- ユッスー・ンドゥール Youssou N'Dour -

2003年4月19日追記、改訂

<みんな聴いてる、ユッスー>
 ホンダ、ステップ・ワゴンのコマーシャル・ソング「オブラディ・オブラダ」(もちろんビートルズのカバー)は、発売開始以来ずっと変わっていません。おかげで、日本人で彼の歌声を聞いたことのない人は、いないかもしれないくらいです。しかし、残念ながら、その歌を歌っているアーティスト、ユッスー・ンドゥールのことを知っている人は、いまだにほんのわずかかもしれません。彼は、西アフリカのセネガルが生んだ世界的ポップ・アーティストであるとともに、アフリカの文化において重要な意味をもつグリオの伝統を継承する家系に属する者でもあります。

<グリオの伝統>
 グリオというのは、アフリカ各地に残る伝統で、日本の琵琶法師のように、歌によって伝説を語り伝える語り部だったり、王様に仕える予言者のような政治的アドバイザーだったり、その時々の時事問題を語り知らせるニュース・キャスターだったり、ただお金や食事を恵んでもらうだけの者など様々な種類がある芸能人のことです。
 彼の場合、母親の家系がグリオの家系に属していて、そのため小さな頃から、いろいろな儀式の場で歌を歌う役目を果たしていました。そして、そうして培われた彼の意識は、現在の彼の歌にも生かされているようです。

<セネガルのトップ・スターから、世界へ>
 彼は1974年にミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせた後、1979年には自らがリーダーとなり、エトワール・ドゥ・ダカールを結成します。その実力は、しだいに海外でも評価されるようになり、西アフリカからの移民が多いフランスでのコンサートが実現し、ヨーロッパ進出の足がかりをつかみます。1984年発表の「イミグレ」では、アフリカ音楽の要素とギター、ベース、ドラムスなどロック系楽器の導入、融合が進み、いよいよヨーロッパ中にその名が知れ渡るようになって行きました。そして、ついにヨーロッパ・ツアーが実現、その途中のイギリス公演で、元ジェネシスのピーター・ガブリエルと出会います。

<ピーター・ガブリエルとの出会い>
 ピーターは、その翌年ワールド・ミュージックの祭典第一回「WOMAD」を主催することになるのですが、彼はすっかりユッスーに惚れ込み、自分のソロ・アルバム「SO」の録音に参加させ、その後の世界ツアーにも同行させました。この旅の中で、ユッスーは多くの世界のミュージシャンと知り合うことになり、それが彼の音楽を急激に進化させることになります。こうして、彼はワールド・ミュージックの代表的アーティストとして、世界中にその名を知られるようになったのです。

<アフリカからのメッセージ>
 世界的な注目を集めるようになるにつれ、ユッスーはしだいにグリオの末裔としての使命を果たすようになります。そして、ついに世界に向けてのデビュー・アルバムとなった「ネルソン・マンデーラ」を発表したのです。タイトル曲は、もちろん南アフリカの黒人指導者ネルソン・マンデーラ氏を解放せよ!というメッセージを込めた作品でした。(もともと、この曲を作るきっかけは、彼の母親ですら、ネルソン・マンデーラという偉大な人物のことを知らないというアフリカ、世界の現状を知ったからでした)

<スパイク・リーのレーベルへの参加>
 そんな彼の意識の高さを示す例としては、黒人映画監督スパイク・リーが主催するレーベル「ミュージック・ワークス」への移籍もあげられるでしょう。映画ドゥ・ザ・ライト・シングマルコムXなどの作品で知られるスパイク・リーは、人種問題を真っ向から取り上げ、それを説教臭さのない素晴らしい作品に仕上げることのできる新しいタイプの映画監督です。ユッスーは、そんなスパイク・リーが設立した黒人文化の昂揚を目指す新しいレーベルに誘われて、移籍します。彼はそこで自らプロデュースする権限を与えられ、1992年初のセルフ・プロデュース作「アイズ・オープン」を発表します。そこでは、アフリカへのメッセージだけでなく、アメリカに住む黒人たちに対するメッセージも、収められ、歌詞だけでなく音楽的にもより幅の広いスタンスをもつ作品となっていました。

<いったい誰に歌いかけるのか?>
 しかし、こうして彼が歌いかける対象の枠を広げれば広げるほど、その方向性は難しいものになって行きました。彼のアメリカでのライブでは、その聴衆のほとんどは白人であり、彼が期待するほど黒人からの指示は得られてはいないのです。だからといって、アメリカの黒人向けの音づくりにすると、アフリカらしさを減らして行くことにもなるでしょう。これはワールド・ミュージックと呼ばれる音楽における共通の悩みであり、ひとつの大きな壁といえるのかもしれません。(そう考えると、やはりボブ・マーレーという存在は、偉大だったことに改めて気づかされます)

<ユッスーの二本立てサウンド>
 実際、ユッスーの場合、アルバム制作において、世界進出初期の段階では、本国セネガル向けのアルバムとヨーロッパ向けのアルバムは、まったくと言ってよいほど、その内容は違っていました。しかし、彼の世界的な評価が高まるにつれて、少しづつその違いは小さくなり、曲の長さや、その順番以外は、ほとんど同じものになっていったのです。これは、本国セネガルの人々が求めるものが、ワールド・ミュージックのヒーロー、ユッスーに対して求められているものに近づいてきたのと同時に、世界各地のポピュラー音楽が少しづつ均質化しつつあることの証明なのかもしれません。(同じアフリカが生んだスーパー・スター、キング・サニー・アデは、逆に国内向けと海外向けを分けて、制作している。どちらが良い方法なのでしょうか?)

<それでも、やっぱりユッスーは凄い!>
 良くも悪くも、ユッスー・ンドゥールはワールド・ミュージックと呼ばれる音楽の最先端をリードしてきたと言えるでしょう。しかし、それもこれも、彼が常にそのトップに立ってきたことの証明でもあります。どんなに優れたサンプリング・マシーンが現れても、どんなにアフリカ音楽が西洋音楽を見事に取り入れたとしても、それでもなお、ユッスーのあの素晴らしいヴォーカルは、彼がアフリカからやって来たことを、忘れさせないしなやかさと強靱なパワーを兼ね備えています。彼の声は、「アフリカの魂」を持っているのです。ワールド・ミュージックというあやふやなジャンルで生き残ってゆくということは、本当に大変なことです。このジャンルほど、流行に流されやすい聴衆は、他にいないかもしれないのです。そんな中で、常に新しい音楽を提案し続けてきた彼は、本当に素晴らしいアーティストと言えるのです。

<追記>
 さすがは、ユッスー・ンドゥールというべきでしょう。アメリカによるイラク攻撃に抗議して彼はアメリカン・ツアーを中止しました。アメリカを正面切って敵に回す行為は、商業的に見て大きな損失となるはずです。それをあえて実行できる彼のグリオ魂(批評的精神、予言者的精神)、そして反骨精神に敬意を表したいと思います。

<締めのお言葉>
「アフリカの芸術作品は、…詩であれ音楽であれ、あるいは、彫刻であれ仮面であれ、…それがノンモ、つまり産み出す力をもったことば、効力のあることば、機能、であるときのみ「完全な」ものなのである。もしその機能的効力を喪えば、その作品は価値なきものとなる」 ヤンハインツ・ヤーン「アフリカの魂を求めて」より

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