童謡歌手世界へ、不思議な音楽人生


- 由紀さおり Saori Yuki -
<少女歌手からのスタート>
 由紀さおりほど、長く歌謡界で活躍を続けた歌手はいないでしょう。それも長いだけではなく、それぞれの時代ごとに、それぞれの世代ごとに活躍した歌手は他にいないでしょう。
 彼女の歌手活動のスタートは少女時代、それも小学校1年生の時から始まっています。姉(安田祥子)が、ひばり児童合唱団に入っていて、母親がその送り迎えに行くのに一緒について行くうちに歌を憶え、そのまま参加することになったのがきっかけでした。
 こうして童謡歌手となった彼女は小学校1年生から中学2年生までは童謡を歌いました。しかし、将来的に歌を続けるため、その後はCMソングを歌いながら歌手としての成功を目指します。この時、姉は東京芸大に進学し、クラシックの歌手になる道を選択。彼女は一人歌謡界で活躍する道を歩み出しました。
 彼女が歌謡界で歌手としてデビューしたのは、高校3年の時、「ヒッチハイク娘」という青春歌謡曲でした。しかし、このデビュー曲はまったく売れませんでした。ここで彼女の歌手生命は終わっていたかもしれませんが、彼女には素晴らしい応援者がいました。当時、彼女が歌うCMソングを手掛けていたいずみたくです。彼は、彼女になんとかブレイクのチャンスをつかませようとTBSのラジオ朗読番組「夜のバラード」のテーマ曲を彼女に歌わせます。しかし、その曲は「女性のハミング曲」という指定で歌詞がなかったため、彼女はアドリブで最初に「ルールルルー」と歌い出し、「ラーララララー」と歌い録音を行いました。
 その放送が始まったのは、1968年9月30日夜の10時40分からでした。月曜日から土曜日まで毎晩流されているうちに、しだいにこの曲は人々の心をとらえ始めます。そして、2か月後にはTBSラジオの深夜放送「パックイン・ミュージック」などにリクエストが殺到するようになります。ついにブレイクのチャンスが来たと判断したいずみたくは、山上路夫に歌詞を依頼し、レコード化の準備を始めます。こうして、曲の雰囲気を壊さないようドラマ性を排除した抽象的な歌詞を依頼された山上は、不思議な世界観をもつ歌詞を作りました。

ルルルルル・・・・
愛し合うその時に この世はとまるの
時のない世界に 二人は行くのよ
「夜明けのスキャット」1969年(詞)山上路夫(曲)いずみたく

 そして、この曲を録音する時、それまで安田章子として歌っていた彼女は初めて「由紀さおり」という芸名で再デビューすることになりました。(雪のように白い肌から来た名前)「夜明けのスキャット」は、大ヒットとなり、彼女は1969年の紅白歌合戦にも出場し一躍スター歌手の仲間入りを果たします。しかし、あまりにも大ヒットしたこの曲の後、彼女は典型的な「一発屋」のレッテルを貼られる危機に陥りつつありました。ここで彼女の歌手生命が終わっても不思議はなかったかもしれません。

<一発屋からの脱却>
 そんな状況の中で発表された「手紙」は、久々のヒットとなり、この曲のおかげでやっと彼女は大人の歌手の仲間入りを果たすことになりました。その曲は、歌詞の内容からして一気に大人向けになっていました。

死んでもあなたと 暮らしていたいと
今日までつとめた この私だけど
二人で育てた小鳥をにがし
二人で書いたこの絵 燃やしましょう
何が悪いのか 今もわからない 
だれのせいなのか 今もわからない
涙でつづりかけた お別れの手紙
「手紙」1970年(詞)なかにし礼(曲)川口真

 「死んでもあなたといっしょにいたい」と歌う頭の部分は過激ではあっても、演歌的な女の歌です。ところが、その後、彼女はそうしたあなたへの思いは過去のもので「もう私はあなたと別れる気になりました。じゃあ、さようなら!」と手紙を書き残して出ていってしまいます。
 それまで歌謡曲は、ほとんどが「あなたが忘れられないから捨てないで!」とすがりつく曲が当たり前でした。それがここに来て、逆に女性側から手紙を置いて出てゆく展開が登場したのです。まだ彼女は泣きながら手紙を書いているのですから、十分「昭和の女」なのですが・・・この後、山口百恵あたりになると女に捨て台詞を残して去るようになります。

 ところが、この曲のヒットのあと再び彼女はヒット曲から見放されてしまいます。そして、歌手ではなくバラエティー番組やドラマに出演するなど、タレント、俳優としての活動が中心になってゆきます。中でも、松田優作の代表作のひとつ「家族ゲーム」での母親役として演技は、彼女の女優としての実力を証明することになりました。ここで彼女の歌手生命は終わったと思われていたかもしれません。

<再び童謡の世界へ>
 1980年代半ば、彼女は姉の安田祥子と再び歌手活動を再開。童謡のコンサートを全国各地で行うようになります。その活動は、童謡・唱歌のブームをもたらすことになりました。当時の二人のコンサートを僕も見ました。何度も昔聞いたことのある歌が、新鮮な魅力をもってよみがえり、観客の心を見事にとらえる素晴らしいコンサートでした。
 童謡歌手として歌手活動をスタートさせた彼女は、ここで再び童謡歌手にもどり、それで歌手人生を終えるのかもしれない。そう思われていました。ところが、彼女にはまだ新たなドラマの展開が待っていました。その物語は、遠く離れたアメリカ、ニューヨークにある小さな中古レコード店から始まります。

<世界のさおりへ>
 ある日、中古レコード店で何か面白いレコードはないかと探していた人物が、たまたま日本の女性歌手の写真が使用されたシングル・レコードを手にします。なんとなく彼はそのレコードに魅かれ、それを購入し聞いてみました。もちろん、それは由紀さおりの大ヒット「夜明けのスキャット」でした。そして、そのレコードを見つけたのが、アメリカの大御所ミュージシャン、ピンク・マルティーニでした。
 ジャズ・アンサンブルを率いていた彼は、さっそくその曲をカバーして自らのアルバムに収めます。すると、そのアルバムはアメリカの音楽界で高い評価を受けることになり、グラミー賞を受賞してしまいました。さっそく彼女はピンク・マルティーニ率いる楽団と共に海外各地でコンサートを行うことになります。彼女は2012年の紅白歌合戦にはピンク・マルティーニの楽団をバックに歌っています。こうして、「夜明けのスキャット」のオリジナルを歌っていた「サオリ・ユキ」は世界的なスターの仲間入りを果たすことになりました。
 童謡を歌うことで、国内で再評価された彼女は、40年前のヒット曲によって、今度は世界的な評価を受けることになったわけです。なんという人生!
 彼女の人生の輪はまたどこかで誰かとつながるのかもしれません。今度は、女優として?大人の歌手として?

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