ファッション界の帝王、美のために生きた日々 


- イヴ・サンローラン Yves Saint-Laurent -
<ファッション界の帝王>
 「ファッション界の帝王」と呼ばれたイヴ・サンローランのドキュメンタリー映画「イヴ・サンローラン」(2010年)を見ました。仕事柄、ファッションには興味がありますが、さすがにイヴ・サンローランとは縁がなく、あまり彼のことは知りませんでした。でも、彼の人生をこの映画で振り返ってみると、彼は20世紀を代表するファッション・デザイナーであると同時に60年代を代表するポップスターであり、ドラッグ・カルチャーにもどっぷり浸かったアーティストだったことがわかりました。そんな時代性を象徴するワンシーンが映画の中にありました。
 一人の若者がピアノを弾いていて、それを楽しそうにイヴ・サンローランが聴いています。そして、その隣には彼と同じように病的に色白で細身の眼鏡をかけた青年がいます。・・アンディ・ウォーホルです。そして、もう一度ピアノを弾いている若者をよく見ると・・・なんとそれはミック・ジャガーじゃないですか!
 イヴが彼のパートナーであるピエール・ベルジュと購入したモロッコ・マラケシュの別荘には、ミック・ジャガーらロ―リング・ストーンズのメンバーがひんぱんに訪れていたようです。1968年、ブライアン・ジョーンズはモロッコの音楽にはまり、それらの音を録音。それをもとにソロ・アルバム「ジュジューカ」の製作準備を進めています。同じようにレッドツェッペリンなど多くのロックバンドがモロッコから影響を受け、新しいロックのスタイルを生み出すことになります。(もちろんそこには、麻薬の使用によるサイケデリックな体験も含まれていましたが、・・・)
 この当時、彼は30歳ぐらいで、ミック・ジャガーよりは一回り年上でしたが、まだまだ若かった時期です。すでにブランドのトップに立ちプレッシャーを感じる毎日を生きていた彼はストーンズのメンバーやモデルたちと夜な夜なはめをはずしてストレスを発散していたようです。ロックとファッションの関係は、ロンドン・パンクにおけるブティック「セックス」とセックス・ピストルズの関係が有名ですが、この時代にも先端ファッションとロックの関係はあったのです。

<ディオールの後継者>
 イヴ・サンローラン Yves Saint-Laurent は、1936年8月1日当時フランス領だったアルジェリアのオランに生まれ、その後家族でパリに引っ越しています。早くからファッションに興味があった彼は、ファッション・デザインの学校に入学し17歳の時、国際羊毛事務局主催のデザイン・コンクールでカクテルドレスのデザインで最優秀賞を受賞しました。その後、学校を卒業すると18歳でクリスチャン・ディオールのデザイン事務所に採用され、デザイナーとして働き始めます。ところが、1957年にディオールが52歳という若さで心臓発作により急死してしまったため、急遽彼がディオールの後継者としてメゾンを引き継ぐことになってしまいます。
 まだ21歳という年齢では若すぎるという批判が多く、彼自身もそのプレッシャーに押しつぶされかかります。しかし、まだ若く怖いもの知らずだったことが幸いしたのか、彼は独自のデザインで新たな時代を切り開きます。
 1958年には、彼の代表作のひとつ「トラペーズ・ライン」のドレスを発表。少女的で斬新なファッションは、世界を驚かせました。(NHKの連続ドラマ「カーネーション」で主人公が、このデザインには批判的でした)
 1960年には、黒の皮ジャケットにタートルネック・セーターというストリート系ファッションを展開し、新たなスタイルを提案しています。ディオールの後継者として、彼の人生にはなんの生涯もないように見えました。ところが、ここで彼の人生を大きく狂わせる事件が起きてしまいます。

<戦場からの帰還と追放>
 1960年、彼は徴兵されアルジェリアに兵士として向かうことになります。1954年から始まっていたアルジェリア戦争は混沌とした状況にあり、多くの国民はその戦争に疑問を感じていました。なぜなら、当時アフリカの多くの国が次々に独立を果たしており、それは世界の流れとして必然的なものだったからです。フランスがアルジェリアの独立を阻止しようとするのは、時代錯誤も甚だしいと多くの人々は考えていました。そんな戦争に参加することになった彼は数カ月で本国に戻されてしまいます。しかし、その原因は彼が同性愛者だったことからきていました。
 今でもそうですが、同性愛者であることは軍隊内で認められることではありませんでした。そのことが明らかになったことで、彼は軍隊でいじめの対象になってしまったのです。そして彼はそのために神経衰弱になってしまいました。彼は兵役をはずされただけでなく、そのまま精神病院に入院し、そこで治療を受けることになりました。そして、この時の心の傷が生涯彼を苦しませ、麻薬やアルコールに溺れる重要な原因になったと思われます。
 やっと退院した彼をさらなる差別が待っていました。アルジェリア戦争を支持していたディオールのオーナーが、彼の戦場での不名誉ぶりに怒り、彼を首にしてしまったのです。ディオールのチーフ・デザイナーだったとはいえ、まだ20歳そこそこの若者で、なおかつ業界トップのオーナーに睨まれてしまった人物を雇うブランドはなく、当然、彼の将来は危機的な状況となります。
 しかし、ディオールの葬儀で知り合ったピエール・ベルジェが彼のために動き、アメリカ人の出資者を見つけてくれたことで、なんとか彼はオリジナル・ブランドの立ち上げに至ります。こうして、1962年、新ブランド「イヴ・サンローラン」が誕生することになりました。

