- イエス YES -

<プログレッシブ・ロックの時代>
 1970年代の前半、なぜあれほどイエスのアルバムが売れたのでしょうか?今考えると、かなり不思議です。もちろん、イエスの「こわれもの」や「海洋地形学の物語」が、くだらないアルバムだったと言いたいわけではありません。しかし、LPの片面一曲が当たり前の彼らのアルバムからは、シングル・ヒットが出るわけではありませんでした。(唯一「ラウンド・アバウト」は全米13位のヒットとなっていますが・・・「ロンリー・ハート」はまた別です)当然ラジオでかかることはめったになかったわけですし、音楽的にも、けっして売れ線狙いではなかったはずです。
 僕は彼らのライブ・アルバム「イエス・ソングス」(LP3枚組)を持っていますが、自慢じゃないが一度に3枚通して聴いたことはありません。それどころか、ジョン・アンダーソンのヴォーカルが登場する前のオーケストラの演奏の時点で、コックリ、コックリとうたた寝してしまうのがいつものパターンでした。それでも、なぜか何度でもこのアルバムに針を落としていたものです。

<プログレの魅力>
 なぜ、プログレはあれほど魅力的だったのでしょうか?イエスのサウンドは、考えようによってはクラシックかぶれの気取り屋が自己満足にひたりながら技巧を見せびらかしていると聞こえなくもありません。
 ロバート・フリップというカリスマ的なアーティストによって、次々に新しいチャレンジに挑んだキング・クリムゾンに比べると、イエスはプログレッシブ(革新的)ロックというよりは、超保守的なクラシック・ロックと呼べなくもないのです。まして、その後「ロンリー・ハート」というポップ・ソングが全米ナンバー1になっているだけに、「なんだ結局は売れ線狙いだったのかよ!」と言われ兼ねないのです。
 それでもなお、こうしてイエスについて語りたくなるのは、初めて聴いた彼らのアルバム「海洋地形学の物語」が作り上げていた不思議な世界観の魅力が未だに失われていないと思うからです。そこには間違いなく、他にはない何かを生み出そうとする創造力のパワーが存在っしていました。ロックだろうが、クラシックだろうが、パンクだろうが関係なく新しいジャンルに挑戦しようというプログレッシブな精神が確かにそこにはあったからです。まして、その後、ロックの歴史に現れている数多くのクラシックかぶれのロックに比べると、そのスケールの大きさ、レベルの高さは歴然です。
 それは、ボアダムスエイフェックス・ツインを聴いて現代の若者たちが衝撃を受けているのに似ているかもしれません。(あと30年もたったら、「考えてみると、エイフェックス・ツインみたいな高度な音楽?が、よくもまあ、あの頃あんなに売れたもんだなあ」なんてことになっているかもしれません)

<イエス誕生>
 イエスが結成されたのは1968年。ロンドンのナイトクラブでヴォーカリストのジョン・アンダーソン(1944年10月25日アクリントン生まれ)とベーストのクリス・スクワイア(1948年3月4日ロンドン生まれ)が出会い、そこにギタリストのピーター・バンクス、キーボードのトニー・ケイ、ドラムのビル・ブラッフォードが加わったのがイエスの最初の形でした。
 1969年彼らはロックに力を入れ始めていたアトランティックと契約を結び、シングル「スウィートネス」を発表。その後ファースト・アルバム「イエス・ファースト」を発表しますが、どちらもさっぱり売れませんでした。しかし、彼らが目指すサウンドが受け入れられる可能性はすでに開かれ始めていました。

<アルバムの時代へ>
 ビートルズの「サージェント・ペパーズ・・・」が発表されたあたりから(1967年)、ロックはシングルではなくアルバム・セールスの時代に突入、その内容もより芸術性を求められるようになって行きました。
 彼らは、そんな時代の流れに答えるように、1970年のアルバム「時間と言葉」、「サード・アルバム」(1971年)と、しだいにクラシック音楽との融合路線を明確にして行きます。そして、この路線を完成の域へと高めたのが、1971年バンクスに代わってメンバー入りしたスティーブ・ハウ(1944年4月8日ロンドン生まれ)とケイに代わってストローブスからやってきたリック・ウェイクマン(1949年5月18日ロンドン生まれ)の二人でした。

