「ウエストサイド物語」 1961年

- ロバート・ワイズ Robert Wise、ジェローム・ロビンス Jerome Robbins -

<ミュージカル映画>
 ミュージカル映画の原点はトーキー映画の歴史でもありました。なぜなら、サイレント(無声映画)からトーキーへと映画のシステムが移り変わる際、音楽とドラマが一体化したミュージカルは台詞の吹き替えを必要とする普通の映画より製作が容易だからです。極端に言えば、映像に合わせてレコードをかておけば、それでミュージカル映画として成立していたわけです。おまけに、アメリカにはブロードウェイを中心とするミュージカル劇がすでに発展していたため、それを映画化することでアイデアに困ることもありませんでした。
 この年に公開された「ウエストサイド物語」もまたブロードウェイのヒット・ミュージカルとして、1957年に上演されロングラン・ヒットを続けていた作品の映画化でした。ただし、それはミュージカル映画の新しいスタイルを示し、その後のミュージカル映画の未来を予言するものでもありました。

<ジェローム・ロビンス>
 この映画のオリジナルとなったミュージカルの原案を書いたのは、映画版の共同監督もつとめ、振り付け担当もしているジェローム・ロビンス Jerome Robbinsです。彼はシェークスピアの最も有名な戯曲「ロミオとジュリエット」を人種問題をからめてニューヨークの現代に持ち込むことで、まったく新しいドラマを生み出しました。彼は1918年10月11日ニューヨークのマンハッタンに生まれた生粋のニューヨーカーです。当時のナンバー1人気ミュージカル・スター、フレッド・アステアに憧れた彼はダンサーを目指して、アメリカを代表するバレエ・ダンサーのアントニー・チューダーからダンスを、演劇界の巨匠エリア・カザンからは演技、演出を学びました。1940年にはアメリカン・ダンス・シアターのソリストになり、頭角を現すと1944年26歳にして振り付け師としてもデビュー。レナード・バーンスタインが作曲したミュージカル「ファンシー・ケリー」の振り付けを行い、いっきに注目されることになりました。この作品は後に、ジーン・ケリーとフランク・シナトラの主演によって映画化され、「踊る大紐育(ニューヨーク)」(1949年)として公開され大ヒットしています。
 1949年、彼はニューヨーク・シティー・バレエ団の副バレエ・マスターとなり、ダンス界の中心として活躍し続けると同時に次々に傑作ミュージカルを発表することになります。特に有名なミュージカルとしては「王様と私」(1951年)、「ウエストサイド・ストーリー」(1957年)、「屋根の上のバイオリン弾き」(1964年)などがあります。映画版の「ウエストサイド物語」には、彼はロバート・ワイズとの共同監督として参加。もちろん、振り付けも担当することでこの作品を成功に導きました。
 つい最近「ジェローム・ロビンスが死んだ」という本が出ました。その本には彼がユダヤ人であり、共産主義者であり、同性愛者だったことが書かれ、そのために「赤狩り」の際、エリア・カザンと同じように仲間を売ってしまい生涯苦しんだということが書かれています。なるほど、この映画のもつメッセージ性がそれまでのミュージカル映画とまったく異なるものだったのは彼の人生観が生み出すものだったのでしょう。ミュージカル映画を「ウエストサイド物語」の発表以前と以後で分けることは、映画界における「赤狩り」以前と以後を分けることでもあったのかもしれません。

<ミュージカル版>
 この映画のもとになったミュージカルは、1957年ワシントンDCで初演されました。原案と振り付けはジェローム・ロビンスで、台本はアーサー・ローレンス Arthur Laurentsとスティーブン・ソンダイム Stephen Sondheim、音楽はレナード・バーンスタイン Leonard Bernsteinが担当しています。舞台版と映画版は曲の使い方や順番、長さなどかなり違いがありますが、特に大きな違いは、映画版にのみ登場するアイスの存在でしょう。アイスはジェット団の副団長でシャーク団との決闘で代表に選ばれた背の高い青年です。決闘で生き残った彼は、すぐにでもシャーク団を襲おうと熱くなる団員たちを落ち着かせるために、この映画の名曲のひとつ「Cool」を歌い後半部分での重要人物となってゆきます。それに対して、舞台版では「Cool」は決闘を前に団長のリフが団員たちを落ち着かせるために歌っていてアイスという人物は存在していませんでした。映画版で加えられたこのアイスの役は、決闘の後ドラマを再び盛り上げるのに非常に有効な役割を果たしています。この役を演じたタッカー・スミスは元々ミュージカルの俳優で、ミュージカルの俳優ではなかったリチャード・ベイマーに代わってトニーの歌の吹き替えも担当しているのだそうです。
(ところで、偉大な漫画家、石森章太郎のライフ・ワークだった「サイボーグ009」に登場するニューヨーク出身のサイボーグ002はたぶんこのアイスがモデルだと思うのですが?わし鼻とスリムな身体つきにクールな性格はまさにアイスといっしょだと思うのですが・・・)