<時代の先端をゆくブランド>
 小さな規模から始まった「イヴ・サンローラン」でしたが、彼のデザインはすぐに大衆の心をつかみます。彼のオリジナリティーに溢れたデザインは、それまでのオートクチュールの世界にはないものでした。その代表的作品ともいえるのが、1965年発表の「モンドリアン・ドレス」でしょう。最新の現代美術とファッションとのコラボレーションは、世界を驚かせ、「ポップ」と「ファッション」を見事に融合させることで商業的成功を収めることに成功します。
 ディオールのデザイナー時代からすでにプレタポルテ(既製服)の時代が来ることを予感していた彼は、1966年にはプレタのオリジナル・ショップ「リヴ・ゴーシュ」をスタートさせ、時代の先端を進みます。
 時代は「反体制」で「革命的」なファッションを求めており、彼はそんな若者たちの要求に答えるようなストリート・ファッションを提案して行きます。1968年発表のサファリ・ジャケットは、現在まで続くミリタリー・ファッションの原点となりました。1960年代、彼が提案するファッションは、自分と同じ若者たちに向けられたものだったといえます。(ちなみに、この時代に日本でサンローランを見事に着こなしていた数少ない女性の中に、あの作詞家の安井かずみがいました)

<プレッシャーとの闘い>
 彼が戦争で受けた心の傷は、けっして消えることがなかったようですが、それ以上に彼の精神を追い込んだのは、毎年、毎シーズンごとに行われるコレクションを成功させなければならないというプレッシャーでした。彼のパートナー、ピエール・ベルジュによると、イヴ・サンローランの心からの笑顔を見ることができたのは、年に2回、コレクションの最後に彼がランウェイに現れた時だけだったといいます。
 そうした状況で彼が薬物やアルコールにはまって行くのは必然だったのかもしれません。1970年代は、薬物が世界的に蔓延した時代でした。そんな薬物が自由に使用できる環境だったモロッコで彼はいよいよ彼は薬物に依存してゆうようになります。マラケシュの別荘でハイになった彼は、真夜中に一睡もしないでトルソーに衣装を着せ続け、夜が明けるとそこに様々なファッションに身を包んだトルソーが並んでいたといいます。それはかなり不気味な世界だったようです。
 一歩間違えれば彼もまたジミヘンやジャニスのように薬物によって命を落としていたかもしれません。しかし、幸いなことに彼には公私両方のパートナーだったピエールがいました。ビジネス面だけでなく、オフの時間帯においてもピエールがそばにいて彼を支え続けたおかげで彼は1970年代を生き延び、次なる時代へと向かうことができたといえます。(人によっては、金の玉子を産むイヴは、そのために生かされていたのだというかもしれませんが・・・)

<時代との共生と反発>
「彼は時代を感じることに敏感だった。しかし、そんな時代が嫌いだった」
 ピエールがそう語っているように、時代と共に変化するファッション業界もまた彼にとって居心地の良い世界ではなくなって行きました。
 1990年代に入り、彼は自ら薬物依存から脱却するための施設に入院します。そして、再び本格的にファッション界でデザイナーとして活躍することを目指します。ところが、ファッション業界は以前のようにデザイナーが自らの創造力が生み出した美を形にして競い合う世界ではなくなっていました。次なる「流行」は、業界人たちが集まる秘密の会議において、「色」や「デザイン」が決められるようになっていたのです。時代を冷静に見つめられるようになった彼にとって、それは皮肉なだけでなく、受け入れがたい状況でした。2002年、彼は突然の引退発表によりファッション業界だけでなくフランスをも去り、モロッコに移住します。
 2008年6月1日、彼は癌により71歳でこの世を去りました。

