1994 FIFA World Cup

<アメリカのための大会>
 FIFAがアメリカでのサッカー人気を盛り上げるために行ったのが、この大会です。ペレやベッケンバウアーが現役時代に鳴り物入りで立ち上げられたアメリカのプロ・リーグは早々と崩壊。サッカーが野球、アメリカン・フットボール、バスケット、アイスホッケーの人気に対抗できなかったのには、いくつもの理由が考えられます。
 強いチームが勝つとは限らない曖昧なスポーツであること。
 45分間CMを入れられないテレビ向きとはいえないスポーツであること。
 1点、2点しか点が入らない盛り上がりの少ないスポーツであること。
 アメリカが不得意なスポーツであること。
 ・・・
 しかし、FIFAにとってアメリカの市場はあまりにも魅力的でした。おまけに1990年代のアメリカはIT産業を中心に景気が好調な時期でもありました。それだけに、なんとかアメリカでのサッカー人気を盛り上げようと、様々な条件を持ち出して開催にこぎつけました。その意味では、この大会は非常に珍しい大会だったといえます。
 大会の開催日は7月4日に決められていたのは、明らかにアメリカの独立記念日に合わせたからでした。さらに、アメリカの観客に合わせるように大きなルールの変更も行いました。それは予選リーグでの勝ち点の変更です。前回大会、勝ち点を確実に確保するために引き分け狙いの試合が激増。そのため、ワールドカップ史上最も面白くない大会と言われることになりました。そこでこの大会から、勝ったチームに与えられる勝ち点はそれまでの2から3に変更されました。そうなると、引き分け2試合では勝ち点2にしかなりませんが、1試合勝てばそれで勝ち点3となるので、引き分けを狙うより勝ちを狙う方が予選リーグでは有利になるのは明らかでした。
 この変更に対応し各チームもこの大会では常に勝利を目指すようになり、前回大会に比べこの大会は総得点が大幅に増えることになりました。当然、試合内容も面白くなり、その結果としてこの大会の観客数もまた大きく伸びることになりました。最大で10万人を収容できるローズボウル・スタジアムをはじめ、野球やアメフト用の巨大スタジアムを使用したせいもありますが、平均で7万人の観客を動員できたのは明らかに成功だったといえるでしょう。
 ただし、アメリカのプロ・サッカーリーグはその後も人気が増すことはありませんでした。21世紀に入っても、相変わらずベッカムのようなピークを過ぎたスーパースターたちの顔見世公演的な存在から抜け切れていないようです。アメリカ出身のスーパー・スターが現れない限り、この流れは変わらないかもしれません。
<追記>(2015年4月)
 この大会の総観客数は延べ356万人、全世界の160各国にテレビ中継され、約312億人が見たといわれます。(全52試合なので、1試合平均で6億人)
 決勝戦は、約15億人が見たと推計さえます。これは地球の全人口の30%に当たる数字です!

<地区予選>
 ヨーロッパ予選では、本大会の常連国デンマーク、イングランド、フランスが敗退。ユーゴスラビアは、ボスニア紛争に対する制裁のため国際試合への出場が禁止されていたため不参加。
 フランスと最後まで出場権を争ったブルガリアは、最終戦の後半ギリギリの得点でフランスを上回り、本大会への出場権を獲得。この滑り込み出場からブルガリアの快進撃が始まることになります。
 南米では、チリがロハス事件のために出場停止となりました。(チリのゴールキーパー、ロハスが試合中に飛んできた発炎筒に当たったフリをして、負け試合を中止にしようとした事件)
 アルゼンチンはマラドーナが麻薬使用のため出場停止、そのために大苦戦し、コロンビアに0−5で破れるなどして大陸間の最終予選に回ることになります。背水の陣となったアルゼンチンは、ここでマラドーナを復帰させます。「神」を得たアルゼンチンは、その試合でオーストラリアに勝利してなんとか出場権を獲得します。
 1993年にJ−リーグを立ち上げた日本は、オランダ人監督ハンス・オフトのもとで予選に挑みますが、あの「ドーハの悲劇」により万事休す。アジアからは結局、ギリギリで日本を上回った韓国とサウジアラビアが出場することになりました。

