「ワイルドバンチ The Wild Bunch 」 1969年

- サム・ペキンパー Sam Peckinpah-

<闘いが生んだ傑作>
 僕はとって、この映画は生涯のベスト5に入る作品です。そして、「男の闘い」を描き続けたサム・ペキンパーの作品中、文句なしに最高傑作だと思います。しかし、この映画はスクリーンに映し出されている「闘い」の凄さに匹敵する撮影現場での「闘い」があってこそ生み出された作品だということはあまり知られているようです。
 元々サム・ペキンパーという監督は、完璧主義者として有名で、その完璧さを俳優たちだけでなくスタッフ全員に要求することで知られていました。それだけにペキンパー作品の撮影においては、ケンカやトラブルが絶えず、それぞれの作品に伝説的な逸話があります。しかし、そんな数々の作品の中でも、この作品「ワイルド・バンチ」は特に数多くのトラブルを乗り越えて完成された作品として有名です。そして、それらがことごとく良い方向へと働いたことで映画史に残るアクション映画の傑作が誕生することになったのです。
 1965年に彼が監督した「ダンディー少佐」は、彼の完璧さが災いし予算をはるかにオーバー。編集の段階で彼は降板させられました。その後は彼が監督する予定だった「シンシナティー・キッド」からも降ろされてしまい、映画界から完全に干されてしまいました。しかたなく彼はテレビの仕事を請け、1966年「ヌーンワイン」というドラマを演出。数々の賞を受賞して再びその才能を証明してみせましたが、それでもすぐには映画の仕事はなく、彼はカリフォルニア大ロサンゼルス校で脚本と監督についての講師をして食いつないでいました。そんな時、彼のもとに来た企画が「ワイルド・バンチ」でした。

<役者選び>
 ペキンパーの完璧主義は撮影前の準備段階から発揮されます。彼は自分の作品に参加した中で使えると判断した俳優、スタッフは何度でも使う傾向があり、この映画でも後にペキンパー・ファミリーと呼ばれることになる俳優たちを数多く呼び寄せています。
 L・Q・ジョーンズ、ストローサー・マーチン、ベン・ジョンソン、ウォーレン・オーツらの顔ぶれがそうです。しかし、この映画はワーナーが力を入れた作品ということで主役には大物俳優を使う必要がありました。そこで主役のパイク役には、ペキンパーが「第十七捕虜収容所」の演技を見て選んだウィリアム・ホールデンに決まりました。それに「特攻大作戦」に出演していたアーネスト・ボーグナインがパイクの相棒ダッチ役、保安官のデューク・ソーントン役にはロバート・ライアンが選ばれました。
 さらに彼は「ダンディー少佐」にも出演していたエミリオ・フェルナンデスを敵軍のトップ、マパッチ将軍役に選び、彼にメキシコ人俳優の配役や脚本についてのアドバイスを求めに行きました。彼はメキシコでは俳優だけでなく監督としても知られる大物なのです。そして、この時にフェルナンデスが語った言葉が作品全体に大きな影響を与えることになります。
「バンチの一行が町に入ってゆくさまは、俺が子供の頃、サソリを捕まえてアリ塚に落としたのに似ている・・・」
 この言葉にピントきたペキンパーは、すぐにスタッフに電話をかけ、アリとサソリを急遽準備させます。こうして、あのオープニング・シーンの不気味なサソリがアリに襲われる映像が誕生したのです。さらにこのシーンは、映画全体のイメージを決定づけることにもなりました。

<伝説のスロー・モーション撮影>
 ペキンパーはテレビ・ドラマ「ヌーンワイン」で使ったルー・ロンバルドに編集を依頼します。すると、そのロンバルドは「特捜刑事サム」でも用いたスロー・モーション撮影による銃撃シーンをペキンパーに見せました。そのシーンが気に入ったペキンパーはこの映画において、様々なスピードの撮影を行いそれらをつなぎ合わせることで、それまでにない緊張感に満ちたアクション・シーンを生み出すことになります。
 例えば、オープニング直後の街中での戦闘シーンでは6台のカメラがスピードを変えて回されました。そして、それぞれのカメラのフィルムは毎日現像され、カメラも撮影中にトラブルが起きないよう毎日分解調整がなされたといいます。伝説のスロー・モーション撮影の裏にはカメラマンたちの大変な苦労があったのでした。

