- ウィントン・マルサリス Wynton Marsalis -

<音楽一家に生まれて>
 ウィントン・マルサリス Wynton Marsalis は、1961年10月18日アメリカ南部ルイジアナ州のニューオーリンズで生まれています。ジャズの発祥地といわれる音楽の街に生まれた彼は、その家庭もまた正統派の音楽一家でした。父親のエリス・マルサリスはピアニストであると同時に音楽教師でもあり、彼の兄妹の多くは後にミュージシャンとなっています。特に有名なのは兄のブランフォード・マルサリスで、彼はサックス奏者としてウィントンと一緒にデビュー。その後、独立して活躍を開始し、マイルス・デイヴィスやスティングなど大物ミュージシャンたちのバック・ミュージシャンとしても大活躍をすることになります。
 当然、ウィントンと音楽の出会いは早く、6歳の時にトランペットを与えられると8歳の頃にはバプテスト派の教会に所属する音楽隊に所属して演奏しており、12歳になると、彼の父親がディレクターを勤めていたバプティスト・センター・フォー・クリエイティブ・アーツに入学しています。そこでクラシック音楽、クラシック・トランペットを本格的に学ぶと、14歳の時にはクラシック・トランペットのコンテストに出場し見事優勝。しかし、その頃まではまだクラシック音楽ばかりを聞いていたため、ジャズを聞き出したのはこの後のことだったようです。その後、彼はニューオーリンズの市民オーケストラのファースト・トランペットに就任。さらに上を目指すことを決意して、彼は1979年名門音楽学校、ジュリアード音楽院に入学するためニューヨークへと旅立ちました。

<クラシック・ミュージシャンとして>
 ニューヨークに出た彼は、すぐにブルックリン交響楽団のメンバーとなりクラシック界での活動を始めます。このまま、彼はクラシック畑で一流ミュージシャンになることも可能だったかもしれません。しかし、クラシックの世界は黒人ミュージシャンにとってやりやすい場所ではありませんでした。
 当時、オーケストラの白人メンバーの中には、黒人がクラシック音楽を演奏することに対して批判的な意見もあったようです。実際、彼の音を狂わせようと演奏中にオーケストラの中のオーボエ奏者たちが全員音をはずし、彼の邪魔をしたこともあったそうです。今ではありえないことですが、1960年代頃までは黒人はオーケストラに入ることなどあり得なかったのですから、ある意味それは当然の仕打ちだったのかもしれません。そうしたことも影響したのか、彼はジャズ・トランペッターとしての活動も始めます。するとクラシックで鍛えた彼のテクニックはジャズでも生かされることになり、すぐにその実力は注目を集めることになります。中でも彼に最初に声をかけたのは、ジャズ界の大物アート・ブレイキーでした。
 1980年、彼は有名なアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのメンバーとしていきなりプロ・デビューを飾ります。この時、彼はまだ弱冠18歳という若さでした。翌年1981年、彼は早くも初リーダー・アルバム「マルサリスの肖像」を発表。ジャズ界期待の大型新人として一躍脚光を浴びることになりました。

<新古典主義>
 彼はデビュー当初から、徹底して過去の音楽にこだわり「新古典主義」とも呼ばれるほどでした。そのため、ジャズ・ファンの中には彼の姿勢を批判するのも多くいます。しかし、彼自身はそうした批判をまったく気にしてはいなかったようです。
「他の誰とも違うサウンドへの鍵は、誰かと同じようなことを演ることにあるんだよ。既にそこに存在するものを受け容れて、その延長線上にあるようなサウンドを作ることなんだ。他の誰にも似てないサウンドを作ろうとすることじゃない。音楽には伝統があって、ミュージシャンは誰でも次のステップに進む前にまずその伝統を理解する必要があるんだよ。でもそれは何も歴史研究家にならなきゃいけないってことじゃない」
ウィントン・マルサリス

