光と影が交差するフィリピン産フィルム・ノワール

「立ち去った女 The Woman Who Left」

- ラヴ・ディアス Lav Diaz -
<久々の長尺アジア映画>
 2016年ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞。フィリピンが生んだ巨匠による3時間48分の超大作。キネマ旬報2016年度ベスト10第5位。・・・
 評判は聞いていたものの、長いし、フィリピン映画だし、レンタルDVDがあるとは思えないなあ?と思っていたら、最近、小樽のTUTAYAさんはがんばっていて、この作品が棚に並んでいました。ありがとうございます!
 ということで、3時間48分の大作をじっくりと見させていただきました。
 アンドレイ・タルコフスキーやテオ・アンゲロプロス、チェン・カイコーのように時空を超えた独自の時間感覚をもつ監督は、最近めっきり減った気がします。それだけに久しぶりの長尺かつエスニックな映画でしたが、けっして長くは感じませんでした。といっても、エンターテイメント作品として面白く作られているわけではありません。
 映画音楽はありません。(背景に聞える音楽以外)
 カメラは固定されていて、ワンシーン・ワンカットの連続です。
 モノクロ映像です。
 アクション・シーンもベッド・シーンも、サービスカットは一切ありません。
 そして4時間弱という長い作品。
 ある意味、眠くなる要素満載の映画です。しかし、映画が始まると、そこからエンドタイトルまで、目は画面に釘付けになりました。
 (ただし、僕は集中力を保ちたいので、二日間に分けてみました。仕事もあるので・・・)
 その魅力の秘密に迫ろうと思います。

<見えてくる映像、聞えてくる音像>
 この映画には音楽はありません。背景で音楽がかかったり、主人公など登場人物が歌う場面はありますが、そのほとんどは無音の状態です。しかし、その静寂は観客の耳を研ぎ澄まさせます。そこに作者の意図を感じ取ろうとしていると、不思議な発見もありました。ラスト近く警察での取り調べの場面。突然、背景音が途切れる瞬間があり、はっとさせられました。あれは何だったのでしょうか?
 モノクロ映像の美しさは、誰が見てもわかるでしょう。くっきりとした陰影の美しさだけではなく、時には焦点をぼんやりとさせ、その美しさを際立たせます。もちろん固定されたカメラが映し出す映像は、どの場面も隅々まで計算された構図で一枚の絵画作品のようです。
 そんな固定された背景のどこを見ればよいのか?
 普通は、カメラが見るべき場所をアップにしたり、焦点を合わせたり、移動してくれるものです。しかし、この映画ではカメラは黙って世界を映し出すだけです。
 だからこそ、観客は自分の目で見るべきもの、見るべき人を探し、選び、見つめる必要があります。
 この映画には、ナレーションも、テロップも、出演者による説明的な語りもありません。そのため、観客は映画のストーリーの全容を把握し、理解するために目や耳だけでなく脳も働かせる必要があります。幸いなことに、この映画のテンポはハリウッド映画とは違いゆったりしているので、3時間48分間、テンション・マックスで見続ける必要はありません。

 彼はこの作品の監督であると同時に、原案の作者であり、脚本、撮影、編集も一人で行っています。彼はこの映画に才能のすべてを注ぎ込むことで、観客の五感を研ぎ澄まさせ、普段は見えないはずの世界までをも見させてくれるのです。
 
