったかもしれません。なぜなら、1930年といえば世界大恐慌の年です。この年を境に再び世界は経済危機から始まった国際間の対立、そして世界大戦の始まりに向かって急激にその混乱の度を深めてゆくことになります。そんな中からアドルフ・ヒトラーが頭角を現し、彼に象徴されるファシズムによる世界征服を阻止するという大儀の前に反戦思想は臆病者の逃げ口上と見られることになってゆくのです。

<ルイス・マイルストーン>
 この映画の監督ルイス・マイルストーン Lewis Milestoneは1895年9月30日ロシアに生まれました。その後、ベルギーの大学を卒業した後、アメリカへと移住した彼は第一次世界大戦中軍隊に入り、新兵のための教育映画の製作に関わることになりました。戦後、彼は戦時中の映画製作の経験を生かそうとハリウッドで働き始めました。編集者、脚本、助監督などの下積みを経て、1925年コメディー映画「裏表七人組」で監督デビュー。1927年の「美人国二人行脚」では記念すべき第一回目のアカデミー賞におけるコメディー映画監督賞を受賞しています。彼はここまではコメディー映画専門の監督でしたが、1928年公開のギャング映画「暴力団」でのリアリズム手法が高く評価されたため、しだいにシリアスな文学作品を映画化するようになります。そして、1930年エリッヒ・レマルクの小説「西部戦線異状なし」を映画化、見事この年のアカデミー作品賞、監督賞を受賞。文句なしにアメリカNo.1の監督になったのでした。
 その後も、1931年、後にビリー・ワイルダーによって「フロント・ページ」というタイトルでリメイクされることにもなる傑作「犯罪都市」を監督。その後、名作文学の映画化作品としては、サマセット・モームの「雨」(1932年)、ジョン・スタインベックの「廿日鼠と人間 」(1939年)、エリッヒ・レマルク原作の「凱旋門」(1948年)などを監督しています。しかし、「西部戦線異状なし」のイメージが強烈過ぎたこともあり、戦争映画を撮らされることが多く、そのうえ、そのほとんどが単純な戦争映画だったため、その後、新たな傑作を撮ることはできませんでした。(当時は今のように監督が作品を自由に選べる状況にはありませんでした)それでも、1960年の「オーシャンと11人の仲間」はそんな中でも晩年の傑作として評価され、後にスティーブン・ソダーバーグによって「オーシャンズ11」としてリメイクされて世界的な大ヒットとなります。

<リアリズムへのこだわり>
 彼の映画の特徴のひとつとしては、リアルな映像にこだわると同時にリアルに見えるように工夫した「カメラの動き」にありました。例えば、彼は戦場のシーンを撮る際に新聞記者を登場させ彼の視線と同じようにカメラを動かしました。観客の視点をその記者に合わせることで臨場感を出そうというわけです。
 しかし、この映画の場合は、こうした動きのあるカメラの映像ではなく固定されたカメラの前での演出が印象に残ります。それも背景には、常に窓やドア、塹壕の入り口など、外界との境界線があり、それが実に効果的な役目を果たしています。
 例えば、この映画のオープニング。学校の教室で生徒たちが教師のプロパガンダに乗せられて戦場へと向かう決意を口々に叫ぶシーンがあります。この場面では教師の後ろに大きな窓があり、その窓の向こうを軍隊が勇ましく行軍してゆく様子が見えてくるのです。この窓は主人公たちの未来をのぞく窓の役目を果たしているのです。次に場面では、その窓が軍の兵舎の門に変わり、それが閉じられて彼らの厳しい訓練が始まることになります。その後、彼らが戦場に向かうと、次なる場面は彼らが築いた地下の塹壕で展開することになります。そして、その塹壕内の部屋の入り口が重要な背景となります。初めに登場した教室の窓からは外の景色が眺められましたが、地下塹壕の入り口からは何も見えません。それどころか、敵軍の攻撃により、この入り口は崩れ落ちてしまうのです。そこは、死に行く兵士たちにとって墓場への入り口でもあったのです。こうした、窓や入り口の象徴的な使い方は実に見事です。

<第一次世界大戦>
 この映画から50年後の1981年、同じ時代を描いた映画が再びアカデミー監督賞を受賞しました。マイルストーン監督の故国ロシアの革命を描いたウォーレン・ビーティ監督作品「レッズ」です。この映画では、同時進行していた第一次世界大戦についても描かれていて、主人公であるアメリカ人記者のジャック・リードがこの戦争についてこう述べています。
「第一次世界大戦は金持ちの利益のために行われている戦争である。アメリカはモルガンなどの大手銀行が英仏に巨額の資金を貸し付けているため、ドイツに負けてしまっては困るのだ。そのおかげで、貧しい労働者たちが金持ちの身代わりとなってにヨーロッパへ向かわされることになるのだ・・・・・」
 こうして、当時のアメリカでは反戦運動イコール労働運動となり、ロシア共産党政権との共闘へと広がることにもなっていったのでした。(しかし、ロシア共産党によってアメリカの社会党は分裂、労働運動全体が弱体化してゆくことになります)
 民主主義の国、アメリカがまだ輝きをみせていた1930年。この映画はそんなアメリカの輝きを象徴する作品だったともいえます。国全体が輝いていたからこそ、時代を越えて平和主義を訴えることのできる名作が生まれたのかもしれません。
 ジャン・ルノワールは、この映画についてこう語っています。
「戦争映画はどれもこれも戦場の臨場感を感じさせない駄作ばかりだが、唯一「西部戦線異状なし」だけは例外だ」
 そして、その傑作に挑戦するべく第一次世界大戦を描いたもう一本の傑作を撮ります。それが映画史に残るもう一本の傑作「大いなる幻影」(1937年)です。

