「素晴らしき哉、人生!It's A Wonderful Life」 1946年

- フランク・キャプラ Frank Capra -

<アメリカン・バブルの崩壊>
 2007年11月、アメリカで突然破裂した「サブ・プライム爆弾」は、アメリカ経済を危機的状況に追い込んだだけでなく、日本を含めた世界中の国に経済危機をもたらすことになりました。「サブ・プライム・ローン」という名の低所得者向けの住宅ローンの問題点は何年も前から指摘されてました。ローンの支払い金額がアメリカの好景気が続き所得が上がってゆくことを前提とし、なおかつ住宅の資産価値が年々上昇してゆくことを前提条件として、その人の所得では支払いしきれないところに設定されていたことが最大の問題でした。これぞ「アメリカン・バブル」です。いつかこうなることは、予想できたはずなのに誰もが目をつぶって見て見ぬ振りをしていたのです。ついこの間バブルを体験したばかりの日本人に大きなことは言えませんが、なんとも愚かな過ちでした。
 1946年公開のこの映画「素晴らしき哉、人生」は、1930年にアメリカから始まったあの世界恐慌の時代に低所得者向けの住宅ローン会社を経営していた男の物語です。ただし、このローン会社は良心的で、わずかな利子しかとらなかったため、大恐慌によってたちまち経営が悪化してしまいます。
 さすがは、アメリカの良心と民主主義の理想像を描き続けたフランク・キャプラの作品です。ローン会社にもこの当時は、夢や理想、そして良心が存在していたというのですから・・・。詐欺まがいの条件設定で、アメリカの低所得者層から夢と希望、そして家を奪った現代アメリカのローン会社に比べたら高額の家賃で人々に家を貸すこの映画の悪役ポッター氏など善人のうちに入るのではないでしょうか?

<フランク・キャプラ>
 この映画の監督フランク・キャプラの人生もまた大恐慌によって苦労をしいられ、そこから這い上がる彼の映画の中のサクセス・ストーリーを思わせるものでした。
 1897年5月18日、彼はアメリカではなくイタリアのシシリー島のパレルモで生まれています。彼が6歳の時、家族はアメリカへと移住。父親はカリフォルニアのオレンジ農園で小作農として働きますが、7人の子供たちも父親を手伝うため子供の頃から新聞の売り子をするなどして働いていたといいます。その後、父親は独立してレモンの果樹園を始めますが、農園が軌道に乗る前に事故でこの世を去ってしまいました。苦労しながらお金を稼いだ彼は、1918年21歳になってやっとカリフォルニア工科大学に入学し化学技師を目指すものの途中で挫折します。(このあたりの出来事は、「素晴らしき哉、人生」の主人公が大学に入りたくても、入れなかった事情と似ています)
 人生における目標を見失ってしまった彼はこの後、3年間アメリカ西部の街を転々と放浪することになります。この間、彼は食べてゆくための数々の仕事に手を出しましたが、中には安酒場でのバンジョー弾きやポーカーのギャンブラー、それに怪しげな本のセールスマンなどもあったということです。この頃の経験から、彼はいかに人が騙されやすいかを知り、それが作品の中にも生かされることになります。
 その後、彼はロサンゼルスに戻ると映画の撮影所で小道具係として働くようになります。そこで彼はセットに使われる家を建てたり、壊したりしていましたが、しだいに映画の仕事に魅力を感じるようになりました。1925年、当時人気絶頂の喜劇映画専門の映画会社だったマック・セネットの撮影所にギャグ専門のライターとして入社します。小さな撮影所で彼はどんな仕事でもこなすようになり、人気俳優ハリー・ラングトン主演の映画を監督するまでになりました。そして、たまたま彼の作品を見たコロンビア映画の社長ハリー・コーンが気に入ってくれたことから、彼はコロンビアの専属監督として引き抜かれることになりました。
 当時のコロンビアはビッグ・ファイブと呼ばれるハリウッドの巨大映画会社たち、ワーナー、パラマウント、MGM、20世紀フォックス、RKOに比べ完全に格下扱いさrていました。キャプラは、そうした悪条件のもとでも、いつか自分がトップに立ちたいと夢をもつようになります。しかい、時代は単純に未来に向かって明るい夢を見られる状況ではなくなりつつありました。映画の黄金時代とともに成長した彼ですが、1930年から始まった大恐慌は当然彼の映画にも影響を与えることになります。
 彼の作品は、厳しい現実と闘いながら明日を夢見る大衆の心を癒す彼独特のスタイルを完成させてゆきました。こうして誕生した彼の作風は、「キャプラスク Caprasque」と呼ばれ、アメリカ中の人々から愛されるようになります。こうした評価について、彼はこう言っていたそうです。
「私が貧しいイタリア移民の子でなかったら、こんなにもアメリカン・ドリームを謳いあげることはしなかったかもしれない。私のことを楽天的すぎると批判する人たちは、貧しい人間にとってのアメリカの夢と理想がどんなに大きいかがわからないのだろう」
 こうして、彼はコロンビアから次々にヒット作を発表してゆくことになります。

