「エロスの帝王」と言っても過言ではない男


- 村西とおる Toru Muranishi -
<話題の「全裸監督」>
 1980年代から1990年代にかけて、僕は大学、就職と東京、神奈川、埼玉に住んでいました。青春ど真ん中だった僕は、「人の二倍生きる」とばかりに仕事と遊びに駆け回っていたので、休日を家で過ごすことはまったくありませんでした。そのせいもあり、当時はほとんどテレビを見ることもなく、AVもお世話なる暇がほとんどありませんでした。
 2019年にネットフリックスでこの「全裸監督 村西とおる伝」がドラマ化されて話題になることがなければ、そのドラマの2シーズンのロケハンのスタッフの方と会うことがなければ、図書館にこの本がなければ、このページはできなかったかもしれません。話題のドラマ版も見たいのですが・・・そこまで時間の余裕はないので…考え中です。(だってネットフリックスを観始めるといよいよ時間がなくなりそうなので・・・)
 というわけで、遅ればせながら、ドラマの原作となった話題の書を読んでみました。700ページを越える分厚い本なのですが、一気に読めました。「エロ」、「グロ」、「ナンセンス」だけでなく「反権力」、「暴力」、「哲学」・・・時に可笑しくて、時に考えさせられて、時に身を乗り出して一気に読んでしまいました。
 特に新鮮だったのは、日本という国の新たな一面が見えてきたことです。
 科学技術大国日本、アニメ大国日本、グルメ大国日本、ゲーム大国日本・・・様々な顔を持つ日本のもう一つの顔。それは世界最先端のエロ大国でもあるということです。(いい悪いは別にして・・・)
 村西とおるという人物は、そんなエロ大国日本が急速に発展したバブル期をリードしたカリスマであり、バブルの崩壊と「昭和」の終わりを象徴する存在だったと言えます。
「前科7犯と借金50億円の男」という彼の有名な「キャッチ・フレーズ」は、そんな彼にぴったりの称号だったと言えます。
 思えば、1980年代、僕にとって新宿は、映画、芝居(紀伊国屋ホール)、ライブ(厚生年金会館など)、本(紀伊国屋など)、エル・ボラチョなど、文化と飲み食いの店・・・青春時代を過ごした街でした。同じように新宿を根城のように活動していた村西さんと、きっとどこかですれ違っていたように思います。
 そんな彼が関わった事件と作品、名言の数々を時代に沿って、選び出してみました。このサイトでは、今までも様々な側面から20世紀を振り返ってきましたが、これでまた新たな側面をこのサイトに追加できた気がします。村西さんに感謝します。

「ああ、素晴らしい。ナーイスだ」

<村西とおるができるまで>
1948年9月9日、後に村西とおるとして活躍する草野博美が福島県平市で生まれる。
1966年 両親が離婚。このことは彼の心に深い傷となって残ることになり、その後の人生やAV作品にも影響を与えることになります。
1967年 福島県立旬来工業高校機械科を卒業後、池袋のBAR「どん底」でボーイとして働き始め、セックス・コンテストに出場。州に12人の女性とセックス。
1969年 千葉県柏市のBARで働き出し、1歳年下のエレベーター・ガールと結婚。
1970年 父親となる。グロリア・インターナショナル日本支社に入社。英会話教材、百科事典へとトップ・セールスマンとなる。(月収150万越えも)
1971年 仕事に熱中し家庭をかえりみないと妻に愛想をつかされ離婚。
1972年 札幌で英会話学校「札幌イングリッシュ・コンパニオン」を開校。
1973年 英会話学校の秘書と再婚。
1974年 講師に不法就労の外国人を雇用していたことが問題となり、学校を閉鎖。
1978年 インベーダーゲーム・ブームに便乗し、業務用ゲーム機の設置・販売を開始。道内の自衛隊基地などで大儲け。
1980年 道内を拠点にビニ本、裏本の製作開始。その販売のため「北大神田書店」グループを設立し、道内48店舗で販売。
東京を中心に「ノーパン喫茶」がブームとなる
1981年 原価200円の裏本を1万円で販売し、20億円の利益を上げる。
1982年 「ビニ本・裏本の帝王」とい呼ばれ、市場の70%を独占。「新英出版」を立ち上げ出版事業に進出。
裏ビデオ「洗濯屋ケンちゃん」が大ヒット。田口ゆかりが大人気となる
1983年 自ら写真誌「スクランブル」創刊(編集長は本橋信宏)するが10号で廃刊。
      米国のポルの女優アネット・ヘブンを招き「アネット・ヘブンのOH!歌麿」発売。
アテナ映像、九鬼(KUKI)がAV参入
ビデオ情報誌「ビデオ・ザ・ワールド」が白夜書房から発刊
ビデオ倫理審査委員会の年間調査本数が1000本を突破。AVメーカーも50社を越える
1984年 裏本のわいせつ図画販売の罪で逮捕され(前科1犯)財産を失う。クリスタル映像でAV制作を開始し、監督名を「村西とおる」とする。
美少女系女優を売りに宇宙企画がブームとなる