<反戦運動の誕生>
 この映画で主張されている反戦論という概念は、実はこの時期初めて一般的なものになったといえます。では、それまで反戦運動というものはなかったのか?意外なことに、実質的にそれはなかったようなのです。なぜなら、第一次世界大戦以前の戦争は、直接的に利害が対立する人々同士の戦争であり、戦闘に参加する兵士は皆、自分の意志に基づいて参加していました。それは宗教的信念によるものだったり、報奨金目当てのものだったり、領地を獲得するためのものだったり、自分がつかえる君主の栄光のためだったりと様々な理由によるものでしたが、ある意味好きで参加していたのです。当然、闘いたい人間だけが闘っているのですから反戦運動など起こる理由もなかったわけです。ところが、第一次世界大戦から「戦争」の性格が大きく変わりました。
 セルビアとオーストラリア、二つの国の皇帝同士が始めた戦争自体は旧来の戦争と大差ありませんでした。しかし、オーストリアのバックにドイツが、セルビアのバックにロシアがついたことで小さな戦争はそれまでの戦争の枠を越えてしまうことになります。それぞれの国が助っ人を頼んだため、直接的に利害がからまない国にまで戦争の輪が広がり、それぞれの国は「ナショナリズム(国粋主義)」という新しい概念を持ち出し、国民たちを戦場へと駆り出すようになったのです。こうした状況が生まれる中で、初めて「なぜ、我々は戦争をしなければならないのか?」「そもそも、我々は何のために戦争をしているのか?」「このまま戦争を続けて、未来の社会は良くなるのか?」という当然の疑問を感じ、その真実を追究しようとする人々が現れるようになるのです。
 そして、そうした疑問を感じながら、それを小説という形で世に問いかけたのが、この映画の原作者エリッヒ・レマルクだったのです。ここまで、戦争の悲惨さをリアルに描き出せたのは、実際に第一次世界大戦に兵士として参加した原作者エリッヒ・レマルクの小説の力による部分が大きいでしょう。その意味では、この映画は原作者が実際に戦争を体験したからこそ生まれた作品だったともいえます。(この映画は実体験をもとにした戦争映画「プラトゥーン」や「シン・レッド・ライン」などの原点だったともいえます)
 この映画が公開された際、世界各地でその反戦的な内容が問題視されました。
 日本では厳しい検閲により、主人公のポールが母校の教室で戦争の悲惨さを訴えるシーンなど、反戦的イメージを感じさせる部分はことごとくカットされて公開されました。この映画の舞台となったドイツでは、この映画の内容について右派と左派が激しく対立。ついには暴力事件が起きるに至り、映画の公開自体が中止されてしまうことになりました。

「西部戦線異状なし All Quiet on The Western Front」 1930年公開
(監)ルイス・マイルストン
(製)カール・レムリ・Jr.
(原)レリッヒ・レマルク
(脚)マックスウェル・アンダーソン、デル・アンドリュース、ジョージ・アボット
(撮)アーサー・エディソン
(音)デヴィッド・ブロークマン
(出)リュー・エアーズ、ウィリアム・ベイクウェル、ラッセル・グリーソン、ルイ・ウォルハム

<あらすじ>
 第一次世界大戦中のドイツのある高校。教師が愛国心を説き、生徒たちもそれに熱狂的に共感し、何人もの生徒が入隊を志願します。ポール(リュー・エアーズ)、ケンメリッヒ、ベームと同じ部屋となり新兵としての訓練を受けます。彼らを指導するのは町の郵便配達人だったメルスト曹長。厳しい訓練を受けた後、彼らは戦場に向かい、そこでベテランのカチンスキー(ルイ・ウォルハイム)にかわいがられ、なんとか生き延びてゆきます。それでも仲間の兵士たちは次々に死んで行き、彼自身も塹壕に侵入してきたフランス兵を銃剣で刺し殺します。ところが、そのフランス兵が落とした彼の妻子の写真を見て彼はショックを受けます。
 負傷休暇をもらい故郷に帰ったポールは母校に立ち寄りました。そこではあの教師が相変わらず戦争を讃えていました。それを見て、ポールは教室で戦争の悲惨さを訴え、教師や生徒たちを失望させました。戦場に再びもどった彼でしたが、カチンスキーが戦死。長い雨の後のある日、彼は誰かが吹くハーモニカの音色を聴きながら、どこからともなく飛んできた蝶を獲ると手を伸ばしたところを狙撃兵に撃ち殺されてしまいます。その日の司令部への報告はいつもの日と同じでした。
「本日、西部戦線異状なし」 

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