<予選リーグ>
A組(ルーマニア、スイス、アメリカ、コロンビア)
 南米予選でアルゼンチンを5−0で破り、優勝候補の呼び声も高く本大会に登場したコロンビアは、イギータ、バルデラマ、アスプリージャなどのタレントをそろえ、まさに頂点にあったはず、ところが地元のアメリカとこの後台風の目になるルーマニアに破れまさかの予選敗退。コロンビアに帰国するとアメリカ戦でオウンゴールしてしまったアンドレアス・エスコバルが麻薬シンジケートによって射殺されてしまいます。それまでにも、シンジケートがサッカー賭博に関わっていることは知られていました。この後、このシンジケート、「メデジン・カルテル」とコロンビア政府それにアメリカはまるで戦争のような戦いを繰り広げることになります。コロンビアの黄金時代はこうして終わりを迎えることになりました。

B組(ブラジル、スウェーデン、ロシア、カメルーン)
 ロシア対カメルーンで、ロシアのオレグ・サレンコはワールドカップ新記録となる1試合5得点を記録。スウェーデン戦でも1ゴールを決めた彼は、ロシアが予選リーグで敗退
したにもかかわらず、ブルガリアのストイチコフとともにこの大会の得点王になります。
 カメルーンは前回大会に続く活躍が期待されていましたが、結局このグループからはブラジルとスウェーデンが順当に勝ち上がりました。

C組(ドイツ、スペイン、韓国、ボリビア)
 開幕戦は前回優勝のドイツとボリビアがシカゴのソルジャー・フィールドで対戦。開会式ではダイアナ・ロスがショーを行い、開会宣言はアメリカ大統領ビル・クリントンが行いました。ドイツは東西統一後初のワールドカップで、東ドイツ代表のマティアス・ザマーを加え、監督にはベツティ・フォクツを迎えての出場。(フォクツは、かつてワールドカップでオランダ代表のヨハン・クライフを徹底マークしていたDFです)それまで前回優勝国は緒戦に負けるというジンクスを初めてくつがえしました。さすがはドイツです。
 韓国はスペイン、ボリビアと引き分ける検討をみせたものの、ドイツ戦で2−3で惜敗し、予選リーグ突破を逃しました。

D組(ナイジェリア、ブルガリア、アルゼンチン、ギリシャ)
 この組は3チームが2勝1敗となる混戦となりました。アフリカ最強といわれダークホース的存在だったナイジェリアが1位通過。アルゼンチンは早々と2勝したもののマラドーナがドーピング検査でひっかかり、その後は出場を辞退。そのせいもあったのか、ブルガリアに破れ、逆にそれでブルガリアは初の予選リーグ突破を果たしました。

E組(メキシコ、アイルランド、イタリア、ノルウェー)
 なんとこの組は4チームが1勝1敗1引き分けで並ぶ大混戦。そのうえ得失点差も0で並んでいました。結局、総得点と直接対決の勝敗で、順位が決まり、ノルウェーが惜しくも涙を飲むことになりました。イタリアは守備の要であるフランコ・バレージが膝の怪我でこの後出場不可能となります。ギリギリ3位で決勝トーナメントに残ったイタリアですが、そこから調子を上げるのがイタリアいつものパターンでもあります。

F組(オランダ、サウジアラビア、ベルギー、モロッコ)
 この組も混戦となりました。3チームがともに2勝1敗となり、総得点で順位が決まりました。サウジアラビアは、初の決勝トーナメント進出となりました。(アジア勢としては北朝鮮に次ぐ二番目)ベルギー戦でのオワイランの4人抜きドリブルからのシュートは、マラドーナに匹敵する素晴らしいものでした。
 ただし、出場した選手たちにとって、この大会は体力的にかなりきついものとなりました。

<決勝トーナメント1回戦>
オランダVSアイルランド(2−0)
 オランダは当時最強ともいえるタレントをそろえていました。特に最強トメンバーと呼ばれていたのが、ルート・フリット、マルコ・ファンバステン、ライカールト、それにベルカンプ。ところが、このうちルート・フリットはオランダの監督アドフォカートの戦術が納得できないとチームを離脱。さらにファンバステンも怪我でチームを離脱していました。それでもなおオランダはこの試合でも実力の差を見せつけ圧勝。