<アカデミー賞への道>
 大恐慌の年に発表したバーバラ・スタンウィック主演の「希望の星」は高い評価を受け、続く作品「狂乱のアメリカ」(1932年)、「風雲の支那」(1932年)なども好評で、1933年発表の「一日だけの淑女」はついにアカデミー賞の作品、監督、脚本、主演女優賞の候補作となりました。当時のアカデミー賞はできたばかりで会員も少なかったこともあり、ビッグ・ファイブ以外の映画会社の作品が候補になったことは一度もありませんでした。それだけにフランク・キャプラの喜びと期待は大きく、授賞式当日も彼の精神状態は落ち着かず、それが彼に大きな失態を演じさせることになりました。
 授賞式の本番、監督賞のプレゼンターであるウィル・ロジャースはこういいました。
「さあ、ここへ来てくれ!フランク!」実は、ウィルはこの時、候補者の中に「フランク」が二人いることを知っていて、わざと「フランク」で止めたのでした。ところが、舞い上がっていたフランク・キャプラは、自分が呼ばれたのだと早合点し立ち上がってしまいます。そして、それが大きな間違いだったことをすぐに知ることになりました。ウィルは、わずかの間をとった後、「フランク」の後に「ロイド」と続けたのです。結局、この年の作品、監督賞はともにフランク・ロイド監督作品「カヴァルケード」に渡ってしまったのでした。
 大恥をかいたフランク・キャプラは二度とアカデミー賞の授賞式には出ないと思ったそうですが、その気持ちは翌年すでに変わっていました。そして、そのおかげで彼はアカデミー監督賞を自分の手で受け取ることができたのです。それどころか、彼の作品「或る夜の出来事」は、監督賞以外にも、作品、脚本、主演男優、主演女優の主要5部門を独占するという快挙を成し遂げてしまいました。

<「或る夜の出来事」>
 この映画(1934年)は製作にあたって、ちょっとしたトラブルがあり、それが上手く作用することで名作となったともいわれています。
 当初、この映画の主役はクラーク・ゲイブルではなく、当時のMGMの大物スター、ロバート・モンゴメリーのはずでした。ところが、MGMの経営陣が格下のコロンビアに彼を貸し出すことを認めなかったため、仕方なく当時はまだ大スターではなかったクラーク・ゲイブルが代役として選ばれたのでした。主演女優もまた同様に大物女優に何人も断られた後に、やっとクローデット・コルベールが選ばれたのでした。それだけ、当時のコロンビアの力は弱く、まだまだキャプラの評価も低かったということなのでしょう。
 そんな配役のゴタゴタもあり、この映画への期待はそれほど高いものではなくなりつつありました。そのせいか評論家受けもいまひとつで初公開時にはなんと2週間で上映が打ち切りになってしまったといいます。ところが、この映画の面白さを観客は見逃さず、口コミによって人気が高まると一気にその面白さは全国へと広まってゆきました。そして、クラーク・ゲイブルの人気もまた一躍全国区へと広がり、彼が見せたシャツを素肌に着るというお洒落もまた一大ブームとなりました。