 彼の音楽の基礎はクラシック音楽だけではありませんでした。さらにその前に彼が最初に出会った音楽として教会の音楽がありました。特に教会の礼拝における説教者と聴衆たちとの掛け合いが元になった「コール&レスポンス」の手法も彼のアンサンブルにはよく見られます。(ライブDVD「コンゴ・スクェア」でも大いにこの手法は用いられています)彼にとって最大のヒーローだったデューク・エリントンが晩年に挑んだビッグバンド&オーケストラによる宗教音楽の世界に彼もまた大きな影響を受けているようです。

<ジャズ&クラシック畑での活躍>
 彼は非常に珍しいジャズ、クラシック両方のフィールドで活躍するアーティストとして数多くの賞も受賞しています。その中でも特に有名なのは、1983年グラミー賞において、ジャズ部門(アルバム「Think of One」)とクラシック部門(国立フィルハーモニック・オーケストラとの共演盤)両方を同時受賞したことです。この快挙はその後誰も成し遂げていません。さらに彼はジャズのミュージシャンとしては初めてピューリッツァー賞の音楽賞を受賞したアーティストでもあります。(アルバム「ブラッド・オン・ザ・フィールズ」)
 ジャズ界のサラブレッドとして、アメリカの音楽界全体から高い評価を受けることができたのは、ジャズという音楽が今やアメリカという国にとって、ヨーロッパにおけるクラシック音楽に匹敵する存在になろうとしている証ともいえるでしょう。ただし、そうした評価の反動として彼の新古典主義は、ジャズをマイルス・デイヴィス以前に退化させるものであると批判する意見があるのも事実です。
 この評価は彼の音楽が正式な音楽教育に基づくものであり、ジャズが本来生まれたストリートと縁がないことに対する批判ともとれます。しかし、ジャズという音楽自体が今やストリートの音楽ではなく、音楽教育を受けたアーティストたちによって受け継がれる音楽になりつつあるのもまた現実です。そう考えると、彼のようなミュージシャンこそ、現代のジャズ界における本流といえるのかもしれません。彼はその音楽的知識を十分に生かして、その後ジャズとクラシックの融合ともいえるビッグ・バンドによるジャズにも挑戦してゆきます。
 1988年、彼はジャズ・アット・リンカーン・センターの芸術監督に就任。ジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラを率いて、彼の憧れの存在デューク・エリントンの世界に近づこうとしています。この挑戦を可能にしたのは、やはり彼が受けたクラシック音楽におけるアンサンブルの知識があったからこそといえるでしょう。
 ジャズの伝統を現代に蘇らせることを目標としてきた彼は、「コンゴ・スクウェア」ライブでは、さらなる過去へとさかのぼり、ジャズの原点を再現してみせました。彼がこれからジャズの未来に向かって新たな音楽を生み出すことができるのか?それとも、彼の音楽を聴いた若者たちの中から新たなジャズの流れが生まれてくるのか期待したいと思います。

<マルサリスの功罪>(2015年5月追記)
「勉強してみたら、ジャズってけっこう面白いじゃん」という若いミュージシャンが、彼のあとを追って続々と輩出した。
テレンス・ブランチャード、ジョシュア・レッドマン、ロイ・ハーグローブ、ニコラス・ペイトン、クリスチャン・マクブライド、ラッセル・マローン・・・それはウィントンの果たした大きな功績だ。

村上春樹「意味がなければスイングはない」

 しかし、残念ながら彼のジャズ界、黒人音楽界における人気はいま一つかもしれません。それは彼のあまりにも真面目すぎる姿勢にあるのかもしれません。

「いつも口を酸っぱくして言っていることだが、テクニックというのは、ミュージシャンにとって、あるいはほかのどんな分野の芸術家にとっても、モラリティーのもっとも初歩のしるしなんだ。・・・」
ウィントン・マルサリス

