「ゾルゲ 破滅のフーガ L'insense」

- リヒャルト・ゾルゲ & モルガン・スポルテス -

<異色のゾルゲ伝説>
 この作品は、ゾルゲ事件の実録小説としてではなく、太平洋戦争前夜の東京を舞台にしたフィルム・ノワールを見ている感覚で読むべきダークな時代小説です。さらにいうなら、ウィーンを舞台にした名作「第三の男」のハリー・ライムを思わせる謎に満ちた人物リヒャルト・ゾルゲ。この伝説的な人物の魅力を前面に押し出した驚くべき異人伝として読むのもいいでしょう。共産主義者であり、ナチであり、日本の理解者であり、アルコール中毒者であり、記者であり、二重スパイであり、多くの女性たちに愛された伊達男であり、第二次世界大戦後の世界を予見した預言者でもあった人物。どれもがロシア生まれのドイツ人、リヒャルト・ゾルゲの顔でした。しかし、彼の本当の顔はいったいどれだったのか?本物のゾルゲを知る人物はいたのか?様々なドキュメンタリーや映画によって取り上げられてきた「ゾルゲ事件」を客観的な視点ではなく、ゾルゲ自身の体験した出来事を本人の主観的な視点から描いた異色の小説。それがこの小説です。
 この作品を読む読者は日本人が知ることのなかった1930年代末の帝都の裏側を大物ドイツ人スパイの目で体感することになります。これはドキュメンタリーやノンフィクション作品では不可能な「小説」ならではの体験といえます。

<ゾルゲ来日から>
 1933年9月6日、リヒャルト・ゾルゲはドイツの通信社から派遣された記者として横浜に到着しました。この年、ソ連ではスターリンによる党内の大規模な粛清が行われています。このとき、日本とドイツは国際連盟を脱退。孤立した両国は第二次世界大戦への道を歩み始めます。1935年、スターリンはトロツキー亡命後、最大の政敵だったジノヴィエフらを逮捕。翌1936年には彼を含め16名の政治犯を処刑し、いよいよ独裁政権が固まります。
 同じ頃、1934年にはドイツでアドルフ・ヒトラーが総統兼首相に就任。彼もまた独裁体制を固め、ユダヤ人の排斥とヨーロッパ全土への侵攻に向けた準備を開始します。そのため、ヨーロッパを挟んで対峙するソ連との対立が深まり、同じ立場にある日本との共闘を模索。こうして、1936年にちどく防共協定が成立します。対ソ連の枠組みをつくった日本は翌1937年7月中国への侵略を本格的に開始します。
 同じ1937年、スターリンによる独裁体制がソ連国内でより強まる中、対抗勢力側に属していた彼はモスクワへの一時帰国命令を受けます。もし、この時彼は召還に応じて帰国していたら、彼は任務を解かれただけでなくシベリア送りになっていたはずです。(彼の妻はシベリアに送られ、そこで死んでいます)しかし、彼は召還に応じることなく任務を続行し続けました。もちろん、彼をソ連軍が逮捕することも可能でしたが、彼から得られる情報の価値を考えた時、彼を泳がせ、働かせておいた方がよい。そうソ連側は考えていたようです。
 この小説は、1938年に彼が飲酒運転によるオートバイ事故で命を失いかけたあたりから始まります。(ちなみに、オートバイ事故による自殺、もしくは大怪我というと、アラビアのロレンスこと、T・E・ロレンスの死、それにボブ・ディランと北野武の大怪我などがありました)

<帝都に暗躍したカリスマ・ヒーロー>
 日本における彼のカリスマ・ヒーローぶりは、交通事故で彼が入院していた時の見舞い客からも明らかでした。

・・・『ジャパン・タイムズ』が事故を記事にしたのだろうか?全東京がヘル・ドクトール(ゾルゲの愛称)の病床に駆けつける、記者、軍人、外交官、芸術家、ドイツ人、日本人、フランス人、アメリカ人、ご婦人連、バーの女給、商売女、最新の話題のタネになるのだ。それぞれが持ち込む花々で足の踏み場もない。