<美の追求、美の収集>
 彼が仕事を続けることができた心の支えに「美」の収集がありました。モンドリアンの作品をドレスのデザインに取り入れるなど、現代美術にも興味があった彼は、仕事で得た収入の多くを美術作品の購入に使っていました。ピエールと共にパリの街でお気に入りの美術品を見つけると、それを購入しパリの二人のマンションに飾る。これがもうひとつの生きる目的だったようです。ブランクーシ、モンドリアン、ドガなどの作品が所狭しと並ぶ、彼らの家はまるで「住める美術館」です。
 ドキュメンタリー映画「イヴ・サンローラン」は、ピエール・ベルジュのインタビューを通して、彼の人生を追いながら、ラストはこのマンションに集められた美術品の数々をオークションで売却することで終わりを迎えます。それらの美術品は、彼の「美」へのこだわりを示す品々であり、ファッションとは別に彼が残した大切な遺品だったのです。ファッション・ショー(コレクション)も美術品(コレクション)も、どちらも彼にとっては、重要な生きる目的だったのです。映画が、彼の葬儀で終わるのではなく美術品の競売で終わるのは、彼の集めた「美」が消える瞬間こそ、彼の魂の消える瞬間という意味が込められていたからかもしれません。

<マラケシュの風景>
 映画の後半部がフランス北部やパリの風景中心なのに対し、前半部ではモロッコの美しい風景が彼の青春時代とリンクして映し出されます。それは、「青春」「夏」「60年代」という暑い時代を象徴しています。彼の墓は、そのマラケシュにあるといいますから、生まれた土地であると同時に、その土地での良き思い出を彼は生涯忘れなかったのでしょう。
 生まれた土地であり、屈辱を受けた土地であり、青春を謳歌した土地でもあるモロッコは、彼にとってフランス以上に重要な意味を持っていたのでしょう。かつて彼とピエールはマラケシュを2月の寒い時期に初めて訪れ、ホテルの屋上から見たアトラス山脈の雪景色の美しさに感動し、すぐに近くにあった別荘を購入したといいます。
 思えば、僕がモロッコを旅したのも2月でした。同じようにマラケシュのジャマ・エルフナ広場に面するホテルに泊った僕は、その屋上で見たアトラス山脈の美しさに感動。
「ここで死んじゃっても、悔いはないかもなあ・・・」
そんなふうに思ったことをふと思い出しました。

<サンローランと色>
 日中は落ち着いた色が好きですね。パリの光は生き生きとした色と相性が良くないと思います。でも夜の女性には楽園の鳥であってほしいですが。
イヴ・サン=ローラン
 マラケシュの通りを歩いていたところ、曲がり角で男女のグループとすれ違ったのですが、彼らが着ているカフタンのバラ色、青色、緑色、紫色が混ざり合い・・・・・その色彩の上に光が見えたのです。その体験以後ですね、光と色彩に対してより敏感になったのは。すれ違った集団はまるで絵に描いて色を塗ったドラクロワのスケッチのようであり、それが単なる生活の一場面に過ぎないとは実に驚きです。
イヴ・サン=ローラン「ル・モンド」(1983年12月8日)「100語でわかる色彩」(著)アマンディン・ガリエンヌより


<参考>
ドキュメンタリー映画「イヴ・サンローラン」(2011年)
(監)(脚)ピエール・トレトン
(脚)イヴ・ギルー
(撮)レオ・アンスタン
(編)ドミニク・オーブレ
(音)コム・アギアレ
(出)イヴ・サンローラン、ピエール・ベルジェ

映画「イヴ・サンローラン」(2014年)
(監)(脚)ジャリル・レスペール
(製)ヤニック・ボノレ
(原)ロランス・ベナイム
(脚)マリー=ピエール・ユステ、ジャック・フィエスキ
(撮)トマス・ハードマイヤー
(衣)マデリーン・フォンテーヌ
(美)アリーヌ・ボネット
(音)イブラヒム・マールフ
(出)ピエール・ニネ、ギヨーム・ガリエンヌ、シャルロット・ルボン、ローラ・スメット
生涯のパートナーだったピエール・ベルジェとの関係を中心に描かれたサンローランの伝記映画
見どころは、やはり彼のメゾンのショー。モデルも衣装もカッコイイ!
LGBT映画を意識させない愛の映画であり、芸術に命を懸けた人間ドラマの印象が強いなかなかの力作です。
曲名  演奏 作曲  コメント 
「For One Moment」
「Staying In」 
Michel Pastre(Sax), John Betsch(Dr)
Jeff Hallam(BG), Philippe Milanta(Pia)
Brisa Roche やはりフランス映画にはジャズがはまります。 
「Lighthouse」  Patrick Watson Patrick Watson  
「On The Road」  The Bossmen  Dick Wagner   
「Looking For Love」  Chromaics John Padet  
「トスカ Tosca」  ジャコモ・プッチーニ
Giacomo Puccini 
1899年発表のオペラ
様々な映画で使用される代表作
「椿姫 La Traviata」    ジュゼッペ・ヴェルディ
Guiseppe Verdi
アレクサンドル・デュマの小説を基にしたオペラ
1853年発表 
「ワリ― La Wally」    アルフレード・カタラーニ
Alfredo Catalani 
1892年発表のイタリアのオペラ 
「Function Underground」    Leonard Michael Lenaburg   

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