<ラヴ・ディアス>
 この作品の3時間48分は、監督のラヴ・ディアスにとって、最も短い部類のようです。そこまで長尺の映画を撮り続けるラヴ・ディアスとはいかなる監督なのでしょうか?
 ラヴ・ディアス Lav Diaz は、本名をラヴレンテ・インディコ・ディアスといい、1958年12月30日フィリピンのミンダナオ島に生まれています。少年時代から映画監督になることを目指していたようですが、青年時代はロック・シンガーや詩人として活動していました。
 映画監督としてデビューしたのは、1998年頃でしたが、当初は大手の映画会社で普通の劇映画を撮っていたようです。彼が本領を発揮し始めたのは、2001年の5時間15分の大作「Batang West Side(西海岸の子)」あたりからでした。その作品で彼はアメリカのニュージャージー州に住むフィリピン人移民社会で起きた殺人事件を描いています。
 2004年「Evolution of a Filipin0 Family(あるフィリピン人家族の創成)」では、1971年から1987年までのフィリピン(マルコス大統領の独裁体制が始まった頃から、独裁が崩れるまでの時期)を生きた農民一家の苦難の日々を描きました。
 2007年「Death in the Land of Encamtos(エルカントスの地の死)」では、フィリピンを襲った巨大台風によって壊滅的な被害を受けた村に住む人々の暮らしを描いています。
 2008年「メランコリア Melanchoria」は、ヴェネチア国際映画祭でオリゾンテ部門最高賞を受賞し、いよいよ彼の名は世界に知られるようになりました。
 2013年の「北(ノルテ) - 歴史の終わり」がカンヌ国際映画祭のある視点部門で上映。
 2014年の「昔のはじまり」はロカルノ国際映画祭で金豹賞を受賞。
 2016年には8時間におよぶ大作「痛ましき謎への子守唄」がベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞。
 さらにこの年、本作「立ち去った女」がベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。同じ年に異なる二作品でこの二つの映画祭で受賞したのは、初めてのことのようです。今まさに世界が注目する監督と言えます。
 この映画を撮るきっかけとなったアイデアについて、彼はこう語っています。(この映画の公式サイトより)
「本作は、私自身が遠い昔に読んだトルストイの短編『God Sees the Truth But Waits(神は真実を見給う、されど待ち給う)』から着想を得ました。今や記憶があるのは物語の前提のみで、詳細や登場人物の名前は忘れてしまっています。しかし、読んだ時に、”人生を本当の意味で理解している者はいない”と書かれていたことに衝撃を受けたことは、我々の存在についての極めて重要な真実の一つでしょう。言い換えると、我々の中心には少なくとも連続性を感じられる人々が存在し、我々が為すことは派生的になる得るということです。さらに多くの場合、我々は人生の虚構に従いそして屈服してしまいます。」

<天使と悪魔>
 動く絵画のような美しい映像で描かれているのは、白と黒、善と悪、狂気と正気、、富む者と貧しき者、男と女、聖人と犯罪者、光と影の対比。
 主人公ホラシアと彼女を殺人犯に仕立てた元恋人のロドリゴは、まさにその対比を体現しています。ところが、その対比は、映画の物語が進むにつれて変化し始めます。
 ホラシアを罪に陥れた悪人であり、街の権力者でもあるロドリゴですが、彼は街では人々に信頼されているように思えてきます。
 ホラシアは、元々教師だったこともあり、刑務所内でも誰からも信頼されていて、出所後も、周囲の人々を助け、天使のように生きる人物です。しかし、彼女は自分を騙し、30年という年月を奪ったロドリゴへの復讐を実行するために銃を入手し、殺害場所を選ぶためにロドリゴの尾行を続ける冷血な殺し屋でもあることがわかってきます。
 明確に勧善懲悪の物語だったはずが、少しづつ変化して行きます。そして、天使であったはずのホラシアが悪魔であるはずのロドリゴを殺そうとした日、偶然それを止めたのは、女装して歌い踊るホランダでした。彼女は、癲癇持ちであることもあって、周囲から差別される存在でしたが、ホラシアだけは彼(彼女)を助けてくれました。男と女の中間に位置する存在が、物語をそこから大きく変えて行くことになります。


「ホメロス、シェイクスピア、タルコフスキー、ジェイムズ・ジョイス、溝口健二、プルースト、黒澤明、ドストエフスキー・・・彼らがラヴ・ディアスの中庭で一堂に会したかのようだ。偉大なるけっさく」
「Allo Cine」

「立ち去った女 The Woman Who Left」 2016年
(監)(原案)(脚)(撮)(編)ラヴ・ディアス
(出)チャロ・サントス(ホラシア)、ジョン・ロイド・クルーズ(ホランダ)、マイケル・デ・メッサ(ロドリゴ)、ノニー・ブエンカミーノ(バロット売り)
<あらすじ>
 30年間殺人犯として刑務所で暮らしていたホラシアは、同じ刑務所にいた同僚が、実はホラシアの殺人は自分が頼まれてやったことである、と自白したため、無罪放免となります。そして、その後、教師として働き二人の子供を抱えていた彼女からすべてを奪った犯人は、実は元恋人のロドリゴだったことを知ります。
 娘とは会えたものの、長男は行方不明となっていた彼女は、自宅を処分して、ロドリゴの住む街で食堂を始めます。そして、ロドリゴの動向を探りながら、彼を殺害しようと密かにその準備を始めます。親しくなったバロット売りの男から紹介してもらい銃を入手。ロドリゴ殺害の準備が整い、決行するその日、以前彼女が助けた癲癇を患っている女装した男性ホランダが大怪我をして彼女の家に逃げ込んできます。彼女(彼)を助けるため、殺人は決行されず、彼女の計画は大きく狂い始めることになります。

(バロットとは?)
 映画の中で何度も登場する「バロット」とは何?
 ゆで卵?何か内臓系の煮物?調べてみてビックリ!茹でたアヒルの卵ですが、孵化直前のもので、中身はすでに鳥の形をしています。
 フィリピンでは、つまみなどとして普通に売られているとか・・・。

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