<村西とおるの誘惑>
 彼の成功は彼が持つ話術とカリスマ性なしにはあり得なかったと言えます。彼のすべてはそこにあるといっても過言ではないのです。しかし、その話術の力は当初、彼が口説いた女性たちにしか理解されていませんでした。

「ああ…君はなんてすてきなんだ。美しい、美しすぎる、美しすぎるといっても過言ではないだろう!ファーンタスティーク!」

 村西作品は売行き好調だったが、当初村西とおるの語りは嫌悪感をもって否定された。他人を子馬鹿にしたようなハイトーンの声と口調。ファンタ―スティック、ゴージャス、ナイスといった日本人ですら時代錯誤を感じ口にしない英単語を臆面もなく口にする軽薄な会話。詐欺師のような流暢すぎる話芸。うさん臭さ満載の話術。
 セックスというもっとも笑いの少ない場面でのことゆえ、ギャグを加味した話術は激しく拒絶されたのだった。
(本書より)

「今あなたみたいな素敵な女性と出会えるなんて思わなかった。マネージャーも粋な計らいするねえ。ナイスですね。で、さっそくですが、きょうまず私が提案したいのは、ビデオの話なんですね。うーん、素晴らしいね。こんなファンタスティックなスタイルはいまだかつて見たことがありません。・・・」

「・・・あなたの素晴らしい肉体はご両親からいただいたもの、ご両親があなたを生み育てたからなんです。あなたはまずお父さんお母さんに感謝してください。わかりましたね。あなたの努力はその後なんです。これからなんですね」

「まず私を信じなさい。あなたの人生をね、これから歩んで行くにあたって、けっして私と一緒に関わったことはあなたにマイナスになりませんよ。・・・
 そのへんのくだらないチンケな男のオンナだけになって、その男に寄りかかって、その男に命乞いしながら一生を生きていくような人生、そんな誰の誰ベ―のオンナみたいな人生はやめましょう。あなただけのあなたのための人生を歩んだらどうですか。一度世間に試してみたらどうですか。一度しかない人生に巡ってきたチャンスに賭けてみたらどうですか。神様はそういうことをあなたに命じて私と会わせているんですよ。神様の思し召しのままに生きなさい」


 主演女優たちは、最初のうちは村西とおるに警戒感をもっているが、奇妙な言葉を投げかけられているうち、村西言語が伝染し、自らも「ナイスすぎる」と答えてしまう。村西言語帝国の完全支配下におかれた女たちは自身の言語も破壊され、村西王国の住人になってしまうのであった。
(本書より)

<村西とおる黄金時代>
 1980年代半ば、時代はバブルまっただ中になろうとしていました。村西とおるは、そんな時代の波に乗るように黄金時代に突入します。
<1985年>

東京都内に初のブルセラ・ショップ登場
裏ビデオ、ビニ本の摘発が急増。アダルト・マーケットの主流はAVへと移行し、レンタル・ビデオ店が1万店突破
 立山ひとみ「恥辱の女」が「ヴィデオ・ザ・ワールド」の評価で年間1位に選ばれる。
 ハワイ・ロケで、セスナでの上空SEXを敢行。
 デンマークでの歩行者天国での駅弁SEXなどを敢行。

<1986年>
人気アイドル歌手岡田有希子投身自殺
元祖AVクイーン小林ひとみがブームとなり「AV女優」という言葉が一般化
 海外ハードコア作品を税関審査を経ずに輸入。関税定率法違反の罪で摘発される。(前科2犯)
 17歳の少女を出演させていたことが明らかになり、児童福祉法違反で逮捕される。(前科3犯)