<ロバート・ワイズ>
 この映画を前述のジェローム・ロビンスと共同で監督したロバート・ワイズ Robert Wiseは1914年9月10日インディアナ州ウィンチェスターに生まれています。どうやら真面目な青年だったわけではなくフランクリン・カレッジに入学するものの祖業の悪さから強制的に中退させられてしまった経歴があります。仕方なく働くことになった彼は兄の口利きで当時大手だった映画会社RKOに編集アシスタントとして入社。1939年には編集担当として一本立ちし、1941年発表の映画史に残る傑作「市民ケーン」や同じオーソン・ウェルズの「偉大なるアイバーソン家の人々」(1942年)などの編集を担当し、早くもその才能を発揮していました。(映画史におけるベスト1の傑作「市民ケーン」の編集者だというだけでも、十分に歴史に名を残せるかもしれません)

 1944年「キャット・ピープルの呪い」でいよいよ監督デビューを飾りましたが、10日間で撮ったというサイコ・スリラーの原点ともいえるこの作品は後にポール・シュレイダーによって「キャット・ピープル」としてリメイクされることになります。当初はRKOお得意のジャンルでもあったホラーやB級犯罪映画ばかりを撮っていましたが、しだいにその幅を広げてゆき、あらゆるジャンルをカバーすることのできる監督のひとりになりました。物語の時間と上映時間を一致させることでスリリングな雰囲気を盛り上げ彼の名を知らしめることになった初期の傑作「罠 The Set-up」(ロバート・ライアン主演)はボクシング映画でしたが、彼はその他にもボクシング映画の傑作でありポール・ニューマンの出世作ともなった「傷だらけの栄光」(1956年)も撮っています。ハードボイルドものの傑作としては、やはりロバート・ライアン主演の「拳銃の報酬」(1959年)が有名です。さらに彼が得意としていたジャンルにSFもあります。SF映画初期の名作「地球の静止する日 The Day the Earth Stood Still」(1951年)、それに後に「ウエスト・ワールド」や「ジュラシック・パーク」、「ER」などの原作者として知られることになるマイケル・クライトン初期の名作を映画化した「アンドロイド病原菌 The Andromeda Strain」(1971年)、そしてあの有名なスタートレック・シリーズの映画化第一作「スタートレック Star Trek」(1979年)もまた彼が監督しています。歴史ものなら「トロイのヘレン Helen of Troy」(1955年)、法廷ものとしては、スーザン・ヘイワードにアカデミー主演女優賞をもたらした死刑制度に対する問題提起を行った「私は死にたくない I Want to Live」(1958年)、戦争ものとしては、マコ岩松にアカデミー助演男優賞をもたらしたスティーブ・マックイーン主演の「砲艦サンパブロ The Sand Pabbles」(1966年)。サスペンスものの作品としては、ヒンデンブルグ号墜落事故の真相を追究したジョージ・C・スコット主演の大作「ヒンデンブルグ The Hindenburg」(1975年)も忘れられません。しかし、何といっても彼の名を歴史に刻んだ二つのミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」と「サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music」(1965年)こそが彼の代表作というべきでしょう。それにしても、これほど幅広いジャンルで傑作を残した監督は今後も現れないかもしれません。それはRKOという娯楽重視、観客重視の映画会社において作品作りをスタートさせたことで嫌でも多ジャンルに渡って対応できる能力を身につけていたからこそできたことだったのでしょう。
 そうした彼の能力は「ウエスト・サイド物語」にそれまでのミュージカルにはなかった新しい要素を盛り込むことになりました。

