「ウッドストックがやってくる Talking Woodstock」

- エリオット・タイバー Elliot Tiber -

<ウッドストックの真実>
 1969年8月15日から3日間、ニューヨーク近郊の町ベセルの牧場で行なわれた伝説のロック・イベント「ウッドストック・ミュージック&アーツ・フェスティバル」。このイベントについては、今までも多くのことが語られ、その映像はあのマーティン・コセッシを中心とするカメラマンたちによって撮影され、ドキュメンタリー映画として公開もされています。(公式には映画の監督はマイケル・ワドリィとなっていますが、編集担当のスコセッシが実質的に撮影陣を仕切っていたそうです)それらの証言における「ウッドストック」の評価は、「フラワー・ムーブメントが到達した最高の瞬間」、「愛と平和によって50万人の人々が一つになった3日間」など、賛辞がほとんどです。
 しかし、そのイベントを客観的に見ていた当時のロック界を象徴するプロモーター、ビル・グレアムのようにイベントに関った人々や記者たちからは、けっこう厳しい感想が残されています。例えば、このコンサートに出演したアーティスト、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュのギタリスト、バリー・メルトンはこう語っています。
「実際にあそこにいた人間は、すぐに判別できる。最高だったなんてことを言うやつは、間違いなく映画を見ただけで、実際には来ちゃいない。あそこにいるのは決して最高の気分じゃなかったし、あそこで演るのも、全然、最高じゃなかった。唯一のとりえは、全員が何か記念碑的な、歴史に残るイヴェントに参加しているという高揚感を共有できたことだろう。・・・」
 この証言あたりは実際にその場所にいた当事者の感想に近いのかもしれません。元来、思い出とは、時がたつにつれて「良いもの」だけが残り、「悪いもの」は忘れられてゆくものです。何が正しい感想なのかは、人ぞれぞれでもあるので、今さらどうこう言っても仕方のないことです。それでも、その場にいられなかった者としては、どんな人の話でも当時の思い出を聞くことができれば、それだけで楽しいことだけは確かです。
 あれから40年という年月が過ぎ、新たな「ウッドストック物語」がまた一つ登場し、映画化もされました。あのフェスティバルをべセルの町に誘致し、イベント・スタッフたちのために縁の下の力持ちとなって駆け回った人物による回想録「ウッドストックがやってくる Talking Woodstock」です。

<この本の主人公>
 このお話、フェスティバルの裏方のさらに裏方となった人物の証言ということで、より客観的で真実味のある内容になっています。しかし、この本の主役はけっして「ウッドストック」という伝説の巨大イベントではありません。あくまでこの本の著者エリオット・タイバーという人物を描いた作品であり、それがこの本の大きな魅力にもなっています。
 実はこの本の前半1/3以上の部分に「ウッドストック」のことはまったく書かれていません。そこに書かれているのは、ニューヨーク、ブルックリン育ちのユダヤ人青年エリック・タイバーのダメダメ青春物語です。貧しいユダヤ人として差別され、ゲイであることで自らを蔑む主人公のマイナス思考の物語。それが一つの事件をきっかけに大きく変わり始めることになる、というのが前半部の物語です。このきっかけとなった事件、「ウッドストック」と同じ1969年にニューヨークで起きた「ストーン・ウォールの反乱」が前半部のクライマックスとなっています。この本の著者は、この事件とウッドストック両方の証人だっただけではなく、二つの出来事をつなぐ重要な役割をになうことになります。そこには歴史の不思議がありました。
「歴史とは、人が作るものである」
 実に当たり前のことですが、20世紀最大の音楽と平和のイベントもまた、ちっぽけな人間たちの苦悩と苦労から生まれました。「ウッドストック」は世界を変えることはできなかったが、僕という一人の人間を変えたことだけは間違いない、この著者の最後の言葉にすべては表されているのかもしれません。