 黒木香「SMぽいの好き」でデビューし、大ブレイク。AV出身の女優として初めて、テレビなどマスコミ界の兆児となりました。彼女によって、AVは男性主導の性のドラマだけではなく、女性がリードするドラマもあり得ることが証明されました。
「日活ロマンポルノじゃできなかったですよ。日活ロマンポルノがどうのこうのっていうけどね、あれはね、エロを単なる暴行だとか強姦だとか犯罪的なスタンスでしか描くことができなかった。女性と一対一で相まぐわう、はたし合う、拮抗するという、そういう世界で世の中に送り出したその嚆矢となったのは『SMぽいの好き』ですよ。それまでは、あんなこと女性がするとは思わなかったですよ。あの作品は日本の性文化を変えた作品となった。こういうことやっていい人だということを、世の人たちが覚醒した作品だったね。女性もこんなふうに奔放に、どすけべに、やりたいことやって、すけべなこと言って、のたうちまわって、アタックかけていってもいいんだということを見せた。そういう新しいファンタジーが生まれたのが『SMぽいの好き』ですよ。・・・」

 彼の仕事が黄金時代を迎えることは、その反対勢力である警察・検察が彼を見逃せなくなっていたことでもあります。そして、その動きは国内だけにとどまらず、海外までも広がっていました。
 12月、ハワイでの撮影中FBIに逮捕される。そして懲役370年を求刑されます。国内では何とかそれまで実刑を免れてきましたが、いよいよ絶体絶命のピンチとなりました。

<1987年>
 1億円を支払うことで司法取引が成立します。そして無事にハワイから帰国。結局、アメリカの司法界では金が力を持つのかもしれません。
 自叙伝「ナイスですね」出版。
 「顔面シャワー」、「駅弁ファック」、「ハメ撮り」など独自のスタイル、命名が受け「アダルトビデオの帝王」と呼ばれるようになります。いよいよ彼は「エロス」の時代の象徴となりました。そんな彼によると「エロス」とは?
<エロスの原点>
・・・スケベというのは、性器それ自体ではなく、人間の頭のなかで考えることなんですよ。エロチシズムにおいては、生と死というものが対極にある。生と死の持つ、希望と絶望。この心の揺れ幅がエロスなんです。振れ幅によって、ドキドキハラハラ、感動する、興奮するということ。エロスとは心の落差なんですね。
 ひざとひざの間の部分。それ自体を見ても、実は何も感じないんです。それが、「お嬢様のようなあの方のものだ」と想起した時に、興奮するんですよ。「誰々のもの」という所有者のイメージがないと、性器それ自体は何も物語たないんですね。人の心を揺さぶらない。・・・


 エロスというのはファンタジーなんですね。非現実的な世界。私たちが日常生活をしていて、こんな世界があったらいいな、こんなシチュエーションだったらもっと興奮するだろうな、と思いながらもう思うに任せないものをご提案し、ご提供するのが、私どもAV業界の存在意義なんですね。

<1988年>
 「トシちゃんと金沢の一夜」騒動勃発。
 トシちゃん(田原俊彦)の追っかけだった梶原恭子の実話に基づいた「ありがとうトシちゃん」発売。ここから、田原俊彦が所属するジャニーズ事務所とのバトルが始まります。それは芸能界に怖い者のない村西だからこそ可能な戦でした。
「ハーイ!こちらはジャニーズ事務所マル秘情報探偵局です!探偵局では今、ジャニーズ事務所に関するあらゆる情報を集めています。ナイスな情報を教えてくれたきみに、千円から一千万円までの賞金をお贈りいたします。さあ、思い切ってきみだけが知っているジャニーズ事務所に関する情報、ぜひ話してください。・・・」
ジャニーズのスキャンダルを暴露しようと始められた電話での情報受付案内より

 17歳の少女をAVに出演させたとして児童福祉法違反で再び逮捕される。(前科5犯)
 クリスタル映像を退社し、「ダイヤモンド映像」を設立。
 日本ナイス党から総選挙に出馬することを表明。その直後、16歳の少女をAVに出演させたとして再び逮捕されます。(前科6犯)

<なぜ実刑を免れ続けたのか?>
 彼は、日本国内で結局7回逮捕されていますが、最後まで実刑を免れ続けました。検察内部でも、なぜ彼を実刑にできなかったのか疑問の声がありました。それにはやはり裏があったようです。