<「ウエスト・サイド物語」の新しさ>
 この作品における重要な特徴、それは舞台上では不可能な編集技術の利用です。元々オーソン・ウエルズのもとで編集者として働いていた彼は映画版の撮影において細かなカット割を用いることで素晴らしい効果を生み出しました。特に決闘へと向かうシャーク団、ジェット団、それにトニーとマリアがそれぞれ別々に歌う「Tonight」。それぞれが別々の思いで歌を歌いながら決闘場で起きる悲劇を暗示させ、見事な緊張感を生み出しています。映画ならではのクロス・カッティングの教科書ともいえる名場面です。こうした、映像と音楽との美しい調和を生み出しているのは、ロバート・ワイズの優れた編集、演出と共同監督ジェローム・ロビンスの振り付け、この二つの見事な融合です。映画界ではめったにない共同監督というスタイルは、この作品において新しいスタイルを生み出す効果を発揮したといえそうです。
 それまでのミュージカルが舞台上という制約された場所で元々演じられていたことから、映画も固定されたセットで撮影されていたのに対し、この映画はニューヨークの下町を縦横無尽に駆け巡りながらダンスを演じるという新しいミュージカル映画のスタイルを生み出しました。その意味で、この映画は過去の存在になりつつあったフレッド・アステアやジーン・ケリー演じるミュージカル映画に未来へとつながる可能性を提示したといえます。その後に作られることになる数少ないミュージカル映画の多くはスタジオの人工的なセットから飛び出して撮られることはなくなります。(「ヘアー」、「オール・ザット・ジャズ」、「シカゴ」、「星の王子様」、「フェーム」、「ブルース・ブラザース」などなど)
 もうひとつこの映画で忘れられないシーン。それはオープニングシーンです。レナード・バーンスタイン作曲のテーマ曲をバックに画面に映し出された抽象的な形がニューヨークのシルエットに変わり、それがニューヨーク上空からの空撮映像へ。さらにそこから下降してニューヨークの下町へ、さらに下降してビルの谷間にある小さな公園へ。そして、その片隅にたむろするジェット団を映し出し、彼らのダンスが始まるのです。何度見てもこのシーンはカッコいい!ロバート・ワイズお得意のこうしたダイナミックな映像は、「サウンド・オブ・ミュージック」における山頂での空撮映像にも見ることができます。
 ミュージカル映画は、もともとエンターテイメントの一ジャンルとしてリアリズムからは離れた存在です。しかし、ミュージカルがエンターテイメントとして一般的なものではなくなってきた1950年代以降、そのドラマに観客を引き込むために必要とされるクォリティーの高さのレベルはどんどん高くなっています。そのため、ブロードウェイでよほどの大成功を収めた作品でなければ映画化はされなくなります。確かに「ウエストサイド物語」をはじめ、これ以降に撮られたミュージカル映画の質の高さは他のどのジャンルをも上回っているかもしれません。そうしたミュージカル映画の歴史において、この映画は燦然と輝き続ける傑作です。

<主演の二人>
 この映画でリフを演じたラス・タンブリン Russ Tamblynは幼い頃から歌とダンスが上手く、ラジオや舞台で経験を積んだ後、1949年「緑色の髪の少年」に子役としてデビュー。その後、ミュージカルを中心に青春スターとして活躍。
 トニーを演じたリチャード・ベイマー Richard Beymerは、10歳でテレビの児童劇団に入団。イタリアの巨匠ビットリオ・デ・シーカの「終着駅」(1953年)で映画デビュー。高校卒業後は「アンネの日記」(1959年)では主役に抜擢され、その後「ウエストサイド物語」で一躍人気者となりますが、その後俳優業から製作者へと方向転換しました。1983年、テレビ・シリーズの「ダラス」で俳優として復活。その後、1989年なんとこの二人は久々に共演を果たしました。それはデヴィド・リンチの大ヒットTVシリーズ「ツイン・ピークス」でした。ラス・タンブリンがツイン・ピークスの町の精神科医ジャコビー。リチャード・ベイマーは主人公の一人オードリー・ドーンの父親ベンジャミン・ドーン。大都会ニューヨークで育った二人が、30年後にカナダ近くの田舎の町で再会したわけです。

「ウエストサイド物語 West Side Story」 1961年公開
(監)(製)ロバート・ワイズ(共監)(原)ジェローム・ロビンス
(製)ソウル・チャップリン
(原)アーサー・ローレンツ
(脚)アーネスト・レーマン
(撮)ダニエル・L・ファッブ
(作曲)レナード・バーンスタイン(音)アーウィン・コスタル、シド・ラミン(音監)ジョニー・グリーン(タイトル・デザイン)ソウル・バス
(出)ナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ラス・タンブリン、ジョージ・チャキリス、リタ・モレノ、タッカー・スミス、サイモン・オークランド