<衣装担当の闘い>
 衣装担当として選ばれたゴードン・ドーソンの場合は、ペキンパーに気に入られてしまったため、ライターとしての仕事から引き戻されることになりました。彼は「ダンディー少佐」での仕事で、そのきつさにうんざりしてしまい、テレビ番組のライターに転向していたのですが、ペキンパーにどんな要求にも応えるからと言われて、無理やり現場復帰させられたのでした。彼はこの映画で、その後二度とない大仕事をすることになりました。特にラストの歴史に残る銃撃戦で彼は300枚のメキシコ兵の衣装を用いて、延べ5000人分の衣装を準備することになります。それはどういうことかというと、銃撃戦で撃たれて血だらけになった兵士は倒れた後、衣装を替えて再び別の兵士を演じなければならないのですが、いちいち軍服を洗っていては軍服が足りなくなり撮影が進みません。そこで彼らは血糊のついた軍服にカーキ色のペンキを塗り、それを汚すことで次々に軍服を再生していったのです。兵士は着替えずにそのまま再生され、5分で新しい兵士として戦場に戻って行きました。彼らの作業場は兵士を再生する工場として休むことなく働き続けました。

<ジェリー・フィールディング>
 この映画の音楽を担当したジェリー・フィールディング Jerry Fielding もまたこの映画にどっぷりとはまってしまった一人でした。彼は映画の撮影中からペキンパーに呼ばれてロケ地に滞在。なんと6ヶ月にわたりメキシコで曲つくりをさせられました。作曲家がそれだけ長く映画の現場に関わることはありません。そのおかげもあり、この映画の音楽はアカデミー賞にもノミネートされることになります。
「・・・サムと一緒に仕事をするってことは、サムのために働くってことで、それは映画と結婚するのも同じことなの。・・・」
 これは半年にわたり夫を奪われたジェリー・フィールディングの奥さんの言葉です。

 ジェリー・フィールディングは、1922年6月17日ペンシルヴェニア州ピッツバーグに生まれています。高校時代からクラリネット奏者として活動を始め、その後トミー・ドーシーやチャーリー・バーネットなどミュージシャンのためのアレンジャーを勤め、第二次世界大戦後はジャック・パー・ショーのバンド・リーダーとなります。その間も彼はマリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコから作曲について学び、1962年頃から映画音楽の仕事に関わるようになります。1967年、テレビの仕事で映画界を干されていたサム・ペキンパーと知り合い、彼の作品の音楽を担当するようになります。中でも「わらの犬」(1971年)「ワイルド・バンチ」(1969年)ではアカデミー作曲賞にノミネートされています。その他でも、クリント・イーストウッドの「アウトロー」(1976年)でもアカデミー作曲賞にノミネートされています。その他の代表作としては、映画では、ドルトン・トランボの「ジョニーは戦場へ行った」(1971年)、カレル・ライス作品では「熱い賭け」(1974年)、そして、ペキンパー作品では「ゲッタウェイ」、「ガルシアの首」、「キラー・エリート」があり、テレビでは「スタートレック」(1966年)や「バイオニック・ジェミー」などがあります。

<爆破の専門家>
 爆破シーンの専門家、バド・ハルバードもまたこの映画の中で大仕事を成し遂げましたが、それでもペキンパーは彼の仕事が気に入らず途中でクビにしてしまいます。この映画の中盤の見所、橋が爆破されて追っ手の一団が馬ごと川に落ちる、これまた伝説となったシーンはそのバド・ハルバードの手になるものです。
「私はレンブラントに匹敵するほどの仕事をした。こんなことは、恐らく私の一生に二度と起きないだろう」
(実は、この場面ではスタントマンが二人亡くなったそうです。恐るべしリアリズム!)

 こうして、苦労を重ねた映画の撮影は1968年7月、無事81日間にわたる撮影を終了しました。しかし、この映画はそれから数ケ月にわたる編集などの作業に入り、完成に向けて撮影以上の日数を要することになります。先ず、彼はこの映画の効果音から見なおすことになります。

<効果音の見直し>
 彼はこの映画の効果音が気に入らず、すべてをやり直しさせます。彼のこだわりは、こんな感じでした。
「私は、それぞれの銃を違った感じで処理したい。パイクの銃は特別な感じにし、ライアンのライフルは屋根の上にいる他の賞金稼ぎどもの銃とは特徴を変え、パーンとはじける音に。ストローサー・マーチンの銃は特大でバッファロー撃ちに使うやつだ。それぞれの銃は持ち主に合った音を出さなくてはならない・・・」
 こうして、すべての効果音が撮り直されたこの映画は高く評価され、プロの技術者たちが選ぶ映画テレビ技術者協会の音響効果賞を受賞することになります。