「向こうもおれをAV監督として知り合って、一緒に飯を食いましょうということでときどき会ってたんだよ。現金のやりとり?それはない。一緒に飯を食ったり、中島みゆきのチケットとってやった程度ですよ。おれも紹介されたとき、検察ってこれはすごいなと思った。弁護士なんかに気を遣うよりも検察に気を遣ったほうがいいよ。世間的には、あの連続三回も立て続けに捕まって、何で実刑に行かなかったのかなって思うかも知れないけど、そういうことがあったのよ。検察も人の子だよ。こっちはわいせつ罪というものに対する罪の意識がないから。またあの検事さんも、殺人みたいな被害者がいる事件は別だけど、『この程度のものに』という現実的な、生活者としての認識はあったと思うよ。それじゃなきゃそんな大岡裁きみたいなものはあり得ないよ。これは微妙なことだけど事実だから」
戦後最強の検事と呼ばれた大物検事との関係について

<1989年(平成元年)>
日経平均株価が3万8915円に達し、バブルがピークとなる。
 事件を起こし芸能界(ジャニーズ事務所)を去った北公次(元フォーリーヴス)をマジシャンとして復活させる計画を進める。
 松坂季実子「でっかーいの、めっけ!」でAVデビュー。巨乳ブームが始まり、ダイヤモンド映像は年商100億円突破!

「やっぱりエロティシズムというのはコントラストですね。着物姿が気品があって、知性もある、よんどころなきご家庭に生まれたような雅やかな女性がいざセックスのときに乱れまくる。そのコントラストですよね。・・・」

<1990年>
 田中露央沙「24時間立てられますか」でデビュー。
 野坂なつみ「埼玉エマニュエル夫人」でデビュー。メガネをはずさないAV女優として話題になる。
 卑弥呼「大和撫子タマの腰」でデビュー。元ミス日本・東京代表のAV出演が話題となる。
 乃木真利子「涙が流れるほど良かったから一生忘れない」でデビュー。後に村西と結婚することになる女優。
 衛星放送事業への進出を目指し、ダイヤモンド衛星通信を設立。

「女ってみんな上手な嘘をつくんですよ。だから演技がうまい。嘘がヘタな女なんて一人もいないよ。ワハハハ。
ところが世間の監督というのは手取り足取り変な演出してしまうんだね。・・・」
「映像は一発勝負。そのときしか撮れない。だから物事にものすごく集中しているんだよ。将棋の羽生名人のように三十手先をよんでいないと、いい映像が撮れない。二手三手でもたもたしてるとついこっちも手が出るんだ。真剣勝負の場だから」


 多くの女性たちが出演した理由は、現金攻勢もあるだろうが、もっと根幹的なものがあった。
 
それは「情熱」であろう。
 
これだけ自分に情熱を込めて語りかける男はいない。恋人、ボーイフレンド、あるいは両親よりも情熱を込めて話してくれる。そう思うと、女は心を開く。
(本文より)

<1991年>

この年、4月にバブルが崩壊します。5月には後にバブルの象徴と呼ばれる「ジュリアナ東京」がオープンします。
篠山紀信が「Santa Fe / 宮沢りえ」を発表。事実上のヘア解禁となる。
 ダイヤモンド映像が経営不振により東京地裁に和議を申請。

<1992年>
テレビ東京の深夜番組「ギルガメッシュないと」で飯島愛、憂木瞳がブレイク。AV女優がテレビ界でも人気となれる時代となりました。
ダイヤモンド映像が倒産報道。
銀行取引停止処分が発表され倒産決定。負債総額は50億円。

「・・・二回、自己破産、銀行から勧められたよ。東京地裁史上初だって。自分から自己破産二回も断ったやつは。『どうして破産したくないんですか?』って不思議そうに聞いてきたよ。普通は二億三億で破産するのに。不良債権を明確にしないと自己破産を勧めてくるんだよ。・・・」

<1993年>
全国展開のセルビデオチェーン「ビデオ安売王」がブームとなる。
 借金返済のため、海外用薄消しビデオを手がけ2年で700本を制作。

<1994年>
コギャル・ブーム
 黒木香転落事故(人気を失いアルコールに溺れていたようです)
 野坂なつみが野村義雄と結婚
 ビデオ安売王と組みAV界に復帰「帰ってきたハメ撮りの帝王」
 乃木真梨子と3度目の結婚
 衛星放送「ダイヤモンド・チャンネル」放送スタート