<あらすじ>
 ニューヨークの下町で街を二分する勢力、ジェット団とシャーク団は常に対立し一触即発の状態にありました。白人の若者たちで構成されたジェット団のリーダー、リフ(ラス・タンブリン)は、ジェット団を抜けてドックの店で働くトニー(リチャード・ベイマー)をダンス・パーティーに誘います。しかし、そのダンス・パーティーには、ジェット団だけでなくプエルト・リコ系の若者からなるシャーク団も現れ、会場で睨み合いが始まります。ところが、そんな中シャーク団のリーダー、ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹マリア(ナタリー・ウッド)は、トニーと出会いお互いに一目ぼれしてしまいます。
 白人のトニーとプエルト・リコ系のマリア、二人は危険な恋と知りつつもデートの約束をします。ところが、そのデートの夜、シャーク団とジェット団の決闘が行われることになりました。二人の代表、アイスとベルナルドによる決闘を止めようとトニーは間に入りますが二人の闘いを止めることができず、その間にリフがベルナルドによって刺されてしまいました。そして、自分の弟のような存在だったリフが刺されたために逆上したトニーは思わずベルナルドを刺してしまいます。警察が来たために散り散りになった若者たちはお互いに復讐の機会をうかがい、トニーは許しを乞うためにマリアのもとを訪れます。トニーとマリアの恋の行く先は?そして、シャーク団とジェット団の対立はどうなるのでしょうか?


「イタリア式離婚狂想曲 Divoruzio All'itariana」(監)ピエトロ・ジェルミ(脚)エンニオ・デ・コンチーニ(出)マルチェロ・マストロヤンニ、ダイエラ・ロッカ
「ウエスト・サイド物語 West Side Story」 ソール・チャプリン、ジョニー・グリーン、シド・ラーミン、アーウィン・コスタル アカデミー・ミュージカル映画音楽賞
(「トゥナイト」をはじめ、数々の名曲を生んだミュージカル映画の最高峰、ロバート・ワイズ監督作品、アカデミー作品賞、監督賞、助演男優賞、助演女優賞(ジョージ・チャキリス、リタ・モレノ))
「噂の二人」(監)(製)ウイリアム・ワイラー(原)リリアン・ヘルマン(脚)ジョン・マイケル・ヘイズ(出)オードリー・ヘップバーン、シャーリー・マクレーン
「かくも長き不在」(監)アンリ・コルビ(カンヌ映画祭パルムドール
「去年マリエンバートで」(監)アラン・レネ(出)デルフィーヌ・セイリング(ヴェネチア映画祭金獅子賞
「さよならをもう一度」(監)アナトール・リトヴァク(原)フランソワーズ・サガン(脚)サミュエル・テイラー(撮)アルマン・ティラール(出)イングリッド・バーグマン、イブ・モンタン
(アンソニー・パーキンスがカンヌ映画祭主演男優賞、「ブラームスはお好き」の映画化)
「史上最大の作戦 The Longest Day」(監)ケン・アナキン他(音)モーリス・ジャールMaurice Jarre (ご存じザ・ロンゲスト・デイ)
「草原の輝き Splendor on the Grass」(監)エリア・カザン(出)ウォーレン・ベイティー、ナタリー・ウッド
(ウイリアム・インジがアカデミー脚本賞、ウオーレン・ベイティーの出生作)
「壮絶!敵中突破」(監)アレクサンドル・アロフ、ウラジミール・ナウーモフ(ヴェネチア映画祭銀獅子賞
「ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany's」(監)ブレーク・エドワーズ(音)ヘンリー・マンシーニ Henry Mancini アカデミー音楽賞、歌曲賞
トルーマン・カポーティー原作、オードリー・ヘップバーンの当たり役)
「突然炎のごとくJures et Jim」(監)フランソワ・トリュフォー(音)Georges Delerue〈出)ジャンヌ・モロー、オスカー・ウェルナー
(ヌーベルバーグの旗手F.トリュフォーの代表作)
「ナバロンの要塞 The Guns of Nabaron」(監)J・リー・トンプソン(音)Dimitri Tiomkin
(第二次世界大戦、戦争アクションものの代表作)
「肉体のすきま風 Summer and Smoke」(監)ピーター・グレンヴィル
「尼僧ヨアンナ」(監)(脚)イエジー・カワレロビッチ(脚)タデウシュ・コンウィッツキー(出)ルチーナ・ウィンニッカ(カンヌ映画祭審査員特別賞
(日本アートシアター・ギルド第一回作品として日本公開された)
「ニュールンベルグ裁判」(監)スタンリー・クレイマー(原)(脚)アビー・マン(出)スペンサー・トレイシー、バート・ランカスター
「ハスラー」(監)(脚)ロバート・ロッセン(原)ウォルター・デイヴィス(出)ポール・ニューマン、ジャッキー・グリースン
「ビリディアナ」(監)ルイス・ブニュエルカンヌ映画祭パルムドール
「ふたりの女 La Ciociara」(監)ヴィットリオ・デ・シーカ(ソフィア・ローレンがアカデミー主演女優賞カンヌ映画祭主演女優賞
「ブルー・ハワイ Blue Hawaii」(監)ノーマン・タウログ(ご存じプレスリーのヒット作)
「蜜の味」(監)(脚)(製)トニー・リチャードソン(脚)(原)シェラ・デラニー(出)リタ・トゥシンハム、ドラ・ブライアン
「野望の系列」〈監)オットー・プレミンジャー(原)アレン・ドルーリー(脚)ウェンデル・メイス〈出)ヘンリー・フォンダ、チャールス・ロートン