 彼が言っていることはたぶんまっとうなことなのだろう。でもそれはあまりにも正しすぎる、まっとうすぎると僕は感じる。
「それじゃ君はまるで、ジャズのテクノクラートじゃないか」とつい言いたくなってしまう。彼の述べていることは、言葉としては、理論としては、クリアで正しい。しかし人々の魂にとっては、それは必ずしも正しいことではない。魂というのは多くの場合、言葉や理屈の枠からはみ出した、とてもクリアとは言えない意味不明のものごとを吸収し、それを滋養として育っていくものだからだ。

村上春樹「意味がなければスイングはない」

<アルバム・ピック・アップ>
「マルサリスの肖像」(1981年)
 初リーダーアルバムであると同時に、一躍彼の名を世に知らしめた名盤。意外なことに、このファースト・アルバムに収められている曲のうち4曲は東京で録音されています。(ハービー・ハンコックのバックとして来日した際に録音された)アメリカ人よりもジャズにうるさいと言われる日本で初録音を行なったのはやはり縁というものでしょうか?

「ブラック・コーズ」(1985年)
 確かな演奏技術をもつメンバーたち兄のブランフォード(サックス)、ケニー・カークランド(ピアノ)チャーネット・モフェット(ベース)ジャック・ワッツ(ドラムス)によるジャズ王道の復興作といわれた大ヒット作。グラミー賞受賞アルバム。

「ブラッド・オン・ザ・フィールズ Blood on The Fields」(1995年)
 豪華メンバーによる3枚組みの大作アルバム。このアルバムで彼はジャズ・ミュージシャンとして初のピューリッツァー賞受賞者となった。このアルバムにはブルーノートに移籍してブレイクしたばかりのカサンドラ・ウィルソンもヴォーカルで参加しています。

「ウィントン・マルサリス・セプテート・ライブ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」(1994年)
 ジャズの聖地ヴィレッジ・ヴァンガードで行なわれた1990年から1994年にかけてのライブ録音を集めた8枚組みCDボックス(アメリカ盤は7枚)大御所との共演ではなく若手との自由な雰囲気で演奏されたスタンダード・ナンバーの数々は彼の音楽の新鮮さを証明しています。

DVD「コンゴ・スクウェア」(2007年)
 2007年6月28日にモントレー・ジャズ・フェスティバルで行なわれたジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラのライブを収めた映像。ゲストとしてガーナのパーカッショニスト、ヤクブ・アディと彼のグループが参加しています。
 タイトルとなっている「コンゴ・スクウェア」とは、ニューオーリンズの街ができた頃からある広場の名前です。アメリカでは黒人奴隷たちは太鼓を使用することが許されていませんでした。なぜなら、黒人奴隷たちが反乱を起こす際、太鼓を通信手段として用いる可能性があったからです。(実際に、太鼓を通信手段として用いて反乱を成功させた例もあります)さらに彼らが部族ごとに共謀することを防ぐため、奴隷たちは出身地によってあえてバラバラにされていたといいます。
 そんな中、フランスによって支配されていたニューオーリンズの街では、唯一コンゴ広場だけが例外として太鼓の使用を許されていました。そこにはバラバラにされた部族の仲間が集まり、それぞれの太鼓を鳴らしながらアフリカ人としてのアイデンティティーを確認。そこから新しいアメリカの黒人音楽が生まれることになりました。
 このDVDではマルサリスのジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラとガーナからやって来たヤクブ・アディの共演は、アフリカのダンス音楽と50年代ビッグ・バンド・ジャズの出会いによって、かつての「コンゴ広場」の熱気を今に蘇らせる試みです。アフリカのリズムとホーン・セクションの融合をたっぷりと楽しめます。

<参考資料>
「ジャズ・グレイツ」 デヴィッド・ペリー(著)アルファ・ベータ社
「ダウンビート・アンソロジー」 ジェームズ・リスカ(著)シンコー・ミュージック
「Jazz トランペット」ジャズ批評編集部 ジャズ批評社

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