<アカデミー会長として>
 フランク・キャプラの世話好き、親分肌の性格は映画の中だけではありませんでした。彼はまだ誕生して間もないアカデミーの会長として大きな仕事を果たしています。1935年、ハリウッドでは俳優組合、脚本家組合、監督組合と映画会社首脳陣との間で賃金闘争が激化。そのために、アカデミー賞の授賞式をボイコットする動きが起きることになりました。なぜかというと、実はアカデミーという組織はメジャーの映画会社のオーナーたちが組合の動きを抑えるために作ったという側面があったのです。その上、会員の人数が少なかったこともあり、オーナーたちの意志が賞の行方を左右するともいわれていました。だからこそ、業界人の中にはアカデミー賞に批判的な人も多くなってたのです。このままでは授賞式が中止になりかねないと考えた当時の会長フランク・キャプラは、なんとか出席者を増やそうと、すでに映画界から引退していた巨匠P・W・グリフィスに出席を依頼し、彼にアカデミー名誉賞を送ることにしました。伝説的存在のグリフィスが出席するということで、なんとか出席する会員を確保し、無事授賞式は開催されましたが、その後、彼はアカデミーの組織改革に乗り出します。中でも最も大きな改革は、会員数を200人から1400人近くへと増やしたことです。これによって、初めてアカデミーは少数の経営者たちだけでなく映画人全体の意見を反映する場になりました。そのおかげで、その後メジャーの作品でなくても、アメリカ人の俳優でなくても、アカデミー賞を受賞できるようになっていったわけです。

<「素晴らしき哉、人生!」誕生>
 1936年にも「オペラハット」でアカデミー賞をとったフランク・キャプラの人気はいよいよ頂点に達します。ところが1937年、やり手の社長ハリー・コーンは、ジーン・アーサーの新作を勝手にフランク・キャプラの作品として公開してしまいます。今ならそんなことは絶対にありえないことですが、この暴挙に対しキャプラは当然訴訟を起こしました。ところが、ハリー・コーンはキャプラを首にしただけでなく、他の映画会社にも手を回して、業界から締め出してしまったのです。なんとニューヨークで行われた裁判でも、コロンビア側が勝訴。絶望的な状況に追いこまれた彼は自殺まで考えたといい、この時の心境が後の彼の作品「素晴らしき哉、人生!」にいかされることになります。この後、彼はロンドンでもこの訴訟を起こします。キャプラのこの粘り強さに、ついにコロンビア側も根負けしてしまい、再び彼はコロンビアに復帰することになりました。
 しかし、彼がコロンビアに復帰し、「我が家の楽園」(1938年)、「スミス都へ行く」(1939年)を発表した後、再び彼の仕事はストップしてしまいます。第二次世界大戦の勃発です。アメリカという国を心から愛していた彼はすぐに志願して戦場へと向かいます。そして、戦意高揚のためのドキュメンタりー映画「なぜ戦うか?」を撮ります。しかし、実際に戦場で本物の戦闘を目にして、その悲惨さに彼は衝撃を受けます。それだけではありません。同じように戦争によって衝撃を受けた国民の多くは、彼の映画で描かれている世界観をもう信じられなくなってしまいます。彼の映画は「時代錯誤」と思われるようになっていったのです。

 1946年発表の「素晴らしき哉、人生!」はまさにそんな状況の下での公開となったため、公開当時まったくヒットしませんでした。すでにアメリカは大恐慌の時代から復活をとげており、世界最強の資本主義国家としての地位を確立。経済的にもトップの座に君臨する夢の国を実現しており、低金利の住宅ローンのような貧乏臭い話しなど、もう必要なくなていたのです。こうして、フランク・キャプラの存在はアメリカの黄金時代の訪れとともに忘れられることになりました。
 しかし、1970年代に入り、アメリカは再び不況の時代を迎えます。経済大国日本の登場により自動車産業が崩壊。アメリカは、それから1980年代にかけて厳しい時代を迎えることになりました。そんな頃、クリスマスにアメリカのテレビ局で放映されたこの映画が大きな反響を呼びます。忘れかけていたアメリカの魂を人々はこの映画の中に再発見したのです。こうして、フランク・キャプラの名は再びアメリカ国民の記憶に刻まれることになり、この映画はアメリカ人がクリスマスに見る超定番映画としてテレビで毎年上映されることになったのです。ちょうどこの頃、アメリカの映画館では「ロッキー」が大ヒット。こちらもアメリカ国民に自由の国アメリカの理想主義を思い出させる存在として長く愛されることになります。
 こうして、アメリカが挫折するたびに、アメリカの原点を見直そうとするたびに、フランク・キャプラの作品はそのお手本として蘇ることになるのかもしれません。

