「雪に願うこと」&「遠雷」

- 根岸吉太郎 Kichitaro Negishi -

「雪に願うこと」 2006年
(監)根岸吉太郎
(脚)加藤正人
(原)鳴海章
(撮)町田博
(音)伊藤ゴロー
(配給)ビターエンド
(出)伊勢谷友介、佐藤浩市、小泉今日子、吹石一恵、山崎努、香川照之、草笛光子、小澤征悦、椎名桔平、津川雅彦

 今や北海道を代表する文化遺産となった「ばんえい競馬」。そこで活躍する「ばん馬」を育て調教する家族とその周りの人々の生き様を北海道の大自然とともに描き出した根岸後期?の傑作。1990年代から思うように作品を撮れなくなっていた彼にとって、この映画での東京国際映画祭グランプリ、監督賞の獲得は一気に状況を変える起爆剤となりました。
 改めて見てみると、正統派でテクニックに頼ることのない彼の映画スタイルにとって、この映画は様々な面でぴたりとはまった作品でした。
(1)厳しい自然に囲まれた北の大地で馬と向き合う人々の姿を描くという物語の骨太さ。
(2)雪が舞う極寒の地で真っ白い鼻息をはくばん馬の美しき力強い雄姿、という被写体の素晴らしさ。
(3)今や日本を代表する俳優となった佐藤浩市、旬の俳優、伊勢谷友介、優秀な脇役たち(山崎努、香川照之、津川雅彦)、美しい女優たち(小泉今日子、吹石一恵・・・)
 これだけの条件がそろい、素晴らしい俳優たちを得て、30年近い年月にわたり映画を撮り続けてきた彼の演出力が加わったからこそ、これだけの作品が生まれたのでしょう。この映画の成功の後、彼は「サイドカーに犬」(2007年)に続く作品「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」(2009年)で、モントリオール映画祭の監督賞を受賞。いよいよ海外からも認められる存在となりました。
 今や日本を代表する巨匠といえる存在になった彼ですが、この映画で描いていることは、かつて彼が一般映画の世界で監督デビューした作品「遠雷」から一貫して変わらないともいえます。日本を代表する骨太の監督、根岸吉太郎が撮ってきた映画を振り返ります。

<根岸吉太郎>
 根岸吉太郎は、1950年8月24日東京で生まれています。森田芳光とは同じ年で同じく東京出身ということもあり、自作「ウホッホ探検隊」(1986年)では彼の脚本を映画化するなど、ライバルであり、映画不況の時代に共に闘った同士のような関係にあります。
 しかし、森田作品が都会的で最新の流行を意識した毎回異なるテイストを打ち出しているのに対して彼の作品の基本は一貫したものに思えます。彼の作品で描かれるのは都会ではなく、都会と田舎の狭間、土の匂いのする土地に住む人々です。だからといって、今村昌平作品のような泥臭さとも異なるセンスの良さも併せ持っていることが特徴でしょう。
それは都会の住人が地方を訪れてその土地をよそ者の視点で眺めた感じでしょうか。それは時に冷ややかなものかもしれませんが、基本的にはその土地に住む人々に対する尊敬の気持ちに基づいています。この感覚は、彼の出世作となった「遠雷」(1981年)ですでに表現されていたといえます。

「遠雷」 1981年
(監)根岸吉太郎
(原)立松和平
(脚)荒井晴彦
(撮)安藤庄平
(音)井上堯之
(配給)ATG
(出)永島敏行、ジョニー大倉、石田えり、横山リエ、ケーシー高峰、藤田弓子、蟹江敬三、森本レオ、鹿沼えり

 都市化の波によりどんどん農家が消えつつ都市近郊の町で農家の息子として育った青年が自分の将来に悩みながらも、農家を継ぐ決意をするまでの葛藤を描いた青春映画。「雪に願うこと」の農業版だったともいえる題材は、現在にも通じるテーマであり、この映画で高い評価をえた主役の永島敏行は、今や自ら農業を営み農業評論家的な存在になっています。もしかすると、日本の農家の後継者たちにも少なからず影響を与えたのかもしれません。

「根岸の「遠雷」は、「青春の殺人者」と同じく、首都圏近郊農村を舞台に生きる青年が主人公である。演ずるのは「サード」で好演した永島敏行で、都市に侵食されていく農村の現実の中で、自分の生き方を選択していく現代の青春があざやかに摘出されている。この青年にしても、一歩間違えば、「青春の殺人者」の主人公のようになりかねないのだが、与えられた状況に押し潰されない、”青春”だけが持つエネルギーが、このドラマを支えている。ロマンポルノ出身の根岸が、斜に構えてみていた”性”を、生きるバイタリティーへと転換したたくましさ。そして、この作品はまた、現実の上でも、ドラマの上でも崩壊しつつあった日本の「家」を若者の手によって再構築しようとした点が重要である」
塩田長和著「日本映画五十年史」
(この発展形は主婦による「家」再建のドラマ「ウホッホ探検隊」につながってゆきます)

<映画監督へ>
 彼は早稲田大学の文学部を卒業した後、日活に入社。映画会社の社員として、藤田敏八や曾根中生の元で経験を積んだ最後の撮影所世代といわれています。(逆に森田は、助監督を経験せずに監督になった最初の監督ともいわれます)当然、彼のデビュー作は日活のロマン・ポルノ作品で、「オリオンの殺意より・情事の方程式」(1978年)を27歳で監督しています。年間二本のペースで作品を撮った彼は、ATGの配給で「遠雷」を発表。初の一般映画作品で一躍映画界にその名を知られることになりました。(もちろんロマン・ポルノ作品を高く評価する声はありましたが・・・)
 翌1982年再びロマン・ポルノ作品「キャバレー日記」を探った彼は、それを最後に日活を離れ、長谷川和彦、相米慎二らが設立したディレクターズ・カンパニーに参加し、メジャーの一般映画の監督として活躍を始めます。薬師丸ひろ子と松田優作という当時の二大スターを主演に迎えた角川映画「探偵物語」(1983年)渡辺淳一のベストセラーを映画化したメロドラマ「ひとひらの雪」(1985年)
 同世代の森田芳光の脚本を得て実現した不倫がもとで崩壊する家庭を守ろうとする主婦の闘いを描いた可笑しくて悲しいホーム・ドラマの名作「ウホッホ探検隊」(1986年)を監督します。しかし、この映画は評価の高さのわりにヒットせず、さらにディレクターズ・カンパニーも経営破たんしてしまいます。彼は倒産を防ごうと映画以外で忙しくなったこともあり、1980年代後半は思うように映画を撮れなくなります。ようやく本格的に監督業に復帰したのは、1992年ヒットマンガの映画化「課長・島耕作」でした。
 しかし、その後もなかなか思うように映画を撮れない上級が続きます。1993年「乳房」、1998年「絆」、2004年「透光の樹」と2年に1本しか撮れない中、巡ってきたのが、この「雪に願うこと」でした。
 かつて、彼が「遠雷」で描いた大地に生きる人々の姿が、この作品で再び北の大地を舞台によみがえることになったのでした。原点に帰り、彼は新たなスタートを切ることができたのかもしれません。もう一度、根岸吉太郎の黄金時代が来るのではないでしょうか。今後の作品にも期待します。

<追記>(2013年8月)
「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」もまた素晴しい作品でした。純文学を描いた純和風映画の名作です。
「サイドカーに犬」の竹内結子、いいです!正直大ファンです。特に、この映画のように生意気な女の子ををやらせたら最高です!

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