<1995年>
高橋がなりが「ソフト・オン・デマンド」設立
 新宿歌舞伎町にショーパブ「スペースD」をオープンさせるがすぐに閉店してしまいます。

<1996年>
ビデオ安売王の日本ビデオ販売が倒産
 初のアダルトDVDの制作・販売開始

<1997年>
 克美しげるの復活のための映画「愛が泣いている さすらい」の脚本・監督を担当。

<1998年>
レンタル系AVとインディーズのセル販売が拮抗し、AVの境界線が消える。
 再び職業安定法違反で逮捕される。(前科7犯)

<1999年>
児童買春ポルノ処罰法施行開始
 新宿で蕎麦屋を開店するが失敗。

<2000年>
飯島愛「プラトニック・セックス」がベストセラーとなる。
 バイブレーター「どかーんとナイス」が発売。

<2001年>
 息子が超名門私立小学校の入試に合格。

<2006年>
 この時代の人気監督バクシーシ山下の「M(ムラニシ)ドラッグ」にAV男優として出演。

<2011年>
 四谷に事務所を移転し、中国市場を新たな活動拠点と設定した活動開始。彼は日本のAVがいかに世界的に優れたものであるのかを熱く語っています。

「日本人に対するリスペクトというものを勝ち得ているのは日本のAVのおかげだ。いまや日本製AVのDVDは20億枚、30億枚といわれているほど中国全土に普及しているから、中国の夜はみんなジャパンナイトなんだ。・・・」
「今年だけでも500万人の中国人が日本に来るでしょ。その多くは日本のAVのおかげなんです。中国当局がいかに反日を唱えようとも、中国人民は日本のAVを見て勃って、日本人は凄い!日本人は素晴らしい!なんですよ。AVで日本語を学びますという学習姿勢、いやほんとなんだよ。・・・」

 巨乳じゃないと興奮しない。背が高い方がいい、低い方がいい、暴力的な女性がいい。日本のAVは、あらゆるジャンルを網羅しています。あるいは、40,50,60代のおばさまがいいだとかね。世界のAV業界で、50,60代が我が世の春を謳歌しているなんて、ほかにありません。最近では、多くの女性たちもネットでAVを視聴しています。
 制約がない。人の性の好みに、倫理のタガをはめない。道徳の縛りをしない。そういう自由さが日本にはありますね。


中国で開催されたAVイベントと参加した日本の女優たちについて
「日本のAV女優はカメラの前でベロっと舐めながらニコッとえもいわれぬような微笑みのポーズができるんだけど、中国人はできないんだよ。これぞ日本のAV女優。この存在感、これを中国14億市場のなかでプロモーションしていければ、大きなビッグ・ビジネスになりますよ。・・・」

<2012年>
 心臓の病で緊急入院するも奇跡的に回復。

人間は永遠の存在なんかじゃない。だから生きている限り、生を貧るんだ。神様もそういうバランスをもってエロスを提供してくれたんだろうっていうのが、僕のエロスに関する考えなんだ。なぜ性欲があるかっていったら、死ぬから。なぜ欲しいかっていうと、死ぬから。なぜ女を美しいと思うのかというと、死ぬから。死があってこそ、性のたぎりがある、その究極がエロスだろうと、ね。だから生きるんだよ。永遠なってくそ食らえだよ。

<2013年>
「ビデオ・ザ・ワールド」が休刊
DVDからダウンロードの時代へ


<2014年>
 高槻彰監督のドキュメンタリー映画「ナイスですね 村西とおる」が初披露される(未完成)

<2016年>
本書「全裸監督 村西とおる伝」出版

<2019年>
ネットフリックスの連続ドラマ「全裸監督」(主演は山田孝之)放送。

AV界のライバル的存在だった代々木忠監督の言葉(2011年)
 村西とおると僕には共通項がある。それを一言で表現するなら『狂気』であろう。僕の狂気は、これまでの生い立ちゆえか、自分でも気づかぬところで自然発生的に起きてくる。一方、村西は、知り尽くしたうえで狂気を演じている。だから凄いのである。
 これまで僕は、ビデオに出演する女の子の内側に内側に入っていこうとした。今にして思えば、内側を覗こうとするがあまり常識を超えたこともある。それに対して村西は、外側へ外側へと自らがパフォーマンスしていった。「ナイスですね」という村西トークをはじめ「ハメ撮り」「駅弁ファック」「顔面シャワー」など、彼が発した言葉やパフォーマンスは、男優・監督に多大な影響を与えたのだ。・・・


「全裸監督 村西とおる伝」 2016年
(著)本橋信宏
太田出版 

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