「素晴らしき哉、人生! It's A Wonderful Life」(1946年公開)
(監)(製)(脚)フランク・キャプラ
(原)フィリプ・ヴァン・ドレン・スターン
(脚)フランセス・グッドリッチ、ダルトン・トランボ(クレジットなし)、その他
(撮)ジョセフ・ウォーカー、ジョセフ・バイロック
(音)ディミトリ・ティオムキン
(出)ジェームス・スチュワート、ドナ・リード、ライオネル・バリモア、ヘンリー・トラヴァース、トーマス・ミッチェル

<あらすじ>
 ジョージ(ジェームス・スチュワート)の父親は貧しい人々のために低金利で融資をする会社を経営していました。良心的なやり方だったため、自分たちの生活はいつも苦しく、そのため彼は大学に行くことができずにアルバイトでその資金をためていました。ところが、やっとその資金がたまり、念願の大学へ入学するために出発しようとしていた日、彼の父親が亡くなってしまいます。株主たちは今後会社を存続させられるかどうかを検討しますが、株主の中でも街の大物企業家のポッターは、会社の解散を求めます。不動産賃貸業を営む彼にとって、持ち家を持つための資金を貸し出すジョージの父親は邪魔者だったからです。しかし、株主総会は会社の継続を承認しました。ただし、その条件として、ジョージが社長を引き継ぐことになります。こうして、彼はその街に残ることになり、幼馴染の彼女と結婚、新婚旅行に出かけることになります。ところが、その日、再び彼の会社が経営危機に見舞われます。アメリカが大不況に襲われたため、彼の会社にもお金を下ろそうと人々が殺到してきたのです。結局、彼は新婚旅行のために貯めて来たお金を使いなんとかその場を凌ぐことになり、またも街を出ることができませんでした。
 その後、彼は子供をもつ父親として、街を支える人物として活躍を続けますが、それから数年後のクリスマス、彼の会社にとって決定的な危機が訪れます。クリスマス休暇を前にして、銀行に入金することになっていたお金が紛失してしまったのです。そのお金がもし見つからなければ、彼の会社は年を越すことができずに倒産してしまいます。彼は一人街をさ迷い歩き、ついに橋から川へ身投げすることを決意します。
 ところが、彼が身投げをしようと身を乗り出すと、川に落ちた人が溺れていました。しかたなく、彼は川に飛び込みその男を助けるのでした。ところが、彼が助けた男は彼に自分は天使で君の命を救うためにやってきたというのです。しかし、ジョージはその言葉が信じられず、どちらにしても自分など世の中には必要ない人間なのだ天使にいいました。それに対して、天使はもし君がこの街にいなかったら街はどうなっていたのか、それを見せてあげようといいました。
 ふと気がつくと彼はまた街にいましたが、街の姿はどうやら、ついさっきまでとは異なっていました。なんとそこは彼が存在しない街だったのです。そのため、街はポッター氏に牛耳られており、風俗は乱れ、人々は貧しく不幸に暮らしていました。自分がいなければ街は、こうなっていたかもしれないのだ、そう思い知らされた彼は再びあの橋に戻ります。彼は再び現実世界に戻ることができるのか?そして、クリスマスに奇跡は起きるのか?