<バンドの完成>
 パワフルなギター・テクニックを持つスティーブ・ハウとクラシック指向の強いリック・ウェイクマン、そして神秘的ともいえるヴォーカリストのジョン・アンダーソンがそろい、アルバム「こわれもの」(1971年)が完成しました。(この後ドラムのブラッフォードがキング・クリムゾンへ移籍し、代わってプラスティック・オノ・バンドにいたアラン・ホワイトが加入しています)このアルバムは、全米アルバム・チャートの4位にまで達する大ヒットとなり、いよいよイエスは、キング・クリムゾン、ピンク・フロイドと並ぶプログレッシブ・ロックを代表するバンドになりました。
 1972年発表のアルバム「危機」は全米3位、1973年のライブ・アルバム「イエス・ソングス」も3枚組みという大作でありながら12位、1974年の「海洋地形学の物語」も2枚組みだったが6位にまで上昇しています。
 その間、リック・ウェイクマンは、ソロ・アルバム「ヘンリー八世の六人の妻」(1973年)、「地底探検」(1974年)を発表し、どちらもヒット。結局彼はソロの道に進んで行くことになります。(1977年には再びイエスに戻ってきます)

<オーケストラとの共演>
 延々と繰り広げられるオーケストラの演奏、そしてその後に登場するオペラ歌手の唱法を取り入れたと言われるジョン・アンダーソンのヴォーカル、それはまるでクラシックのコンサートのようでした。その大仰さは、今思うと恥ずかしいぐらいですが、それをコンサートで大仕掛けでできたこと事態たいへんなことだったはずです。
 こうして徹底的にクラシックとロックとの融合を押し進めることができたのは、やはり「なんでもあり」的に発展し続けていた挑戦の時代、1960年代末という時代の勢いがあったからなのは間違いないでしょうが、そこに上手く乗ることができたのは、彼らメンバーそれぞれの才能があったからなのもまた間違いないでしょう。

<プログレ時代の終わり>
 こうして70年代、どこまでも突き進んでいった彼らのサウンドは、まさにプログレッシブと呼ぶに相応しかったのですが、やはり同じメンバーでやって行く限りそこには限界もありました。おまけに70年代も終わりになると、時代はシンプルで若々しいパンク、そこから発展したエスニックなロック=ニューウェーブの時代に突入していました。
 彼らのライバルだったキング・クリムゾンは、ロバート・フリップ以外のメンバーがすっかり入れ替わり音楽スタイルを一新、時代の最先端だったエスニックなロック・サウンドを展開し始めていた。
 そんな中、1980年ジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマンというバンドの2枚看板が脱退、バンドは危機的状況に陥ます。

<イエスの復活と解散>
 しかし、イエスは復活しました。復活させたのは、新しい二人のメンバー、トレヴァー・ホーンジェフ・ダウンズでした。「ラジオ・スターの悲劇」の大ヒットで有名なポップ・ニューウェーブ系のコンビ、バグルズの二人です。特にトレヴァー・ホーンは、この頃プロデューサーとしても大活躍していただけに、新たなイエスが誕生する可能性があったのですが、あまりにもイエスのイメージが強すぎたのか、結局1981年イエスは解散してしまいます。
 しかし、イエスという巨大な存在はそう簡単には消えませんでした。かつてのメンバー、スクワイアとホワイトはトレヴァー・ラビンというギタリストを雇い、シネマというバンドを結成。そこにトニー・ケイ、ジョン・アンダーソンが加わり、再びイエスは甦ります。そして生まれたのが、1983年の大ヒット曲「ロンリー・ハート」でした。
 その後、再びバンドは解散しますが、アンダーソン、ブラッフォード、ウェイクマン、ハウの4人は、再びグループを結成、アルバム「閃光」を発表します。1991年には、さらにホワイト、ケイ、ラビンも加わり、ほぼ完璧にイエスは復活、アルバム「結晶」を発表しています。
 かつて聖書の中のイエス・キリストは、一度だけ復活しましたが、20世紀のイエスは、どうやら何度でも復活するようです。

<イエスの役割>
 プログレッシブ・ロックというジャンルを築き上げた時点で、彼らはプログレッシブであることを止めざるをえなかったのかもしれません。それは革新を繰り返し、巨大化していったイエスの存在が、あまりに強固なイメージを作り上げてしまったからであり、そのイメージが生み出す強力な引力から、それぞれのメンバーが自由になれなかったからなのかもしれません。イエスは、プログレッシブ・ロックというジャンルを象徴する唯一の神になってしまったのです。考えてみると、彼らの音楽が作り上げていたのは、音楽による「神話の世界」だったのかもしれません。(常に世界観を破壊し続けたキング・クリムゾン=ロバート・フリップの対極に位置していたのかもしれません)

<締めのお言葉>
「進化は自然淘汰によって動いているのでもなければ、適応に向かっているのでもない。進化は自然淘汰や適応がなくても、それ自体として動いてゆく。進化は進化であり、しいて言えば、一種の歴史である」

今西錦司著「ダーウィン論」より

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