スウェーデンVSサウジアラビア(3−1)
 ブローリン、アンデション、ラーションら大型の選手による高さを生かした攻撃でサウジを圧倒。ヨーロッパの強豪国の強さを見せつけました。

スペインVSスイス(3−0)
 無敵艦隊スペインの圧勝。しかし、ベスト8の常連でもあるスペインにとっては当然の結果ではありました。問題はこの後の試合なのです。

イタリアVSナイジェリア(2−1)
 ギリギリで決勝リーグに残ったイタリアはダークホース、ナイジェリアと対戦。高い身体能力を誇るチームにカテナッチオで対抗し、その攻撃を封じ込めることに成功。ここでも延長でギリギリの勝利を収めます。ここにきてイタリアはジワジワと力を発揮し始めました。

ルーマニアVSアルゼンチン(3−2)
 ソ連の崩壊により自由化が進み、勢いを得た東欧勢にここでも神は味方をします。マラドーナがこの試合にも出場せず。バティストゥータ、バルボ、シメオネ、オルテガなど優れたタレントが他にもいたにも関わらず、「神」の不在はアルゼンチンを精神的に追い込んでしまったのかもしれません。それに対し、ハジを中心にまったく迷うことのない攻撃を繰り広げるルーマニアはアルゼンチンの攻撃力を見事に上回りました。

ドイツVSベルギー(3−2)
 この試合も3−2というサッカーで最も面白いといわれる好勝負となりました。どうしてもベスト8に残れないベルギーはここでも涙を飲みます。それでもこの試合でも活躍したベルギーのゴールキーパー、ミシェル・ブロドームはこの大会の最優秀GK(ヤシン賞)に選ばれました。

ブラジルVSアメリカ(1−0)
 不運なことにアメリカはこの大会で優勝することになるブラジルとあたり、ブラジルを追い込みますが惜しくも敗れました。この試合では、Jリーグのアントラーズで活躍していてレオナルドが腕をふりはらったつもりが肘うちと判定され一発退場となり、この後の試合にも出られなくなります。
 アメリカの監督ボラ・ミルチノビッチは、それまでにもメキシコ、コスタリカなどのチームを決勝トーナメントに進出させてきた監督だけに、スーパースターのいないアメリカを見事ベスト16まで引き上げ重責を果たしました。

ブルガリアVSメキシコ(1−1)PK(3−1)
 両チーム合計10枚のイエローカードが出される荒れた試合となりました。ただし、それはFIFAがこの大会を攻撃的サッカー有利にするため、後方からのタックルに対し厳しく対応するよう審判団に支持したせいでもありました。大会の初めからその方針が貫かれていましたが、しだにそのジャッジがエスカレートしてしまい厳しすぎるジャッジになったようです。やりすぎと批判されたこの試合の審判、ジャマル・アルシャリフ(シリア)は試合後、審判団からはずされることになりました。

<準々決勝>
ブラジルVSオランダ(3−2)
 この大会で最も面白い試合だったかもしれません。ガチンコ勝負のノーガードの打ち合いは、ロマーリオ、ベベット、ブランコの得点で3点をあげたブラジルの勝利。オランダは最強トリオがそろわないにもかかわらず、DFのロナルド・クーマン、ライカールト、オーフェルマウス、デブール兄弟、ヨンクそれにベルカンプと優れた選手が多くブラジルと五分に渡り合いました。

ブルガリアVSドイツ(2−1)
 この大会最大のジャイアント・キリングはこの試合だったかもしれません。クリンスマン、フェラー、マテウスなど十分にV2を狙えるメンバーをそろえながら、ドイツはまさかの敗戦となりました。
 次々と危機を乗り越えてきたブルガリアは勢いに乗り、ストイチコフのフリー・キックでの得点に続き、レチコフによる追加点。それに対しドイツはマテウスの1点のみに終わりました。