 単なる通信社の記者ではなく、ドイツ側の裏事情を知る情報通として、ドイツ、日本に様々なパイプを持つ彼のまわりには、記者だけでなく軍人、政治家、外交官が国籍の別なく集まり、湯水のごとく使う札束とその男性的な魅力はこれまた国籍や宗教の別なく多くの女性たちを彼の周りに集めていました。
 1930年代末の「東京」を代表するカリスマ・ヒーローが彼でしたが、それは彼の一つの顔にすぎませんでした。彼には、母国ドイツではなく、もうひとつ母親の母国ソ連政府から重要な任務が与えられていました。

「ソビエト連邦に対する、日本の攻撃の可能性に関し、あらゆる情報を報告すること」
モスクワにおいてヤンカルロヴィッチ・ベルジン将軍からの指令

 彼は表の顔はドイツの大手通信社に雇われたフリーの記者でしたが、ドイツに日本の情報を流すスパイとしての仕事も行っていました。しかし、それもまた表の顔であり、実際はそうしたドイツのスパイでもなく、生まれた国であり、彼が信じる共産主義国家ソ連のスパイだったのです。ではなぜ、彼はナチズムではなくコミュニズムを選んだのでしょうか?
 彼の父親は技術者として、ソ連のバクーで石油採掘のプロジェクトに参加していて、そこでロシア人女性と結婚。その後、彼は銀行家として成功を収めました。こうして、ドイツ人の父親のもとで生まれ育つことになった彼は、ドイツ人として育てられ、第一次世界大戦にドイツ軍の兵士として出征し、負傷します。この入院中、彼は看護師のユダヤ人女性からマルクス、エンゲルス、レーニンらの著作をを借り、コミュニズムを知ります。 

・・・資本主義はアナーキーな機械である。プロレタリアから搾り取っても、国内市場を実質的に開発することができず、したがって、いつも新たな捌け口を探さねばならない、それが価格の崩壊を招く可能性もある、そして新たな仕入れ先もだ、つまり絶えず地理的空間を拡大せねばならない、植民地を、そして、これら帝国主義間での利害の不一致が戦争だ、このシステムに不可欠なガス抜きの栓というわけだ。「資本はわが身に戦争をまとっている、大きな雲が嵐を抱えるように!」プロレタリアによる資本の剥奪のみが、このアナーキーを排除することを可能にする、すなわち戦争を。

 こうして、資本主義のもつ本質的な欠陥を知った彼は共産党に入党。彼にとっての戦争は、その後すべて「平和」を実現するための必要悪となります。

 ヘル・ドクトールは赤軍第四部の所属だ。第一次大戦で奇跡的に生き残り、三度負傷し、20歳で鉄十字勲章を与えられたが、精神的に打ちのめされた結果、肉体的には、戦争をなくすことを自分に誓ったのだ、「戦争に戦争を仕掛ける」こと、非情な戦いに挑むことを!

 その後、大学で政治経済学を学んだ彼は、ワイマール共和国時代に多くの左翼系インテリたちと知り合い、世界各地での革命を目指して、1919年に創成されたコミンテルン(第三インターナショナル)に参加します。
 こうしてドイツ国内で革命のために働きだした彼ですが、結局ドイツ国内での左翼運動は挫折してしまい、その反対勢力だったナチ党がドイツ全土を支配することになります。ここで彼は自らの判断で最も効果的な革命活動として新たな活動への道を歩み始めます。
 モスクワに向かった彼は、そこでソ連の国籍とロシア共産党の党員証を入手。そしてソ連の赤軍第四本部の所属となった彼は、1930年に中国へとわたり、そこでスパイ活動を開始します。そして、1933年にはドイツ人記者として日本に入国。ドイツと日本の内政情報をモスクワに伝えるスパイとしての活動を始めたのでした。そして、それは孤独な戦いであり、死を覚悟の上の勝利なき戦いでもありました。

「きずなを作ってはいけない、ブランコ、きみがやり、我々がやっているようなことを推し進めるには、雇い主もない、色恋もない、自分の死が配偶者だよ、そしてそれが我々の救済だ、生きるために死を伴侶とする、選択肢があると思っているのかね?そこにこそ我々の解放がある、我々は兵卒なのだ、戦争が近づいている、我々は勝利者でしか終わることができないのだ!」