日本アートシアター・ギルド(ATG)発足(製作費一千万円の映画に500万円出資することで、日本映画の若手育成に大きな役割を果たすことになる)
加山雄三の若大将シリーズが始まる
新東宝倒産

「不良少年」(監)(脚)羽仁進(音)武満徹(出)山田幸男、吉武広和
「永遠の人」(監)(製)(脚)木下恵介(出)高峰秀子、佐田啓二、仲代達也
「飼育」(監)大島渚(原)大江健三郎(脚)田村孟(出)三国連太郎、小山明子、H・ハード
「大学の若大将」(監)杉江敏夫(脚)笠原良三、田波靖男(出)加山雄三、星由里子(若大将シリーズがスタート!)
「名もなく貧しく美しく」(監)(脚)松山善三(製)藤本真澄、角田健一郎(出)高峰秀子、小林桂樹、原泉(サンフランシスコ映画祭主演女優賞
「人間の条件(完結篇)」(監)(製)(脚)小林正樹(原)五味川純平(出)仲代達也、新珠三千代
用心棒」(監)黒澤明(アクション映画の仕掛けがすべてあり!三船敏郎がヴェネチア映画祭主演男優賞

赤木圭一郎(俳優)ゴーカートでの事故死(21歳)
古川緑波(俳優、コメディアン)死去(57歳)



国連事務総長にビルマ出身のウ・タント氏就任
中立国首脳によるベオグラード会議開催
チトー(ユーゴ)、ナセル(エジプト)、スカルノ(インドネシア)、ネール(インド)
<アメリカ>
「ケネディーの時代始まる」

ジョン・F・ケネディーが米国大統領に当選
ケネディーとフルシチョフによるウィーン会談実現
米国、キューバと国交断絶
公民権運動を南部に広めるためのフリーダム・ライダース運動始まる
(ワシントンからニューオーリンズまでバスで移動しながら人種隔離に抗議する運動)
作家アーネスト・ヘミングウェイ死亡
<ヨーロッパ>
「宇宙開発競争激化の年」
ガガーリンを乗せた世界初の有人宇宙衛星ヴォストーク1号宇宙へ
「ベルリンの壁誕生」
東ドイツが東西ベルリンの境界を封鎖
ド・ゴール大統領暗殺未遂事件(映画「ジャッカルの日」)
<アジア>
韓国で軍事クーデターが起こる

<芸術、文化、商品関連>
ジョーゼフ・ヘラー著「キャッチ=22」発表
マリー・クヮントが「ミニ・スカート」を発表
<音楽関連(海外)>
ボブ・ディランがフォークのアーティストとして初めてメジャー・レーベル(コロンビア)と契約
フィル・スペクターがレスター・シルとフィレス・レコードを設立
ビーチ・ボーイズがデビュー、サーフィン・ブーム始まる
映画「ウエストサイド・ストーリー」が世界中で大ヒット
映画「若さでぶつかれ」のヒットで、クリフ・リチャードが世界的スターに
エディー・パルミエリがトロンボーンをフィーチャーしたサルサバンドを結成
1958年に独立した、アフリカのギネアでベンベヤ・ジャズ・ナショナルが結成される
マレーシアの映画、音楽界の巨人、P.ラムリーが人気歌手サローマと結婚
<音楽関連(国内)>
バラエティー番組「夢で逢いましょう」「シャボン玉ホリデー」スタート
加山雄三の若大将シリーズが始まる

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