<編集の闘い>
 撮影終了後、ペキンパーが挑んだ最大の難関はやはり編集の問題でした。撮影終了から3ヶ月、ペキンパーとロンバルドはメキシコで編集作業を行い、やっと3時間45分という長さの作品を完成させ、ハリウッドに持ち帰りました。しかし、その長さでは娯楽映画として公開するには長すぎるということで、さらに1/3をカットすることになります。こうして、完成した最終版は2時間半に収められました。凄いのは、この映画のカット数です。普通一本の映画のカット数は1000カットを越えるとかなり多い部類に入ります。ところが、この映画の総カット数は、この時点で3642カット。その当時の映画としては、文句なしに過去最高のカット数の作品でした。ヒッチコックはかつて、映画を面白くするにはカット数が多くなければならないといいましたが、その点ではこの映画は文句なしに傑作の条件を満足していたことになるでしょう。
 ペキンパーの編集センスは、その演出以上に天才的だったといわれています。この映画、最初の見所である街の銀行を襲うシーン。パイク一味は金を奪うと待ち伏せていた保安官や賞金稼ぎたちからの銃撃と追跡をかわしながら数人の犠牲者を出しながらなんとか逃げ延びます。このシーンは当初ロンバルドの編集では20分を越えていたといいます。ところがペキンパーは、このシーンをわずか8分に縮めてしまいました。それは単純に要らないシーンをカットすればできるというものではなく、飛び飛びの映像を選び出して上手くつなぐことで観客にその間のドラマを理解させ、なおかつ想像させることでその隙間を埋めさせるという高度な技なのです。このテクニックなくして、「ワイルド・バンチ」におけるあの緊張感にあふれた映像は生まれなかったでしょう。考えてみると、こうしたフィルムの編集センスは、どんなにデジタル化が進み、編集作業が楽になったとしても真似することはできない技術でしょう。
 この映画は結局アメリか公開版については、さらにカットされることになりますが、無事1969年世界各地で公開されました。(アメリカでは成人の同伴者がいると17歳以下は見ることのできないR指定として公開)その評価はというと、当時は見事に真っ二つに分かれていたようです。もちろん、高い評価も多かったのですが、こんな評価もありました。
「辺境での何百人もの意味のない殺しは、なんの教えも導かない。ただ辺境で何百人もが殺されただけだ」(ニューズウィーク)
 確かにそのとうりかもしれません。しかし、元々戦争とはすべて何の意味も無い大量殺人ではないでしょうか?

<西部劇史に残る傑作へ>
 この映画はアカデミー賞では、オリジナル脚本賞と音楽賞、ニ部門でノミネートされただけに終わり、興行的にも赤字に終わりました。しかし、その後少しずつその評価は高まり、名画座でのヒット、ビデオが登場して以降はレンタル・ビデオでのヒットと続き、いつしか映画史に残る映画史に残る名作となりました。僕自身、オリジナル・ノーカット版のビデオを買ってしまいました。この映画には、映画を撮るために向けられた男たちの執念が、どのカットにもこめられている、そんな気がしてなりません。今や、失われてしまった「男の映画」を是非ご覧下さい!

「ワイルドバンチ The Wild Bunch」 1969年公開
(監)(脚)サム・ペキンパー
(製)フィル・フェルドマン
(原)(脚)ウォロン・グリーン
(原)ロイ・N・シックナー
(撮)ルシアン・バラード
(音)ジェリー・フィールディング
(編)ルー・ロンバルド
(出)ウィリアム・ホールデン、ロバート・ライアン、アーネスト・ボーグナイン、ベン・ジョンソン、ウォーレン・オーツ、エミリオ・フェルナンデス、ストローサー・マーチン、L・Q・ジョーンズ、エドモンド・オブライエン、ボー・ホプキンス

<あらすじ>
 ベテランの銀行強盗パイク(ウィリアム・ホールデン)は右腕のダッチ(アーネスト・ボーグナイン)らの仲間たちとスターバックという街の銀行を襲撃します。ところが、その襲撃はすでに保安官のデューク・ソーントン(ロバート・ライアン)に知られており、彼と仲間たちが待ち伏せをしていました。彼らはこうしてまんまと罠にはまりますが、それでも優秀なパイクたちは仲間を何人か失いながらも街を抜け出すことに成功します。
 しかし、優秀な保安官のソーントンは、ハイエナのような賞金稼ぎの連中を引き連れてパイク一味を追い続けます。しつこい追跡隊から逃れるため彼は追跡隊の渡る橋を爆破、彼らを馬ごと川に落としてしまいます。なんとか逃げ切った彼らは、メキシコへと逃れ仲間の一人エンジェルの故郷の村にしばらく滞在し、疲れをとることになりました。そこで彼らは、その村の周辺を荒らしまわっていたマパッチ将軍に盗み出した武器を売りつけますが、エンジェルがマパッチの女になってしまった恋人を救おうとしてつかまってしまいます。数百人もの軍隊を抱えるマパッチと闘えるわけがないと、彼らは一度は救出をあきらめますが、パイクはこれが最後の戦いと、殺されることを覚悟してマパッチの元へと向かいます。そして、彼の横にはダッチとテクターとライルのゴーチ兄弟(ベン・ジョンソン、ウォーレン・オーツ)も、こうしてエンジェルも含めた5人の男たちと数百人の兵士たちによる壮絶な戦闘が始まるのでした。

20世紀映画劇場へ   トップページへ