 日本、ソ連、ドイツ、どの国にとっても、彼は危険な存在でした。そして、彼がスパイかもしれないということは、いつの間にか多くの人の知るところとなります。にも関わらず、日本での彼の活躍は続きます。なぜなら、どの国にとっても、彼の存在は功罪相半ばするものだったからです。いつの間にか、彼が誰のために何をスパイしているのか?そのことはどうでもよくなってゆきます。世界の混沌とした状況が続く中、敵か味方かということよりも、情報が正確かどうかの方が大きな価値をもつことになり、彼はそんな情報戦略作戦における英雄として、アンタッチャブルな存在になっていたのでした。

・・・彼は若い頃に共産主義であったらしい?それで、それがどうだというのか?多くのナチ党員がそうであったではないか!もし仮に、ヘル・ドクトールがスターリンのスパイであったとしても、彼が提供する情報が重要でなくなるわけでもあるまい!やらなければいけないことは、それらの情報を厳正に検証すること、決定的局面において偽情報をつかまされないようにすることだった。それに、彼が二重スパイであろうがなかろうが、ヘル・ドクトールは、過去一度としてナチ・ドイツを欺いたことがない・・・

 しかし、彼がなぜそこまでの英雄となりえたのか?
 それは彼がスパイとしていくつもの顔を持っていたのと同じように人間として多くの人々をひきつける様々な魅力を持ち合わせていたからかもしれません。

「・・・彼の記事、それに彼の話は我々にとって貴重なのだ。彼の私生活のことだが、ヘル・ドクトールは道楽者さ、ボヘミアンだな。風紀乱れたワイマール共和国風の雰囲気をいまだに守っている。一種の老いた学生とでも言ったらいいかな」
ヴァルター・ヴァイゼ(通信社支社長)

 反ナチの思想をもつドイツにとって、ヒトラーを平気で批判する彼の考え方は、危険ではあっても英雄的に見える存在でした。ドイツからはるか離れた土地で反ナチの考え方を隠し持つドイツ人は多く、彼の友人でもあったドイツ大使エーリッヒ・アイスラーは彼がコミュニスト側のスパイであることを薄々知っており、なんとか彼をそこから救い出そうと考え、ドイツ大使のもとで働くようすすめます。

「きみは『フランクフルター・ツァイトゥング』の正社員ではない、と確か言っていたね・・・一本一本で支払われ、安賃金だと。『フランクフルター・ツァイトゥング』は確かに立派な名刺にはなる、が、あそこがくれるわずかな金でどうやって暮らすのかね?わたしは、どうやってきみが生活しているのか、不思議に思っている」

エーリッヒ・アイスラー(ドイツ大使)

 日本人の水商売の女性だけでなく、在日外国人の女性たちの多くからも愛された彼は「ミスタートーキョー」ともいえる存在で、東京の裏の顔を知りつくした男でもありました。

「浅草、玉の井、吉原の遅い時間、深夜、警官どもがいびきをかくか、女を抱いている時間になると、東京で大騒ぎのできる最後の界隈になる、まだ若干の新鮮な風が吹いているからな」ヘル・ドクトールが答えた、「おれは、息苦しくなるとここへ息抜きに来る!日本ではこのどん底社会が何世紀も前から、自由の避難所なのだ」

 多くの外国人が彼の案内で夜の東京をまわり、「日本」と「東京」のもつ不思議な魅力を知ることになりました。しかし、彼のもつ最大の魅力はそうした「遊び人」としての魅力ではなく、彼が様々な情報から作り上げた未来のヴィジョンの魅力にあったのかもしれません。彼は自らの政治的立場とは関係なく、その壮大なヴィジョンを垣間見せることで、多くの人々の心をとらえていたのです。

日本共産党の依頼による珠子の回想より(ゾルゲが愛した日本人女性)
・・・世界は二つの陣営に分かれるだろう、アメリカ帝国主義対ロシア共産主義だ。中国、朝鮮、インドシナで共産党が勝利する・・・あらゆる秩序がひっくり返るのだ。アメリカの勝利は一時的なものに過ぎない。前代未聞の黒人対白人の人種間戦争が、階級闘争の激しさを更に過熱させるだろう。血が流れる!革命が合衆国の主となって、エンパイア・ステート・ビルディングに赤旗が翻るのに、彼は30年要しないと言ったのです・・・日本はその渦巻きに巻き込まれる、日本が共産主義になる!