<ストーン・ウォールの反乱>
 1969年6月27日、その事件は起きました。当時、ニューヨークでは市長選挙が行なわれていて、当選は厳しいとされていた現職のジョン・リンゼイは、市民の要望に答えるため、市内全域の風俗店においてクリーン・アップ作戦を展開中でした。そして、その格好の標的となっていたのが、同性愛の人々が集まるゲイ・バーと呼ばれる店でした。それらの店が集中していたグリニッチ・ヴィレッジにあるクリストファー・ストリート。その中でも「ストーン・ウォール・イン」は、男女の性別、人種の違いに関係なく多くの同性愛者たちが集まる店になっていました。
 1950年代、マッカーシズムと呼ばれた赤狩りの時代、多くの共産主義者と同じように多くの同性愛者たちも弾圧を受け、社会から抹殺せれています。当時「同性愛」とは、法律的にも犯罪として扱われ(ソドミー法)、職を失うだけでなく、親戚や友人すべてを失うことにつながるため、そのことを誰もが隠そうとしていました。(同性愛者であり、共産主義者でもあったジェローム・ロビンスは、そのために非常に厳しい人生を歩むことになりました)そのことが、同性愛者たちに異常なまでのストレスをもたらし、その発散の場が当時はゲイ・バーと呼ばれる場所だったわけです。
 「ストーン・ウォール・イン」は、無許可でアルコールを販売し、売春の斡旋を行い、麻薬の密売も行なっていただけでなく、有名なマフィアのガンビーノ・ファミリーとのつながもあるとされていました。その日、店を急襲した警察は入り口を閉じると一人ずつ店外に出し、護送車に乗せ始めました。バーテンダー、用心棒らを乗せると、店内の客たちの中でレズビアンの女性が逃げ戻ろうと警察官ともみ合い、それに対して周りに集まっていた野次馬たちから野次が飛び始めました。そして、空き缶や空き瓶などが警察官に投げつけられ始め、ついにはパトカーをひっくり返し、店に火をつけたり、店内を荒らすなどの暴動へと発展することになったのです。
 この時、なぜ大きな暴動へと発展したのか?そのきっかけは証言者の意見がバラバラで今でも明らかではないようです。暴動を起こし商店での略奪などを行なったのは、どうやらゲイ以外のドサクサ紛れの暴徒だったようです。警察官の暴力についても、地元警察はけっして暴力的ではなく、別の部署から来た一部の差別的な警察官がゲイの人々を挑発したことが原因とも言われています。
 初めに警官に投げつけられた物は、ヘアピンだったという伝説もありますが、もともとゲイの人々は暴力的な存在ではありません。(「ヘア・ピンを落とす」のは自分がゲイであることを暗に示す合図だったそうです)この夜、偶然この店にいたタイバーも少年時代から一方的にいじめられることばかりで闘うという経験がありませんでした。しかし、その夜、そうしたゲイの人々の非暴力性につけこむ警官たちの横暴は、ついにタイバーだけでなくその場にいたゲイの人々全員の心に火をつけてしまったのでした。
 その後、この「ストーンウォールの反乱」は数日続き、一躍ゲイ・パワーの存在をアメリカ中に広めることになり、多くの人々の共感を集めることになりました。(ゲイの詩人アレン・ギンズバーグも応援に駆けつけたといいます)その影響は周りにも及び、各地に住むゲイの人々は衝撃を受けると同時に勇気を与えられることになります。そして、そこから1970年代「ゲイ・パワー」の時代が始まることになります。(映画「ミルク」にもなったハーヴェイ・ミルクのサンフランシスコでの活躍もこの後すぐに始まります)
 今でもアメリカを中心に6月最後の週末は、各地でゲイの記念日のイベントやパレードが行なわれています。

<同じ頃「ヘブン」にて>
 ちなみに、同じ頃「ストーン・ウォール・イン」の近くにあったゲイ・バー「ヘブン」では、2台のターンテーブルを使ってDJプレイを行なう伝説のDJフランシス・グラッソが活動を始めていました。ニューヨークのゲイ・バーは、その後世界中をブームに巻き込む「ディスコ」の原点となるだけでなく、「ハウス」や「テクノ」の原点でもあり、ダンス・カルチャー発祥の地ともいえる存在となります。ゲイ・パワーは文学、映画、美術だけでなく音楽、ダンスの世界でも世界に影響を与え続けていたのです。
 この事件の夜、偶然その店にいたタイバー青年もまたそうした歴史を変える運命の一翼を担うことになります。この夜、彼は自らの後ろ向きな生き方を改める決意を固め、その決意を知った運命の女神が、彼に大いなるチャンスを与えてくれます。それが「ウッドストック」の開催という巨大プロジェクトの命運を託されることでした。(トーキング・ヘッズの初期の名盤「Fear of Music」に収められている「Heaven」は、たぶんこの店のことを歌っているのだと思います)

