悲劇の死を遂げた名優の心の闇


- ウィリアム・ホールデン William Holden -
<イケメン俳優から演技派へ>
 僕が知るウィリアム・ホールデンは、はじめに知った時から色気のあるオジサン俳優でした。しかし、彼は若くしてイケメン俳優としてデビューしていて、その後は演技派の俳優としても成功。青年、中年、老年どの世代でも俳優として成功したと言えます。ただし、私生活では苦労が多く、ついには悲劇的な死を迎えてしまいます。
 どうやら彼の心の中には何か彼を追い詰める深い闇のようなものがあったようです。

<俳優として成功までの道>
 ウィリアム・ホールデン William Holden は、1918年4月17日イリノイ州オファロンに生まれました。本名は、ウィリアム・フランクリン・ビードルといい、父親は化学者、母親は教師という家庭に育ちました。両親ともに真面目なインテリ家庭で、彼も子供時代は細菌学などの研究者になろうと思っていたようです。固い科学の道に進もうとしていた彼の人生を変えたのは、演劇との出会いでした。
 大学に進学後、彼は本格的に演技を学び俳優を志します。すると、彼のイケメンぶりがパラマウントのスカウトの目にとまり、あっさりと映画界でデビューするチャンスを得ます。
 1939年、ルーベン・マムーリアン監督のボクシング映画「ゴールデン・ボーイ」の主役に抜擢され、見事なデビューを飾りました。
 1940年、アカデミー作品賞にもノミネートされた名作「我等の町」でも主演。
 この時点で、彼の俳優としての成功は約束されていましたが、ここで第二次世界大戦が始ってしまいます。
 1942年、彼は陸軍航空部隊に入隊し、4年間軍務につきます。
 戦後、彼は俳優に復帰しますが、その間に彼の名前はすっかり忘れられていました。しかし、彼はすでに結婚していて、女優だったブレンダ・マーシャルとの間に3人の子供がいました。家族のためにも、彼は役柄を選ぶ暇もなく働き続け、3年間で17本もの作品に出演。そんな彼に大きなチャンスが巡ってきます。
 ビリー・ワイルダー監督の1950年の作品「サンセット大通り」の主役に抜擢されたのです。落ちぶれた名女優を演じたグロリア・スワンソンの鬼気迫る名演技に対し、彼はしがないシナリオ・ライター役をハードボイルに演じ切り高い評価を得ました。
 1953年には同じビリー・ワイルダー監督のシリアスな名作「第十七捕虜収容所」でついにアカデミー主演男優賞を獲得します。

<大スターの億万長者>
 その後、彼のギャラは跳ね上がりますが、作品にも恵まれます。
 「麗しのサブリナ」(1954年)、「ピクニック」(1955年)、「慕情」(1955年)などのラブ・ロマンス映画に主演し、いずれも大ヒット。その出演料により、彼はあっという間に億万長者の仲間入りを果たしますが、彼はその収入を豪華な暮らしや賭けごとなどに使わず、様々な分野への投資を行いさらなる成功を収めます。石油会社、テレビ局、映画会社、牧場、観光事業などの有望分野への投資により、彼は実業家としても大成功し、資産をさらに増やすことになりました。
 そのうえ、彼はお金にならない仕事を数多く引き受け、そちらでも大忙しとなります。
 アメリカ映画俳優組合(SAG)副会長、ロサンゼルス公園委員会委員、ハリウッド調整委員会委員長、パラマウント慈善委員会、復員問題委員会委員など、様々な公職も引き受けることで、超多忙な暮しを続けながら、映画俳優の道を歩み続けます。

<名作目白押しの人生>
 デヴィッド・リーンの戦争超大作「戦場にかける橋」(1957年)、リチャード・クワインの香港を舞台にしたラブ・ストーリー「スージー・ウォンの世界」(1960年)、同じリチャード・クワインのパリを舞台にしたラブ・ロマンス「パリで一緒に」(1964年)、ジョン・ヒューストンによる007のパロディ「007/カジノ・ロワイヤル」(1966年)、アンドリュー・V・マクラグレンの戦争アクション「コマンド戦略」(1967年)、サム・ペキンパーの最高傑作となった西部劇「ワイルド・バンチ」(1969年)、ジョン・ギラーミンのパニック映画の超大作「タワーリング・インフェルノ」(1974年)、シドニー・ルメットによる放送界の内幕を暴露した社会派作品「ネットワーク」(1976年)など、数は少ないものの大作、名作に出演し続けました。

<働き続ける男>
 俳優、実業家、公職と忙しく働き続けた彼は、もしかすると家にいたくなかったのかもしれません。妻のブレンダとは離婚こそしなかったものの、早くからイケメンの彼には不倫のうわさがありました。特に年下の美人女優ステファニー・パワーズとの関係は、かなり話題になりましたが、結局、離婚せづに家庭を守り続けます。中年の俳優になっても彼の色気が失われなかったのは、そんな彼の人生とも共通していました。
 その代わり、彼のアルコール依存症はどんどん悪化し、常にアルコールが欠かせない生活になっていたと言います。
 1981年11月12日、ついに悲劇が起きます。彼は一人自宅でアルコールで酩酊し、転倒しテーブルに頭をぶつけて大量に出血。病院に搬送されたもののそのままこの世を去ってしまいました。享年63歳ですが、俳優としてはまだまだ活躍できたはずです。
 真面目過ぎる男は、最後まで心の闇を抱え続けていたのかもしれません。

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