スウェーデンVSルーマニア(2−2)PK(5−4)
 この試合もまた非常に面白い試合になりました。この大会の台風の目となったルーマニアは、DFのポペスク、ペトレスク、MFのハジ、ルペスク、ドミトレスクそれにアタッカーのラドチョウ、それぞれが持ち味を十分に発揮し、ルーマニア・サッカーを世界に知らしめました。この試合でもラドチョウが2ゴールを決めましたが、スウェーデンもブローリン、アンデションが得点をあげ、同点のままPK戦に突入。そうなると経験豊富なワールドカップ常連国がやはり有利だったようです。しかし、この大会での金髪集団ルーマニアの活躍は大会の歴史だけでなく多くのサッカーファンの心にしっかりと刻まれたと思います。

イタリアVSスペイン(2−1)
 ベスト8の常連国はまたしてもベスト4進出ならず。ディノ・バッジョ、ロベルト・バッジョが得点をあげたイタリアは、しっかりと守りきり、カミネロの1点にスペインを押さえ込んで勝利。「らしさ」がでてきたことで、しだいにイタリアの優勝もあるのでは?という雰囲気になりつつありました。

<準決勝>
ブラジルVSスウェーデン(1−0)
 ロマーリオが唯一の得点をあげてブラジルが逃げ切りました。ブラジルはDF陣のアウダイール、ジョルジーニョ、マルシオ・サントス、ブランコがしっかりと守り、それをドゥンガが見事に統率して攻撃との切り替えを行いながらの堅実な戦い方が光ました。

イタリアVSブルガリア(2−1)
 ブルガリアは、ストイチコフを中心にコスタディノフ、ツベタノフ、レチコフ、シラコフ、バラコフなどの攻撃陣が予選同様迷いなく動きます。しかし、本領を発揮してきたイタリアのカテナッチオの前にゴールを決められず、ストイチコフがPKで得点を入れるものの、調子をあげてきたロベルト・バッジョに2ゴールを決められてついに力つきました。
 イタリアはバレージを失っても、GKのパリューカ、DFのコスタクルタ、マルディーニ、それにMFのアルベルティーニ、ディノ・バッジョらがしっかりと守りました。

<3位決定戦>
スウェーデンVSブルガリア(4−0)
 全試合フル・パワーで戦ってきたブルガリアは、イタリア戦での敗北で、それまで保ってきた緊張の糸が切れてしまったのか、圧倒的な敗北をきっしてしまいました。スウェーデンは、ブローリン、アンデション、ラーションらが得点を決め、圧倒的な勝利を収めました。

<決勝戦>
ブラジルVSイタリア(0−0)PK(3−1)
 アメリカの野球場は天然芝のため屋外で屋根がないのがほとんどで、屋根がある場合も冷房施設はないため、大会期間中の7月は暑さとの戦いにもなりました。さらに広大なアメリカ大陸全体で行われたこの大会は選手の移動距離も長く、移動の疲れと気候の違いによる体力の消耗が選手のパフォーマンスに大きな影響を与えることになりました。ブラジルはグループ・リーグからロスアンジェルスとサンフランシスコなどさわやかな気候の西海岸を中心に試合を行っていました。それに対して、イタリアは蒸し暑いニューヨークでの試合の後、西海岸へ移動し、体力的に厳しい状態で試合に臨むことになりました。そのため、体力温存を意識した戦いとなり内容的につまらない試合になりました。それでも、この試合のために膝の緊急手術を行ったバレージが、脅威の回復力でまさかの先発出場でイタリアは守りに集中力がありました。
 どの大会でも決勝はいい試合が期待できないのですが、まさにその典型といえる試合内容だったともいえます。それでもイタリアはPK戦でも良いというつもりだったのでしょう。ところが、サッカーの神様は気まぐれです。イタリアは、ここまでチームを引っ張ってきたバレージがPKを失敗。そして、チームの中心ロベルト・バッジョまでもがPKに失敗し万事休す。(絶対的なエースほどミスをするという、これまた典型的なPK失敗でした)
 けっして最強メンバーではなくJリーガー(ドゥンガ、ジョルジーニョ、レオナルド)が活躍する地味なチームで優勝。守りの重要性を証明したことで、その後、ドゥンガは南アフリカ大会で監督としてワールドカップの場に登場することになります。 

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