<ウッドストックを救った男>
 もし、彼がその夜、ストーン・ウォールで自らの行き方を見直す機会を与えられていなかったら、彼は「ウッドストック」を自分の町に誘致しようなどという、ある意味無謀な考えをもつことはなかったかもしれません。そして、もしそうなっていたら「ウッドストック」は実現していなかったかもしれないのです。
 当時、「ウッドストック」は開催中止の危機に立たされていました。それは当初開催地として準備が進んでいたウッドストックにあるウォールキルという町がイベントの巨大化とトラブルの危険性に恐れをなし、開催地の提供を拒否してしまいました。しかし、開催の準備はすでに進んでおり、ウッドストック近郊の町でなければ開催は困難になっていました。(したがって「ウッドストック」は、ウッドストックで行なわれたイベントではありませんでした!)
 もし、べセルの町が代替地として手を挙げていなければ、イベントは多額の借金を抱えて頓挫していた可能性も高いのです。そうなれば、少なくともそのイベントの名前は「ウッドストック」ではなくなっていたはずです。

<60年代過激な時代の証言>
 さらにこの本の凄い所は、著者が20世紀を代表する作家二人、トルーマン・カポーティテネシー・ウィリアムズといっしょにラリった時の体験を書いていたり、当時のゲイ社会の退廃的生活がどぎついまでの描写で描き出されていることです。著者が画家を目指していたこともあり、芸術の世界において当時のアーティストがいかに苦悩しながら作品を生み出していたのか。そのあたりのエピソードもなかなかの迫力で、アメリカのアート・シーンの裏側を覗き見ることができます。マーロン・ブランドやマーク・ロスコ、カート・セリグマンらのアーティスト。特にゲイのアーティストとして有名なロバート・メイプルソープ(写真家)、ロック・ハドソン(俳優)のエピソードは衝撃的です。当時のアーティストたちの精神的な苦闘と危険な生き方を思えば、未だに1960年代末のアートが高く評価されているのも当然と思えてきます。(もちろん、苦悩すればするほど良い芸術が生み出せるというわけではありませんが・・・)
 こうした前半部の暗さと後半部の明るさは、実に対称的です。しかし、「ウッドストック」という愛と平和のイベントの裏に、こうした影の部分が存在していたことを示したことで、この本は確かなリアリティーを獲得したといえるでしょう。

<僕のイベント体験>
 実は僕は著者とちょっと似た体験をしたことがあります。著者はベセルの町の商工会の会長としてウッドストックを誘致したのですが、僕も商店街の事業委員長として映画の撮影を誘致したことがあります。その映画は佐藤隆太とサエコが主演した青春映画「ガチ・ボーイ」という作品です。
 その映画の前半部、主人公たちプロレス同好会のメンバーが商店街に作られた特設リングで試合をするという15分ぐらい?のシーンがあります。そのシーンを撮るため、うちの商店街の真ん中にリングを作り、二日近くの間その道路を通行止めにして撮影を行ないました。ところが、このための道路使用許可をとったり、地域の協力を得るという準備は非常に大変なことでした。市役所、商工会議所、警察、観光協会、近隣の商店主や住人など、関係する人々のもとを製作スタッフの担当者とともに回ったり、近隣住民への説明会を開いたりしましたが、それでも、文句を言う人がいて、休業補償を求める人も現れるなど、大変でした。警察から道路使用許可をとるのも大変で、警察署長の知人を紹介してもらったり、市会議員に動いてもらったり、あの手この手でなんとか成功。(商店街の中でも「歩行者天国」として指定されている区域は、営利企業のために通行止めにすることは法律上禁じられていて、特例と認められる必要があります。これがなかなかの難事業でした。当時の警察署長さんは地元出身で理解のある方だったので助かりました)僕の場合、映画の撮影でなんの利益もなかったので、途中で何度も降りようかと思ったものです。(それでも、映画の中にわかるように出演させてもらったのは最高のご褒美でした・・・試合の終了後、リングの片付けをしているのが映っています)
 とはいえ、撮影当日の熱気はさすが本物の映画だけあって、大掛かりな一大イベントといった感じでした。撮影修了の瞬間、胸が熱くなったことを今でも覚えています。だから映画作りは一度やったらやめられないのでしょう。どんなイベントも、それを実現できた時の喜びは忘れられない感動を与えてくれるものです。それが大掛かりで多くの人が関っていれば、その感動もより大きなものになります。まして、それが世界最大のイベントだったとしたら・・・・・。考えただけでもゾクゾクしてきます。
 ウッドストックじゃなくても、学園祭のコンサートだって人生最高の感動を得られるかもしれません。実際にそれに自分自身が関ること、そのことほど最高の体験はないはずです!小さなイベントだって深く関れば大きな感動が得られるものです。(僕は大学時代学園祭の実行委員もやっていて期間中、ずっと大学に泊り込んでいました。あの時も感動でした。今でも当時の仲間と連絡を取り合っています)