 彼の予言はかなりの確率で未来を予見していました。そして、彼はモスクワに対し、「情報」によって大いなる貢献をなしとげます。それは、1941年に始まったドイツのソ連侵攻において、どんな新兵器よりも、どの部隊よりも、大きな役割を果たします。
 当時、ソ連はドイツがモスクワへ向かって侵攻してくる中、その反対側で対峙する日本が同じようにソ連国内に侵攻してくることを恐れていました。そのため、ソ連の軍隊はヨーロッパ側とアジア側、両方に人員、兵器を分けなければなりませんでした。
 しかし、もし日本がソ連への侵攻を考えていないとしたら?ソ連軍はアジア側の兵力を大幅に削減し、対独戦線に振り向けることが可能になるのです。そして、ゾルゲはそのことをスパイ活動によって確認することに成功したのでうs。

「もし東方が攻撃されないと確信を持てれば、西に赤軍の精鋭部隊、空軍、最新の戦車、強力な砲兵隊を集中できる。冬が近い、ソ連では九月に冬だ。ヒトラーは、ロシアの広大なステップに取り込まれ、散り散りになり、湿地帯で泥沼にはまっている日本軍のようにだ・・・・
 ノモンハンの日本軍がそうだったようにだよ、ハッハー、ドイツ部隊は粉砕され、駆逐される、すると共産主義の前進を阻むことはできなくなり、赤軍がヨーロッパ、世界に押し寄せるのだ!世界共和国の実現だ!そして、これはわたしの、ヘル・ドクトールのおかげなんだ」


 しかし、なぜ日本はドイツとの戦闘に苦しんでいるソ連を攻撃しようとしなかったのか?その原因についても彼は調査を行い、より強い確証を得ました。
 それは日本が北方ではなく南方を目指さなければならない明確な理由があったからです。

・・・必然的なアメリカとの戦争に突入する、それ以外の選択肢を持っていない、との確信を荒木に抱かせるに至った「極秘」情報をヘル・ドクトールは入手した、爆撃を避けるため地下貯蔵庫で大切に保管されている石油在庫量は、海軍用に800万トン、陸軍用に200万トン、民間センター用に200万トン、それぞれ2年間分、6か月分、6か月分あった。その意味するところは、アメリカによる凍結が完全であることから、6ヵ月後に、日本の国民生活、工業、通信が絶対的に麻痺するというものである。それには迅速な勝利が必要だった。・・・最悪の場合、日本はロシアを攻撃することも可能であった、もし赤軍が屈服しているのであれば。しかし、・・・・・

 さらに彼は、そうした日本軍の南方への展開の具体的な動きについても情報を得ていました。

・・・幾多の積み重ねられた情報が、シベリア国境の満州前線に配置されていた30個師団が、少し南部に移動したことを示していた。冬ごもりするためにだ・・・したがって、それはソ連に害を及ばせる多数の部隊(40万人)は日本に留まっており、その大部分に「夏の軍服」、更に正確に言うならば、熱帯向けの半ズボンと幅広ズボンが支給されていた。・・・

 よくぞそうした日本軍内の極秘事項までも入手できたものですが、それにはやはり軍内部の日本人の協力がありました。日本軍内部にも多くのコミュニストがおり、その中にかなりの上層部にまで潜入していた人物がいたようです。ゾルゲ逮捕のきっかけとなったのは、そうした日本人協力者の逮捕でした。

 1944年11月7日、スパイ容疑で逮捕されていた彼は日本で絞首刑になりました。死の間際には、コミュニズムへの忠誠を誓っていた彼ですが、その夢は今のところ実現することはなく、逆に後退を余儀なくされています。
 世界を平和にできるのは、プロレタリアートによる革命であり、資本主義を終わらせることしかない。そう考えた彼の信念に基づくスパイ活動は、自らの命と引き換えに見事に成功を収め、ソ連はドイツとの戦闘でかろうじて勝利を収め、もうすこしで日本を支配するところまで迫りました。しかし、彼の予見は実現に迫るものの、共産主義陣営はその方向性を見失い、1980年代の終わりにソ連が崩壊することによって永遠に崩れ去ることになります。
 プロレタリアによる革命を行ったはずのソ連は、経済発展を維持することができず、いつの間にか資本主義を自ら取り入れることで「民主化」、実質的な資本主義国家となってゆくのです。ゾルゲにとっては、なんという皮肉な結末でしょう。

「ゾルゲ 破滅のフーガ L'insense」 2002年
(著)モルガン・スポルテス Morgan Sportes
(訳)古田恒雄
岩波書店

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