第一回カンヌ映画祭開催

「海の牙」〈監)ルネ・クレマン(脚)ジャック・コンパネーズ(出)アンリ・ヴィダル、ポール・ベルナール
「我等の生涯の最良の年」(監)ウィリアム・ワイラー(出)フレデリック・マーチ、ハロルド・ラッセル(アカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞
「剃刀の刃」(監)エドマンド・グールディング(出)タイロン・パワー、アン・バクスター(アカデミー助演女優賞
「靴みがき」(監)(脚)ヴィットリオ・デ・シーカ(原)〈脚)チェザーレ・ザバッティーニ〈出)リナルド・スモルドーニ、フランコ・インテルレンギ
「黒水仙」(監)(脚)マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー(音)ブライアン・イースデイル(出)デボラ・カー、サブー
「荒野の決闘」(監)ジョン・フォード(製)(脚)サミュエル・G・エンゲル(出)ヘンリー・フォンダ、リンダ・ダーネル、ヴィクター・マチュア
「ジョルスン物語」(監)アルフレッド・E・グリーン、ジョセフ・H・ルイス(出)ラリー・パークス(アル・ジョルスンの伝記映画)
「戦火のかなた」(監)(脚)製)ロベルト・ロッセリーニ(脚)フェデリコ・フェリーニ他(出)マリア・ミーキ、ガール・ムア、ドッツ・M・ジョンソン
「天国への階段」(監)マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー(出)デヴィッド・ニーブン、キム・ハンター
「遥かなる我が子」(監)ミッチェル・ライゼン(出)オリヴィア・デ・ハヴィランド(アカデミー主演女優賞
「白昼の決闘」(監)キング・ヴィダー(製)デヴィッド・O・セルズニック(出)グレゴリー・ペック、ジョセフ・コットン、ジェニファー・ジョーンズ
「美女と野獣」(監)(脚)ジャン・コクトー(原)ルブラン・ド・ボーモン(出)ジャン・マレー、ジョゼット・デイ、マルセル・アンドレ
「三つ数えろ」(監)(製)ハワード・ホークス(原)レイモンド・チャンドラー大いなる眠り」(脚)ウィリアム・フォークナー(出)ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール

「大曽根家の朝」(監)木下恵介(脚)久坂栄二郎(出)杉村春子、小沢栄太郎、三浦光子
「わが青春に悔いなし」(監)黒沢明(脚)久坂栄二郎(出)原節子、藤田進、大河内伝次郎
「或る夜の殿様」(監)衣笠禎之助(脚)小国英雄(出)長谷川一夫、山田五十鈴
「待ちぼうけの女」(監)マキノ正博(脚)新藤兼人(出)小杉勇、高峰三枝子

<1946年の出来事>
第一回国連総会開催、安全保障理事会成立
パリ平和会議開催
インドシナ戦争(仏vs北ヴェトナム)
チャーチルの対ソ連演説の中で「鉄のカーテン」発言
スターリンがソ連の首相になる
社会主義インターナショナル結成(20ヵ国参加)
ニュールンベルグ裁判で判決(ゲーリングらに死刑判決)
フィリピンがスペインから独立
蒋介石が国民政府主席に就任
ビキニ環礁で原爆実験
極東軍事裁判所開廷
日本国憲法公布、天皇の神格否定の年頭詔書
南海地震(紀伊半島)1443人死亡
俳優座第一回公演「検察官」(ゴーゴリー作)

<音楽>
「ヘイ・ババ・リバップ」ライオネル・ハンプトン楽団
「ジプシー」インク・スポッツ
「チューチューチ・ブギ」ルイ・ジョーダン
「クリスマス・ソング」ナット・キング・コール
「ドリフティン・ブルース」チャールズ・ブラウン
「ブギウギ・ベイビー」デルモア・ブラザース(ヒルビリー)
ビル・モンローがブルーグラスを始める
イブ・モンタンが映画「夜の門」で名曲「枯葉」を歌う
ミュージカル「アニーよ銃をとれ」(アーヴィング・バーリン作)
「リンゴの唄」並木路子
この年の映画についてはここから!

<文学、思想>
「薔薇の奇跡」ジャン・ジュネ
ヘルマン・ヘッセがノーベル文学賞受賞
「暗い絵」野間宏
「堕落論」坂口安吾
「サザエさん」(長谷川町子作)夕刊フクニチにて連載開始

<時代を変えた発明、モノ>
テレビの実用放送開始(米)
ポリエチレン製容器「タッパーウェア」発売(米)
コッラディーノ・ダスカニオのデザインによる「ヴェスパ」発売(伊)

<ヴェトナム戦争>
「ヴェトナム戦争とはすなわち、姿を変えて生き残った、第一次世界大戦以前から続く、愚かしい”十九世紀的原則”を処理するための苦悶だったのである」
「二十世紀」橋本治著

<1946年の物故者>
アルフレッド・スティーグリッツ(写真家、ダダイスト)
H・G・ウェルズ(SF作家、歴史家)
ジョン・メイナード・ケインズ(経済学者)
坂田三吉(将棋棋士)

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