<タイムマシンにお願い>
 タイムマシンが、もしあったら、あの時、あの場所に是非行ってみたいものです。(長靴と雨合羽をもって)そして、先ずはあの「フリーダム」をいっしょに合唱してみたいです。
 ただし、当日は多くのアーティストがクスリでハイになり過ぎて演奏がボロボロだったという話もあります。映画の「ウッドストック」で演奏の場面が使われていない大物アーティストは、どうやら待ち時間が長すぎてその間にヘロヘロになってしまったためカットされてしまったのだとか・・・。

「ヒッピーくさいもろもろに囲まれて、ぼくはずっと自分にこう言い聞かせていた。『こんなのが現実のわけがない。こんなことがアメリカで起こっていたなんて嘘だ。・・・誰がこんなの信じるもんか』」
ピート・タウンゼント(ザ・フー)

 音響は最悪だし、食料も、トイレも、駐車場も、すべてが不足し、地面は泥まみれで休む場所すらない。すべてがダメダメだったイベントでありながら、ギリギリのところで大きな事故が起きずに終わったのは、誰もが優しい気持ちでいたこと(ハイだったせいもあるでしょうが)と運営者やスタッフに悪気がなかったこと、そしてタイバーのようなアマチュアのボランティア・スタッフとビル・グレアムとフィルモア・イーストのスタッフのように優秀なプロが助けに来ていたおかげだったかげでした。
 実際、このイベントの警備を担当するはずだった保安官事務所は直前になって逃げ出してしまい、警備スタッフの中心はフィルモアから来た64人のスタッフに任されることになっていました。
「ウッドストックでひとつ燦然と輝いているのは、・・・40〜50万人もの人間がひとつところに集まった場合には、どこの国でもかならず何か重要な問題が起こっていたはずなんだ。ウッドストックでも何人か人が死んではいた。でもその数の少なさときたら、あれはほとんど奇跡に近かった。・・・・・」
ビル・グレアム

 「ウッドストック」は、子供のように純粋な世間知らずの若者たちが抱いた巨大な幻想を奇跡的に実現してしまいました。
 しかし、それは誰もが無垢だったからこそ可能な一度限りの奇跡だったのかもしれません。だからこそ、二度とその再現はできなかったのでしょう。もう一度、あの愛と平和の3日間を再現できたとしたら、それは間違いなく「ウッドストック」を知らない若者たちによるもののはずです。
 ただし、それをサポートするまともな人間もいなければならないということをお忘れなく。どちらにしても、その場に行くこと、参加することをお奨めします。その後、40年間その場に行かなかったことを後悔しないですむように!

「ウッドストックがやってくる Talking Woodstock」 2007年
(著)エリオット・タイバー Elliot Tiber 、トム・モンテ Tom Monte
(訳)矢口誠11
河出書房新書

「ウッドストックがやってくる Talking Woodstock」 2009年
(監)アン・リー
(脚)ジェームズ・シェイマス
(撮)エリック・ゴーティエ
(音)ダニー・エルフマン
(出)ディミトリ・マーティン、ダン・フォグラー、ヘンリー・グッドマン、ジョナサン・グロフ

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